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蟻と豆腐 第2号(2024年3月14日発行)

初夢の/中田剛
雨脚のつよき時雨となりきたる
冬の空端切れのやうな虹なると
ひたひたとひたひたと猫底冷えを
しぐるるや昼間はくらき豆腐店
寒暁鴉が騒ぎ立ててゐる
正月を鴉は鴉だけで居る
轟轟と松わたる風初夢の
真冬とてバナナの皮は黒ずみぬ
残りたる餅ことごとく安倍川に
冬晴や乾布摩擦ひさしぶり
そこいらぢゆう元気に蒲団叩く音
鳰まんまるまなこ瞬かず
こんこんと落葉の底にねむる猫
くさむらに猫吐きかへす時雨かな
寒鴉ずつと乗つかるゴミ袋
冴え返るなりゴミ袋ふたつ提げ
いきなりの妻(さい)の嚔や冴え返る
女房の肩を揉むけふ雛祭
貧窮の顔なかりけり雛壇に
翁好物の蒟蒻を炊き余寒なる
女房の鼻かむ音も余寒なる

月々のあまたの俳句教室用に作り溜めて、出さないまま放ったらかしにして句帳に眠っていたのを日向に晒した。ほぼガラクタばかり。目ぼしいものなし。閉店大安売りセールみたいになってしまった。相変わらず食い物と、いちども飼ったことがないのに大層気にかかる猫(とりわけ野良)の句が多い。好きなのだから仕方がない。今年は正月用に買った餅が大量に残ってしまった。餅はあまり好きなほうではない。食べるとすれば黄粉と砂糖にまぶしたやつ。言うところの安倍川餅。黄粉が好きだから。まぶされた黄粉につられて食べてしまう。大学生の夏休み、新幹線の車内販売の売り子をしていた。浜松あたりで鰻弁当と安倍川餅を売った。結構売れた。長時間労働でしんどかった。鉄製のごっついカートにてんこ盛りになったゴミ袋の上に、ちょくちょくカラスが乗っかっている。ゴミ袋を突ついて破って目ぼしいものを食するのかと思いきや、何もしない。ただ乗っかっているだけ。或る日の暮れ方、たまたまゴミ袋山盛りの鉄製カートの横を歩いていた。暗いこともあってカラスが乗っかっているのに気がつかなかった。至近でいきなり鳴いた。カラスの声はとにかくでかい。びっくりして変なふうにからだをよじった。とたん腰に激痛が走った。しばらく収まっていたギックリ腰に。底冷えする暮れ方、猫がひたひたと前を歩いてゆく。俯きかげんで。無心に。それにしても真冬の屋外の野良は、きっついなあ。女房の嚔(くしゃみ)もたいがいでかい。界隈の鴉の声ほどではないが。


蟻と豆腐集(会員作品)/中田剛 選・評
小さき手と力比べの凧    猪倉さえこ
切り立ての髪面映し冬の朝
一匙の葛湯が照らす腹の底

下鴨の家の軒端を冬銀河   近藤和草
時雨るるや将軍塚の帰り道

蟻と豆腐集・句評ー妄想の果てに
おふたりに投句いただいた。猪倉さえこさん、近藤和草(にこぐさ)さん、どうもありがとうございました。
まず猪倉さえこさんの作品について。
小さき手と力比べの凧(いかのぼり)
微笑ましい光景だ。まだ小さな子どもが、正月、お父さんかお母さんと一緒に凧揚げをしている。上空の風に乗った凧の引きはつよく、小さい子どもだと凧の制御がきかず、からだを持ってゆかれる。だからお父さん(おそらく)が、手を添えて一緒に繰っている。でもそのうちお父さんが熱くなってのめりこんで、ほとんどお父さんが繰ることに。至極懐かしい。年子の弟と正月三ヶ日、雨が降らなければ早朝から日暮れどきまで近隣の広場でべったりと。寒風に吹きさらされるのも何のその、空の奥に豆粒ぐらいにしか見えなくなった奴凧を糸を継ぎ継ぎしながら繰っていた。
切り立ての髪面映ゆし冬の朝
前の日に散髪したのだろう。散髪した翌日の朝、洗面台の鏡に映った自分(おそらく作者)を見て、ちょっと恥ずかしい気持ちになった。〈面映ゆい〉は、この句の場合は〈恥ずかしい〉〈てれくさい〉〈きまりがわるい〉あたりの解釈が妥当であろうが、広辞苑(第六版)には別に〈顔を合わせることがまばゆいように思われる〉なる記述もある。さらに〈まばゆい〉には〈まぶしい〉とともに〈光輝くほど美しい〉の意味もあるので、普段とは違った瑞々しい雰囲気の自分を、普段の自分がはっとして眺めている感じもある。寒い冬の朝、襟足がすうすうする。
一匙の葛湯が照らす腹の底
葛湯はほんとうにからだが温まる。私は醤油べース生姜風味の、口の中がやけどするほどアツアツの葛餡がたっぷりとかかった、たぬき饂飩(具が刻み油揚げと青葱の関西のやつ)が大好物である。ところでひとつこの句について言えば〈葛湯〉とは〈葛粉に砂糖をまぜ、熱湯を注いでかきまぜた食物〉(広辞苑・第六版)とあるから上五音〈一匙の〉をそのままとするならば、〈葛湯〉の箇所は〈葛粉〉ではないかと。つまり〈葛粉〉ひと匙ばかりを溶かした熱い湯。また〈葛湯〉を動かさないとするならば上五音は〈一杯の〉か。酒だと五臓六腑に染みわたるだろうが、きんきんに冷えたからだに熱いものが収まると、そこだけ温かくなるのがよくわかる。〈葛湯が照らす腹の底〉は〈葛湯が腹の底照らす〉もありかと。〈一隅を照らす〉という言葉。たしか天台宗開祖・最澄の言葉であったか。〈照らす〉でよいのだが、別案として〈灯す〉などもふと浮かんだがどうか。
 
次に近藤和草さんの作品について。
下鴨の家の軒端を冬銀河
冬の銀河ながら七夕が浮かぶ。やはり〈軒端〉という言葉から。唱歌〈たなばたさま〉の一番目の歌詞〈ささの葉さらさら/のきばにゆれる/お星さまきらきら/きんぎん砂子〉の〈のきば〉は〈軒端〉。〈下鴨〉のさる家の、屋根が建物の壁面から出ている部分のその先端から銀河を見上げた事情、経緯等々は、当然作者にしか分からない。つまり何故に〈下鴨〉なのかということ。この句の上五音が〈下鴨の〉である意味は、この句を読んだものそれぞれがそれぞれの責任において探らなければならない。この句を目にしたところから想像(妄想)のスタート。それで探りきれなかったならば、この句とはご縁がなかったということ。〈下鴨〉といえば下鴨神社、即ち賀茂県主氏(かものあがたぬしうじ)の氏神を祀る賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)の地であるから、やはり神との繋がりを探る。とすると〈軒端〉〈銀河〉から七夕説話へ。中国から伝来の〈七夕〉は、日本においては〈棚機〉。古来からの禊ぎ行事。乙女が、織った衣を棚に供え、神さまを迎えて秋の豊作を祈り、人々の穢れを祓った。その禊ぎ行事の行為者が棚機津女(たなばたつめ)。棚機津女は川などの清い水辺の機屋にこもり、神さまのために心をこめて衣(神御衣:かんみそ)を織る。私のなかで〈下鴨〉と、その地から冬の銀河を仰ぐ景がつながった。
時雨るるや将軍塚の帰り道
〈将軍塚〉は京都市山科区、東山の稜線上、華頂山の山頂にある直径約二〇米、高さ約ニ米の塚。〈将軍塚〉を知らなかった。土地柄、豊臣秀吉に因む塚かと思ったがまったく違っていた。広辞苑(第六版)には〈平安遷都の際、京の守護神として、八尺の土偶に鉄甲を着せ、弓矢を携えさせて埋めたが、事変の起こる前にはこの塚が鳴動したと伝える。〉と記述されている。それとは別にウィキペディアは〈将軍塚鳴動〉として平安時代の征夷大将軍・坂上田村麻呂との関係を記述し、811年6月に亡くなった坂上田村麿が嵯峨天皇の勅により、甲冑、兵仗、釼、鉾、弓箭、糒、塩を身にした姿で平安京の東に向かって墓穴に立つように埋葬された、という『田邑麻呂伝記』(『群書類従』所収)を紹介している。いずれにしてもたいそうおどろどろしい。時雨の帰途、後ろから何者かが追ってくる気配がこの句にはある。ちなみに別案として〈しぐれゐる将軍塚を後にせり〉が浮かんだがどうか。

巨椋池雑記/中田剛
2023年12月某日、掛かり付けの眼科医院にて視野検査。半年に1回ぐらいのペースで右眼に発した緑内障の治療に通っているのだが、視野検査は久しぶり。1年振りぐらいか。まず眼圧測って、視力検査して、それから視野検査。暗い部屋の検査機器の前に座って、顎を乗せる鉄製のつめたい枠のところに顎を乗せて、顔を前に突き出し気味にしてまず右目から。左目にガーゼをあてて絆創膏で固定して、右目の瞼を少し吊り上げるのに絆創膏を右目のまぶたに引っ掛けて、眉のあたりで留めて固定して、目の前に見える穴から目を逸さぬようにして、光が点滅したと感じたらボタンを押せと言われて検査開始。やっているうちにだんだん集中してきて瞬きをしないようになり、涙が出てきて目の前が霞む。かなり長い。右目が終わるとすぐに左目。こんどは右目をガーゼで塞いで絆創膏で固定し、右目と同じように左目の瞼に絆創膏を貼って、少し上に引っ張って眉のあたりで留めて検査開始。あきらかに右目より光の点滅がはっきりと認識できる。気のせいか。右目、左目、検査が終わるとほぼすぐに診察。視力検査の結果見ながら「押し間違えがかなりあったから正確ではないですが前回と変わりありません。」と担当医師から言われた。はて〈押し間違え〉とはなんぞや。〈押し間違え〉と言う表現にもやもやした。光が点滅しているのにボタンを押さなかった場合と、光が点滅していないのにボタンを押した場合とがあるだろう。前者の、光が点滅しているのにボタンを押さなかったのは、つまり見えていないということ。医学的に言うところの〈視野が欠けている〉。とすると後者の、光が点滅していないのにボタンを押したのが、担当医師が言うところの〈押し間違え〉となるのか。その結果、判断するのに充分なデータが取れなかったため〈正確ではない〉になるのであろうか。検査の不正確さには言及されたが、不正確な結果をまねいた原因であるところの、そこそこの数の〈押し間違え〉には触れなかった。たまたま、ちょっとした勘違いで〈押し間違え〉ただけと考えているのであろうか。でも検査のさなかに何かしら変なものを見ていないとも限らない。幻視とか。とすると視野検査を契機として私のなかに別の変調が生じているとか。

編集のあとに/中田剛
今年の1月下旬あたりを発信予定としていたが、発信が大幅にずれ込んだ。年末ちかくに女房が体調を崩し、年明け早々に手術、さらにその後の療養、さらにそこから私の消費税・所得税の確定申告・納付と続き、慌ただしく時間が過ぎた。私と1歳も違わない女房は、生まれてから65歳になるここまで病気らしい病気をしたことがなかったゆえ、このまま無事ではぜったいに済まされまい、いづれ何らかのかたちで来るだろうと思っていたのだが、やはりかなり厄介な奴がやってきた。私自身もちょうど60歳をすぎたところで計ったようにいきなりあちこちに不調が出た。免れがたい老いを意識した。昨今、〈人生百年時代〉などという言葉をよく耳にするがリアル感がまったく無い。自分の周囲で、たとえばサラリーマン時代の先輩だとか同僚だとか後輩だとかの訃報をよくきく。自分自身とさほど年齢の変わらないひとびとだ。金融機関に長く勤めていたゆえ、もしかしたらほぼほぼ半澤直樹テイストのこの業界は、やはり標準以上に身も心も削られるのか、と考えたりもするのだが。誰か業界別、会社別の平均寿命を調べてくれないだろうか。

それから、だらだらと長く連載してゆくつもりをしている〈芭蕉という男〉を書きたかったのだが、とりあえず大幅遅れのこの号をすみやかに発信しなければならないので、至極残念だが次回へ持ち越しとした。という訳で拙作品の下に自句自解(詰まるところ自句の拙さの言い訳)をだらだらぶら下げて、お茶を濁した次第。自句自解(自句弁明)は、俳句だけをしらっと並べただけの薄っぺら感に耐えられないため。よって次回以降も記述するつもり。





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