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エウレカセブン ポケットが虹でいっぱいについて

映画『交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい』(以下、ポケ虹)が大好きです。好きなアニメ映画を上げるなら、鉄コン筋クリート、ビューティフルドリーマー、ポケ虹です。

しかし、この作品は世間から酷評を受け、今もファンの中で無かったことにされている節があります。
その上、インターネットにある肯定派の意見を読んでも、どれもこれも違う。俺の感情をうまく言い表せてないのです。
なのでこの令和に時代に、ポケ虹のスタンダードの肯定論となる墓標を、ここにうち立てることを決心しました。


交響詩篇エウレカセブンとは


まずエウレカセブンについて説明せねばなりません。
『交響詩篇エウレカセブン』は2005年に放送されたアニメ作品(全50話)です。
ざっくりいえばロボットアニメに区分される作品ですが、あまりロボットは質感のメインに上がってこない。それよりも目立つのはカウンターカルチャーの香り。とにかくそれが格好良い。
サーフィン、音楽、ダンス、ファッション、こういったカルチャーが、「ロボット」と「セカイ系」という大きなジャンルの骨の元に集まってできた作品です。

エウレカセブン世界はトラパーと呼ばれる光る粒子が空気を満たしているのですが、その波に乗って空中をサーフィンする「リフ」というスポーツ。空をかける時に流れるスーパーカーの音楽、その全てが爽快。清涼。

田舎で「リフ」に憧れる主人公の少年レントンは、ひょんなことからリフ会のカリスマ集団(それは表向きで実は軍を脱走した武装組織)の「ゲッコーステイト」の一員として行動を共にしていくことになります。この、ちょっと悪いお兄ちゃんお姉ちゃんたちに、少年が少しずつ認められ、「ただの下働きの子供」から「仲間」になっていく過程もグッときます。

メインはこのレントンが仲間認められていく様子、ヒロインエウレカとのラブストーリー、この2軸で話が進んでいきレントンの成長を描きます。

個人的には、ゲッコーステイトが活動資金を集める手段としてZINEを作って売っているのが、カウンター感を強く感じて好きです。
あと、エヴァにおける「ファーストインパクト」のような歴史的大事件のことが、「ファーストサマーオブラブ」って名前なのもカウンター感感じて好きです。

以上の神話級タイトルのスーパーアニメが『交響詩篇エウレカセブン』です。


ポケ虹が失ったもの


ポケ虹に話を戻します。ポケ虹が酷評を受ける理由として、これらの要素がすべて出てきません。
設定もすべて改変され、顔と声だけが同じ人物が、全然違った設定でワラワラ出てきます。概ね全員違います。
カルチャー要素はほぼゼロです。悪いお兄ちゃんお姉ちゃんに認められていく少年の過程もゼロです。
あるのはレントンとエウレカのラブストーリーのみ。これ以外の要素はすべて排除されました。
エウレカセブンファンが欲しかった清涼感や爽快感はどこにもなく、ただひたすらに、なにやら薄暗く殺伐とした空気感と、甘ったるいレントンとエウレカのイチャイチャが流れ続けます。
ファンは失望したのでしょう。これは神話に対する冒涜だと。まあそう言った向きがいることもわかります。

ポケ虹肯定派


肯定派の意見は概ね「レントンとエウレカのラブストーリーが良かった」この意見に収束しています。
初めから少年少女のラブストーリーを期待していた人間には、カルチャーの欠如など誤差ですからね。
なら満足だったでしょう。ラブストーリー以外を排除したことでその濃度は抜群に上がりましたからね。

でもそうじゃないんですよ。そこだけじゃないんですよ。この作品の良さは。
俺が好きな部分はラブストーリーではなく、この「神話に対する裏切り」という本質にあるんですよ。

「ちょっと思ってた感じとは違ったけど、レントンとエウレカが幸せだったからおっけー!」って思わないでほしい。
「ちょっと思ってた感じとは違ったけど」にもっと敏感になってほしい。

ポケ虹語り本題


ではようやくポケ虹の何が好きか、語ります。
ひとことでいうなら「失恋のような寂しさと爽快感」です。

この失恋とはきっと、『交響詩篇エウレカセブン』への失恋。

こんなにどうしようもなく殺伐としていて、あんなに好きだったエウレカセブンは、自分達が「こうあってほしい」と願ったエウレカセブンは、ほとんど存在しない世界。それでも彼ら二人は、ひたすらに美しく、幸せそうに笑っていた。それだけがとても寂しくて、それだけがとても優しかった。

この気持ちになれるラストシーンは他の映画にはないです。50話分の経験と思い出に恋をして、それを失って、それでもなお幸せになれてしまうことがとても悲しくも清々しい。
失ったと思っていたものは、自分が勝手に大切だと思っていた要素で、それはその相手の本質そのものでは無かったのです。
だからこの映画のラストシーンが好きです。すべての映画のラストシーンの中で一等好きです。



また個人的にはこの映画から、

・神話は固定された一つのものだけではない

・夢を見るのは記憶の積み重ねがあるから

という2つのメッセージをつよく感じます。

そしてきっとこの映画の根底思想は、ラストシーン間際でアネモネの口から語られる「いつかこの星のわたしたちみんなが神話になれたら、きっと」というセリフなのだと思います。


新しい神話に裏切られたと思うのは、夢を見るから。夢を見るのは記憶の積み重ねがあるから。
恋とは夢に対して抱くもので、夢を見れないのなら恋はできない。だからイマージュたちには記憶が必要だった。エウレカセブンという夢に恋をした我々が、それが夢だったことを知って初めて、夢は神話になる。恋は終わって初めて神話になるのです。


おわりに


きっとこの作品価値は狙われたものです。なぜなら、あざといくらいに話の内容もそういう話だからです。きっと、神話を再生しようとしたもの、それに抗い再構築したもの、この2つの気持ち。この世界を受け入れられずに元の世界を手に入れようとしたものたち。話がそういうふうにできていて、結果としてそういうものが残る。メタ構造。素晴らしく成功していると思います。
そのうえで一定の納得させる良さのようなものを提示した、大成功、大名作です。

今からでも遅くないので、エウレカセブン本編全50話を見てエウレカセブンの世界に恋をしましょう。そしてポケ虹を見て失恋しましょう。ポケ虹に再評価を。



ではまた、いつか。
私たちみんなが神話になれたら、きっと。











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