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打ち込みからオーケストラ編曲に入った人がやりがちなミスPart 2

これは打ち込みからオーケストラ編曲に入った人(=僕)がこれまでにオーケストレーターに怒られてきたポイントや気づいた点を列挙する反省文です。今回はどちらかというとセミプロ〜プロ向けです。Part 1はこちら↓

表現力に優れた音源があるという幻想

いわゆるオーケストラ打ち込みの表現力はサンプルの録られ方よりはアレンジに大きく依存します。レガートパッチのリアリティ云々よりも、きっちりとオーケストラらしい編曲が出来ることの方が圧倒的に大事なのです。

オーケストラのサンプルライブラリで音の厚みや広がり、音色、人数感、ダイナミクスを解決することは出来ても、それを使ってリッチな表現をするためにはオーケストラそのものへの理解を避けて通ることは出来ません。

適切なライブラリ、アーティキュレーションを選んで適切なCCカーブを書くことも打ち込み表現においては重要ですが、それらはあくまでアレンジメントが成功している時にのみ効果を発揮します。

生録音に過度な憧れを抱く

オーケストラを生録音すれば全て音楽的になるという過度な期待を抱くのも打ち込みから入る大きな弊害の一つです。オーケストラの録音は少しずつ敷居が下がっているとはいえ金額的においそれと出来るものではなく、また未経験の作曲家にとっては何を準備すれば録音に漕ぎ着けられるかも分からないため録音を最終目標として遠くに置くのはとても自然なことです。

しかしよりよいオーケストラ楽曲を作るためには録音することは寧ろスタート地点です。言い換えると、録らなければ、録り続けなければ得られないノウハウの領域が非常に広いのです。

僕も駆け出しの頃は「いつか自分の曲を生で弾いてもらいたい」と思っていましたが、実際に生で録って良い仕上がりになるかならないかは自分の能力、知識に大きく左右されてしまうことに後々気付かされました。

打ち込みで良いオーケストラ楽曲を書き続けていればいつか認められて生収録の予算を貰えるというシナリオはあるかもしれませんが、打ち込みを研究すればいつか録音に適した楽曲が作れるようになるというわけではありません。

打ち込みとオーケストレーションを混同する

打ち込みはオーケストラの楽器をサンプリングした素材を並べていく作業で、オーケストレーションはそれを生のオーケストラで演奏出来るように、また演奏した時に映えるように変更を加えて譜面に起こすという作業です。

なのでこれら2つは明確に異なる作業なのですが、生のレコーディングを行わないでいるとそのことを肌感覚で理解するのは難しかったですし、レコーディングの度にオーケストレーターに依頼するという経験を積んでいなければ今でも分からなかったかもしれません。

生で弾けないことをやってもいいという誤解

Part 1含めここまで挙げてきた一連のミスについて「打ち込みならではの表現をしているのだから生で出来る出来ないなんて気にしなくて良い」という立場の人がいます。

そのことについて個人的には大反対というわけでもないのですが、ここで重要なのは何をやったら生で出来ないか自覚した上で羽目を外すことだとも思っています。形無しと型破りの違いのようなものです。

僕自身がそうだったので分かるのですが、生で録った経験が乏しい人ほど打ち込みならではの表現という言い回しを使いがちです。ただ、分からないことを分からないままにしてオーケストラの打ち込みを続けていると実際に録るチャンスが訪れた時に「これなら録らない方が良かったね」という結果になる恐れがあります。

実際に録ってみると分かるのですが、弾けると思ったフレーズが弾けない、鳴らない、響かないということが思ったよりも多発します。

実例があるからやってもいいという誤解

一方で、例えば「映画音楽やクラシックでめちゃくちゃ難しいことをやっているからあれくらいなら自分の曲でも真似して良い」という考えもあります。

これもまた危険な考え方で、現代の我々が作って録音するオーケストラは初見で演奏出来ることを求められますが、クラシックは初見で弾くことを想定して作られていません。何日も、何週間も練習を積んだ上でようやく成立する難易度の譜面をスタジオミュージシャンのレコーディングに持ち込むべきでないことは容易に想像がつくと思います。

映画のサントラについても

・突出した技術を持った奏者を呼んでいた
・アレンジが絶妙なバランスで成立していた
・極端に大きな予算があって特殊な録り方を出来た

等の事情があった可能性を考慮する必要があります。ブッキングした奏者の特性や個性に合わせてアレンジすること、難易度の高いアレンジが何故成立したのか分析すること、予算に応じてどのようなセッションの進め方が出来るのか想像することは完成度の高い打ち込みをする上でも非常に重要です。

通しで弾けなくても良いという誤解

通しで演奏することが出来ない譜面は少なくとも自然な、オーケストラらしい音にはなりません。通しで弾けないということは、例えば

・大きすぎる跳躍がある
・奏者の体力、集中力への配慮が不足している
・不要なオーバーダブを想定している

といった問題がアレンジに起きているということです。良い譜面は(パンチインするか否かはさておき)通しで演奏出来るように書かれているものです。

良い音が出る音域≠物理的に音を出せる音域

物理的に出すことが可能な音は大体ライブラリに収録されているため、打ち込みでオーケストラアレンジをしているとうっかりその楽器に適していない音域を使用してしまうことがあります。

色んな交響曲のスコアを読むなどして、その音域を使っても大丈夫なのか、使うとしたらどんな理由があるのかを学ぶことが重要です。

また良い音が出ない音域は演奏しづらい音域であることもままあるので、アレンジしていて良い音が出ないなと思ったら難解なフレーズも避けた方が無難でしょう。

全パートが合わさった時に成立していればOK

打ち込みをやっているとついつい弦楽は弦楽だけで成立するように、金管楽器は金管楽器だけで成立するようにといったアレンジをしたくなりますが、オーケストラは全員が合わさった時に成立していればOKで、そのためには各パートにほどおよくハーモニー的な、また時間軸上の隙間を作る必要があります。

奏者の体力、集中力のことを考えても、楽曲の中にリラックス出来るポイント、給水所を作った方が良いパフォーマンスに繋がりますし、そうしておけば打ち込みだったとしても説得力のある表現に繋がります。

楽器ごとにばらばらの動きをさせる時は要注意

オーケストラというのはお互いの楽器の音を聴きながら演奏するものです。(勿論バンドもそうですが。)なので、周りの奏者の演奏と自分の演奏があまりに異なるリズムだと混乱を招きます。

全員が全く同じ譜割りだとそれはそれでつまらないアレンジになりますが、例えばパート間でシンコペーションの食い方がバラバラだったりしたらお互いが何に合わせて演奏すればいいか分からなくなってしまい演奏が破綻します。

なので、異なるリズムを異なる楽器に割り振る場合はそれぞれが上手く噛み合っていることが重要です。

隣の席で演奏している人が自分と全く違うリズムで弾いていたら単純に不安になりますよね。

「デモのように弾いて欲しい」はタブー

さて、レコーディングを実際に行った時にミュージシャンの演奏を2〜3テイク聴いてみて「もっとデモの打ち込みのように弾いて欲しい」と感じることがあるかもしれません。その瞬間が、実はアレンジャーとして成長できるか否かの分岐点なのです。

打ち込みのようにならないとしたら、譜面かアレンジのどちらかに問題があります。具体的に例を挙げると

  • 音楽的に存在するべき抑揚が足りていない

  • その楽器での演奏に適したフレーズではない

  • アンサンブルで演奏した時の完成系がイメージしづらい

といった問題が起きています。

この時に「それでもデモの通りお願いします」と頼み込めば奏者の能力によっては本当にデモの通りに弾いてくれることもあります。しかし、奏者が弾いてくれたからOKと納得してしまうと成長には繋がりません。

一方で「自分のアレンジや譜面に問題があったのかもしれない」と省みることが出来れば、言い換えれば「自分が録音前にイメージしていたよりもっと音楽的な表現がある」と思えれば、次回以降のレコーディングでその反省を活かすことが出来、次第に良いアレンジ、良い譜面を作れるようになるだけでなく打ち込みのスキルも上達していきます。

結局どうやって身につけていくのがいいのか

録音することはやはり大事なのですが、ただ録るだけではなく毎回オーケストレーターに協力を仰いで良い譜面に触れることが不可欠です。いわゆる写譜屋さんに自分の譜面を綺麗にしてもらうだけだと何故自分のアレンジが駄目なのか気づけないので効果は薄いと思われます。良いオーケストレーターは日本にも沢山いらっしゃいます。

良いオーケストレーターと仕事をすると、自分がどのように作曲すれば良い譜面になるのかを想像する力が養われます。曲が良ければ編曲も当然しやすくなりますし、意義のある譜面に仕上がっていきます。言い換えると、良い譜面に仕上がらなかったのならそれは自分の曲に何かしらの問題があったということです。

【重要】出来ていなければ指摘してもらえるという楽観

上記と矛盾するように感じるかもしれませんが、仮に自分が良くないオーケストレーションをしてしまっていたとしても誰かから指摘してもらえたり助言をもらえることは基本的には無いと思った方が良いです。

特にサービス精神が旺盛な人と仕事をすると悪いところを無言で修正してくれたり頑張って演奏してくれたりするので、その曲はなんとなく形になってしまいます。なので、常に「自分はオーケストラが分からない」「次こそはもっと上手くやりたい」と悩んでいるくらいの方が上達は早いように思います。オーケストレーション以外の分野でも同じことが言えそうです。

最も難しいのは失敗した時に自分が失敗したと気付くことです。失敗から学べることは沢山ありますが、失敗したことに気付けなければ何も学ぶことは出来ません。

【重要】身に付けなければ仕事にならないのか

これは明確にNOです。少なくとも僕はオーケストラへの理解が足りない状況でキャリアをスタートさせました。

オーケストラが書けなかったとしてもオーケストラ楽曲の制作を依頼されるケースは沢山ありますし、分からないなりに頑張って作った楽曲が結果的に世界中で愛されるようになった例も枚挙にいとまがありません。なので作曲を仕事にする上でオーケストラを理解しようという姿勢はある意味自己満足でしかないのです。

クライアントやリスナーに伝わらない努力はしないという考え方の人もいます。勉強はほどほどにしてその時間で一つでも多くの良いメロディを生み出して一つでも多くの作品に携わることができれば、名曲を少しでも多く誕生させることに繋がります。その過程で仮に技術的に拙い音楽を量産してしまったとしても同業者の目は気にする必要はありません。

しかし自己満足を楽しむことも音楽をやる喜びの一つだと僕は思います。音楽家としての自分の能力を高めることができれば、人に喜んでもらえるのとはまた違った喜びがあるものですし、素晴らしい音楽を作った方がやはり人も喜んでくれます。

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