見出し画像

旅が向いていないかもしれない。

なんだか最近行き詰まり感を感じていた。無限に広がる孤独と不安に追っかけられていた。

そういえば、友人が出雲大社に行ってから御縁があったと聞いていたので、短い夏休みを取って金欠なので弾丸一人旅で夜行バスに乗って向かった。

あまり下調べはせず、往復で高速バスの切符を買う。行けばなんとかなるだろうと思って。それがちょっと失敗だったのを後になって知る。反省点の多い旅となる。

この話は、旅慣れていない女の一人旅の話だ。

------

夜行バスの京都発は22:30。出雲市駅に朝の6:10ごろ着く。荷物をコインロッカーに預けて、駅前ホテルのモーニングのバイキングに行って腹ごしらえ。

そこからバスで出雲大社に向かった。京都市の均一区間と違って整理券制なので整理券取るのにいちいちドギマギ。30分〜40分くらいかな?

しかし、出雲はバケツをひっくり返したかのような土砂降りの雨。「八雲立つ」なんて可愛いものではない。小さな折りたたみの傘ではずぶ濡れになりそうなので、心が折れそうになる。

あれ?有名な注連縄は意外に小さい?って思った。

友人に祈祷を勧められていたので、祈祷を申し込んだ。9時ちょっと前だったのでかなり空いていて、祈祷の申し込みは私含めて5人くらいだった。

祈祷を申し込む建物は新しかった。外はひどい雨なので、少し中で休ませてもらう。

祈祷は9:20からで、拝殿の中に入れる。禰宜さん一人、巫女さん一人、太鼓と笛がそれぞれ一人の計4人で祈祷してくれる。

最初は祝詞から読み上げる。みんなの前でお願いと住所と名前を読み上げられるので、少し恥ずかしい。でもこのために来たんだから!と恥をしのぶ。

その後、巫女さんの神楽がある。鈴のたくさんついた楽器(?)を手に取り、シャーンシャーンと太鼓と笛に合わせて、鳴らしながらぐるぐる回る。巫女さんの髪飾りが恋文の形で可愛かった。

その後お神酒を飲んで、祈祷は終了。かわらけは持って帰れる。御守りやお札ももらえるので、別途買わなくても大丈夫。

最後に、お賽銭箱の置いてある八つ足門の内側に入れた。本殿に向かって参拝して終了した。

…私の目的は、朝の10時には終了した。

どうしよう。稲佐の浜に向かおうにもこの雨だし。段々焦ってくる。取り敢えず、屋根とベンチのある御守所でゆっくりする。雨のために動けないで立ち止まっている参拝客が何人かいた。

玉造温泉に行こうかと思って調べたが、往復で5,000円くらいかかることを知る。出雲市駅に宿を取ったのは早計だったのかも、と思ったのはこの時だ。帰りは松江発のバスにすれば良かった。

出雲大社は1時間ぐらいあれば回れるので、後は神門通りと稲佐の浜をプラプラしても、半日ぐらいあれば回れてしまう。

京都の感覚で旅してはいけないのだと悟った。京都が如何にコンパクトシティで、神社とお寺などの観光名所に恵まれているかを知る。京都には1日では回りきれないほどのお寺と神社があり、カフェや食事処がある。

何より私の心を折ったのはこの雨だった。くよくよしてられないので、雨を避けるために古代出雲歴史博物館に向かう。

因幡の白兎ゆかりで、兎の石像がいくつもあった。

実はこの辺りから雨に打たれて体調も良くなくなっていた。「たたら展」をやっていたが、立っているのもつらくなり博物館中のカフェで一休み。既に京都が恋しくなる。

旅慣れていない人ほど、旅は情報戦なのだと思い知る。一人で回るなら尚更。

とはいえ、展示はおもしろかった。特に出雲大社の本殿の復元模型が見られたのは良かった。48mの高さに本殿があったなら、それはそれは神々しかっただろうな、と思う。神話のシネマもおもしろかった。

やっとお腹が空いてきたので、出雲そばを食べる。

神門通りをプラプラした。一畑電車の駅が可愛い。

午後にやっと雨が上がったので、稲佐の浜に向かう。

海は大荒れだった。

10月の神在月にはここから全国の八百万の神々を迎えるというので、一生懸命ぞろぞろ歩くたくさんの神様を想像してみたが、なんだかピンと来ない。海を見ながら黄昏ようかと思ったが、黄昏る場所もない。夕日も見れない。滞在時間10分(笑)

稲佐の浜からとぼとぼと帰る帰り道、有名な注連縄を見つける。あっ、これが巨大な注連縄か!本殿じゃなくて神楽殿にあるのね!!危ない危ない!見逃すところだった。。。

その後、また出雲大社に行って本殿の周りをぐるり。後ろまで回った方が本殿に近づける。

素戔嗚尊(スサノオノミコト)が祀られている素鵞社にも参拝。この日の出雲参拝はとりあえず終了。

そんなこんなで、出雲市駅のゲストハウスに向かって荷物を置く。食べるものも調べていなかったが、出雲は海鮮が有名とのことなので、なんとなく駅前の回転寿司に向かう。エビがプリプリで美味しかった。

私が旅が向いてないと思うのは、その土地の美味しいものを食べたい!という欲が薄いこと。味の違いがわからないので、美味しいものであれば何でも良い。わざわざ遠くに行って美味しいものを食べたいとは思わない。

あと、せっかくゲストハウスに泊まったのに人見知りを発揮してその土地の人との交流が全然できなかった。情報交換もせず、ひたすら本を読んだ。早く帰って『枕草子』読みたいなぁとさえ思った。

一緒の部屋になった女の子は女子大生で、夏休みのうちに青春18切符で全国を旅するのだという。他人と一緒の部屋に寝るなんて、絶対うとうととして熟睡出来ないと思ったけど、疲れていたのか夢も見ないぐらいスコーンと気持ちよく寝られた。

他人と寝ても大丈夫というのは、自分の新たな発見だったかも。本当に熟睡してたので、いびきかいてたらごめんなさい。

------

さて、明日は何しよう。。。

悩んだ挙句、また出雲大社に行くことにした。幸いなことに晴れた。晴れた出雲大社も見たいと思った。

モーニングを食べた後に、9時ぐらいにチェックアウトしたが、もうほとんど泊り客はチェックアウトしていなかった。さよなら、ほとんど交流できずに去った人々。なんだか無性に寂しくなる。

今度はバスではなくて一畑電車に乗って、出雲大社に向かった。

しまねっこが座っていた。

田園風景が広がる。のどかである。川跡(かわと)で乗り換え、しまねっこ号に乗って出雲大社へ。

晴れている出雲大社は回りやすかった(当たり前)。

稲佐の浜にも向かう。

頼みやすかったのか、2組の旅行客に写真を撮ってくれとスマホを渡され、カメラマン役に。2組目を終えたところで、他人の思い出作りに協力する自分になんだか虚しくなったので、弁天島のそばを離れ砂浜をプラプラ。

海は昨日より穏やかだったが、それでも寄せては返す波が一つの巨大な生き物のように感じられて、なんだか怖かった。

波に手をつけてみると、予想より冷たかった。出雲には秋風が吹いていた。振り返るとすぐ、小柄な山がほこほこと並んでいる。

海のそばに暮らす人はすごいな、と思った。砂は持ち帰らなかったが、貝殻を見つけて持ち帰ることにした。

出雲大社に帰る道すがら、小柄な白いネッコに会う。ちょっと目が悪そうだが、この辺のヌシっぽい風格の猫だった。私が近づいても逃げようともしない。逃げられたらイヤなので、撫でるのは流石にやめた。

別のネッコにも会ったが、その子はすぐ逃げたので写真には撮れなかった。出雲の猫は顔も身体も手も足もキュッと小さい気がした。

出雲大社経由で神門通りに戻り、昨日は食べなかったのどぐろの塩焼きを食べる。

そんなこんなで、一畑電車に乗って出雲市駅に戻り、私の旅は終了した。

帰りの高速バスは空いていて、とても快適だった。今度来るときは必ず松江とセットにして玉造温泉と八重垣神社に行こう。そうしよう。

------

私は旅が向いてないと思ったのは、自分はかなり心配性だ。携帯を落としたら困ると、今回携帯はネックストラップをつけて首から下げて歩いた。

あと、目的はいくつも作った方が良いと感じた。今回の目的は出雲大社だけだったので、次は『平家物語』なり、テーマを決めて西日本を巡りたい。

山陰の観光には車が便利とつくづく感じた。電車やバスの本数が少ない。観光名所が離れている。神話の時代、神は距離を気にしなかったのか。いや、馬に乗ったか歩いたか。どちらにせよ、結構な移動距離だ。

何よりやはり、一人旅は寂しかった。双方向のコミュニケーションが好きな私は誰かと旅する方が良いのかもしれない。一緒に旅できる友達を作ろう。そして誰かに会いに行こう。

当たり前だが、観光名所のリサーチはしっかりと。目的なく旅できるのは旅の玄人で、素人の私はしっかり準備していくか、日帰りで十分だと思った。行き当たりばったりの無計画な旅を楽しめる性格ではない。

後、何度も私は「山陰地方にいる、出雲にいる、海の近くにいる」と実感しようと思ったが、実感が分かなかった。京都とは違うピカピカの瓦屋根の家並が気になったが、後は日本全国どこに行っても街並みに大きな違いはない。都会か田舎なだけだ。

可愛いネッコに会えたのが今回嬉しかった。やはりその土地の動物園などを旅に組み込んだ方が、動物好きな私の性格的には良いのかもしれない。

------

旅の楽しみ方を知るためにも、もう少し旅する必要があるかもしれない。香川・名古屋・金沢・安芸の宮島に行きたい。でも一人なら日帰りで十分かも、と思った。

私のグダグダ旅をここまで読んでいただき、ありがとうございました!皆様も良い旅を。

#出雲大社 #出雲 #一畑電車 #旅 #毎日note #なるべくnote #あの夏に乾杯


サポートいただけましたら、勉強会や本の購入にあてたいと思います。よろしくお願いします。