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【知らんがな】【なんで二回言うねん】松本人志さんが作った/広めた笑いの言葉と構造【まとめ】

高須院長と村西とおる監督が手を組み松ちゃん応援団を作り、
ジワジワ松本人志さん応援の輪が広がってきました。

そんな中、『ダウンタウン vs Z世代 ヤバイ昭和あり?なし?』で放送された「松本人志がルーツの言葉」が話題になっています。
これについてコメント・追記したいと思います。

空気を読む

麒麟川島氏がこの言葉を作ったのが松本人志さんだと言っていましたが、これに関しては始まりが思い出せません。
ただ、後述しますが、こういう笑いの裏の言葉を世の中に出していくというのはいかにも松本さんだなという気がします。

噛む


次の「すべる」と共に、間違いなく松本人志さんが世に広めました。
特に最高潮に使用されたのが「放送室」です。
高須氏と延々、数十分、「今噛んだんちゃう?」と言い合ってました。

すべる


これこそ大げさでもなく、松本人志さんが世界を変えた…少なくとも日本を変えた言葉でした。
それまでは、誰かが何かやって、ウケなければ周りがフォローしてどうにかする…
あるいは、ウケなかったところごとカットするというのが普通だったのが、
松本人志さんが山崎邦正さんがスベったときに
「今スベったやろ」
と言って笑いにして新たな形態が生まれました。
山崎邦正さんはそれを受けて
「マーやります。マー!」
など自分からスベっていく構造を作り、ここから後に続くスベり芸の芸人を生み出していきました。
たけしさんが軍団さんにむちゃくちゃやることはあれど、ウケないのをイジることはしませんでした。

どS・どM


「SM」という言葉は松本人志さんが作った言葉ではありません。
「サディズム」は、19世紀初頭、マルキ・ド・サド伯爵を元に作られました。
「マゾヒズム」は、19世紀中頃のザッヘル・マゾッホに由来します。
日本では、団鬼六がSM小説を書いて第一人者となってました。

セックスのプレイで使われる用語だったSMを、一般のものにしたのが松本さんです。
一番最初に使われたと思われるのが1994年発売の『遺書』。
「オレはSMかもしれない
だから毛ジラミも終わり」
という章で
「結局オレという男は、楽して売れることを好まず、自分をつらい立場に置いて、どこまでやるか見てみたい、SMの気があるだろう」
と発言されています。
これは、今であれば
「どMの気があるだろう」
という文章になるはずで、このときはまだ試行錯誤のプロトタイプ段階だったことが伺えます。
その後、ガキの使いで、何十年こすられ続けることになる「浜田はどSで俺はどM」というやりとりが生まれました。
さらに、ほぼ日で糸井重里氏との対談でがっつりSとMについて語っていました。
また、『放送室』ではMの女の見分け方について語り、
「隣に座っているときにこっちから膝をぶつけて、
あっちが謝ってきたらM」
と高須氏が語っていました。


絡みにくい


これもガキ使で山崎邦正氏に言ったのが始めてな気がします。
また、『HEYHEYHEY』でミュージシャンとのトークで多用されました。

逆に


松本人志さんがめちゃめちゃ気に入っていた言葉。
NHKのコント「MHK」でこれだけでコントにしたほど。

ドヤ顔


M-1の審査時に優勝したフットボールアワー後藤氏に言った言葉。

ここまでが、『ダウンタウン vs Z世代 ヤバイ昭和あり?なし?』で紹介されていたものですが、これに付け加えたいものがあります。

経て

経るの活用形「経る」。
この言葉を使った「チャンピオン」というコントが当時流行りました。

えげつなー

殺人現場でヤクルト持ったおっさんがただただ「えげつなー」というコントだったのですが、流行りました。


ボケましょう

ボケ・ツッコミという概念はありました。
エンタツ・アチャコの頃からあったのですが、
「ボケる」ということを、
ここまで前面に出したのも松本人志さんが最初だったと思います。
「ボケる」というのは、そのまま「笑わせる」ということなので、
漫才のプロの人からすると「仕事する」っていうことで、
それを表でバンバン言うことはなかった。

ごっつ

というか、「ごっつ」という言葉自体が「ごっつ」が生み出しましたよね。

めっさ

めっさもありましたね。

なんで二回言うねん

「なんで二回言うねん」もダウンタウンですね。ここから『HUNTER×HUNTER』が生まれました。

知らんがな

知らんがなも松本人志さんです。『HEY!HEY!HEY!』で多用されていました。ちなみに「せやろがい!」は木村祐一さんですね笑

写真で一言

IPPONグランプリの人気コーナーであり、ツイッターでもアカウントが何個も作られて行われる「大喜利と言えば」というこれも松本さんが作ったものです。というか、もともとこれは松本さんのピンネタのようなもので、これを使った「松風95」というイベントを1995年に武道館で行いました。ここから木村祐一さんの「写術」や一人ごっつの「写真で一言」にも継承されていきました。

すべらない話

これも松本さんの発明ですね。
もちろんそれまでも「漫談」はありました。
ゲストが話を持ってきて、それをMCが膨らませる『さんま御殿』も『ダウンタウンDX』もありました。
が、「すべらない話」とラベリングしてハードル高くして、すごいことやってるというのを見せたのは松本人志さんが初です。

完全に

「逆に」と並ぶ松本さんが気に入ってるワードですね。

笑ってはいけない

笑わせるためのバラエティ番組で「笑ってはいけない」という逆転の視点で大ヒットさせました。普通の人と逆の視点を持つのも松本人志さんの天才たるゆえんですね。

◯◯アウト

笑ってはいけないから派生して「◯◯アウト」もいろいろなところで使われましたね。

IPPON

「大喜利」は昔からあったものです。1966年に『笑点』がお題にうまいことを答えて座布団をやりとりするゲームをしていました。
しかしそれは、「うまいこという」ものだったり、最初から答えが決まっているようなものだったり(実際は知りませんが)今とは形が違うものでした。
それを松本人志さんが『かざあなダウンタウン』等で、ストロングスタイルの笑いを取る形式にしました。そこから一度『ダイナマイト関西』でバッファロー吾郎が大喜利のガチバトルという形式にし、それが逆上陸して『IPPONグランプリ』という形で完成されました。

ある種

「逆に」「完全に」と並んで松本さんが好きな言葉です。

ドキュメンタル

『笑ってはいけない』の進化系。『笑ってはいけない』は攻められるだけですが、『ドキュメンタル』は笑かし合い。攻撃と防御の要素が加わり、よりエキサイティングなものになりました。

エグい

「◯◯な◯◯エグい」という形で芸人さんが使う…粗品とかもよく使う言葉。これも多用しだしたのは松本さんだったと思います。元は藤本氏かも。

こする

これも松本さん…か、千原ジュニアさんですね。

筋肉痛が来るなら正しい

これは広めたものではないですが…松本人志さん後期は、「筋肉キャラ」というのも一枚乗っかりました。笑いだけではなく筋肉の頂点を極めた男の言葉がこれです。何レップがいいとか、角度はどうかとか、フォームはどうかとか、筋トレ愛好家は細かく分析していきますが…松本人志さんクラスになると「筋肉痛が来るなら正しい」ということらしいです。松本人志さんが言うなら説得力ありますね。

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