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発達障害・大人ADHDの診断 その1~私ってADHD?~

私は2年前、37歳のときにADHD不注意優勢型の診断を受けました。大人の発達障害の診断について、よくご質問をいただきますので、私が診断を受けた経緯を何回かにわたってお伝えしたいと思います。今回は、自分にADHD傾向があるな、と気づいたときのことについてです。

私は元々小学校で教員をしていたので、発達障害に関する知識も学びつつ、そのような特性を持つ子ども達とも一緒に過ごした経験があった。だからこそ、長男ハルについては彼の様子から、一歳半の頃にはすでに自閉傾向があるかもしれないなぁと思っていて、保健センターやかかりつけ医に相談に行ったのだった。しかし、自分については「私、ADHDかも?」と怪しむようなことは全くないままに日々を過ごしていた。


古本屋で出合った一冊の本

ハルが2歳で自閉スペクトラム症の診断を受けた後、発達障害についての書籍を読み漁るのが趣味と化していた頃のこと。ふらりと入った古本屋の発達障害関連本が陳列されいてる棚にあった、黄色い背表紙の一冊が目に留まった。タイトルには【「片づけられない」「間に合わない」がなくなる本】と書かれており、正に自分のための本ではないかと思わず手に取った。

「片づけられない!」「間に合わない!」がなくなる本 ADHDタイプの「部屋」「時間」「仕事」整理術 大和出版 司馬理英子著 

私は勉強がそこそこできる子どもだった。それは残念ながら頭が良いという意味ではない。教科書に書いていることをざっくり把握し、要点を覚え、テストの点数を取るのが得意という意味での「勉強ができる」である。そして話し合いなどの活動では、自分の意見をはっきり主張する方だった。だから、あまり先生にしかられるタイプではなかった。

しかしその実、片付けがとても苦手で、いつも机やお道具箱の中はぐちゃぐちゃだったし、落とし物も多く、定期入れ(田舎のバス通学だった)やかぶっていたはずの帽子、首から下げている鍵まで知らぬ間になくしていた。もはや自分の背後にはブラックホールがあるとしか思えぬほどの落としぶりである。

人の話は聞いているようで聞いていない。ふとした瞬間に頭の中で連想ゲームが始まり、目の前で展開される話題とは全く別の異世界にワープしていることもしばしば。だいたいどの教科も、教科書の端には落書きによるパラパラ漫画の棒人間が軽快に踊っていた。

「時間に間に合わない」もしかり。親の協力を得ていた義務教育の間はよかったが、高校に入学してからは遅刻常習犯のリストに入り、校門が施錠された後にこっそり窓から忍び込んだ日も度々あった。忘れ物をしないために、全教科の教科書、ノート、資料集を持ち歩くため、よくおばあちゃんが使っているようなカートを購入し、タイヤをガラガラとさせながら登校していた。

そんなわけで、この本に書かれていた何もかもが自分のこととしか思えなかった。また、私は45分間席に座っていられる子どもだったため、「多動」が行動に出ているようには感じられなかったことから、この本と出合うまでは、ADHD=注意欠如・多動症と自分を結びつけて考えたことがなかった。そこで、私の数々の武勇伝を知っている高校の同級生で、臨床心理士でもある友人に相談したところ、女性のADHDは不注意優勢型の方も多いということを教えてくれたのだった。そしてこのとき、「女の子のADHDは頭の中が多動なんだよ。」との名言も授けてくれたのである。詳しくはこちらをご一読いただければと思う。

35style うっかり女子特集

私って…ADHDタイプ?

そんなわけで、この本との出合いをきっかけに、「私はADHD傾向の脳タイプなのかもしれないな」と思うようになった。

この本の優れているところは、診断の範疇かどうかよりも、そういう特性のある自分を責めている時間こそが無駄であり、困ったことがあるならばその特性にあった工夫をすればよいのだ、ということを具体例を用いて説明してくれているところだ。

残念ながら、この本を一読しただけで「片づけができない、時間に間に合わない」が無くなったかと聞かれるとモゴモゴしてしまうところだが、自分の特性を知って、それに沿った対応をしようということと、そういう自分をダメだと責めることはやめようと思えたことは、私にとって本当に大きな変化だった。発達障害関連の当時買いあさった書籍の大半を捨ててしまった今も、この本は私の根幹を支えてくれる大事な一冊として、自室の本棚に並んでいる。

診断ってなんのために受けるのか

さて、それでは私がADHDの診断を受けようと思ったのはこの本がきっかけかというと、そういうわけでもないのだ。よく、「診断を受けた方がいいのでしょうか」とSNSなどでご質問を受けることがあるのだが、私が診断を受けた方が良いと思う基準は明快で、「福祉サービスを受けるかどうか」だと思っている。

ハルが診断を受けたとき、診断してくださった大学病院の先生は、一冊の本をご紹介くださった。【高機能自閉症・アスペルガー症候群「その子らしさ」を生かす子育て】これを書かれた児童精神科医の吉田友子先生は、著書の中で「診断は福祉サービスのチケット」と表現されていた。私にはそれがとてもしっくり来たのだ。

高機能自閉症・アスペルガー症候群 「その子らしさ」を生かす子育て 中央法論 吉田友子著

障害者手帳を取得して福祉サービスを受ける場合には、確定診断を受ける必要がある。(※療育など、手帳がなくても受けられるサービスもある。)

けれど私自身はこの時点で、自分にとって必要な福祉サービスがあるように感じてはいなかった。

また、大人の発達障害の確定診断は、そんなに簡単に出るものではないということも聞き及んでいた。今現在の特性が、子ども時代から続いているものであるという証明ができなければならないからだ。大人の発達障害に関して、確定診断ができる医師や施設も増えては来ているもののまだまだ限られている。診断を得るためにはそこに費用も時間も労力もかかる。一方で、確定診断がなくても、発達障害について病院で日々の困り感を相談したり、アドバイスや場合によっては投薬を受けたりすることは可能なのだ。

私にとっては、「自分にADHD傾向がある」と知ったことが、すでに対応策や自分についてさらに知るための「検索ワード」を手にしているのと同じことだった。そのため、このときは敢えて医師から確定診断を受ける必要性を感じていなかったのである。

つづく






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