見出し画像

狐じゃ狸じゃ

 日曜の夜明け前、高速を下りて国道、県道、町道をつなぎ、最後は林道、目的地はもうすぐそこだ。
4駆のハンドルを握っている俊平は山歩きが趣味の24歳。
今日は山歩き同好会の誘いを断って一人でここへやってきた。

 十日前のこと、リサイクルショップの書棚を見ていたとき、古い道路地図になぜか俊平の目が留まった。
手に取ると折り目のついたぺージがある。
開いてみると山ばかりで道路は県道と市町村道だけ、国道は端っこにあるという寂しい眺めだ。

ただ真ん中にあった「狐華」という地名に赤ペンでチェックがされており、横に「狐華神社」と赤ペンで大きく書かれていたのが俊平には妙に気になった。
この神社に何があるのか、狐華は何と読むのか。
「狐」に関連する何かがあるのだろうと俊平は思った。

赤い印は前の持ち主がつけたのだろうが、きっと何か意味があったに違いない。
その意味が気になり俊平は地図を買った。

 狐華については町のホームページでおおよそわかった。
狐華は「こはな」と読むらしく、町域の端にある集落の一つだ。
昔々は狐が多くて女狐などの伝説や昔ばなしも残っており、いつしか「狐華」の名がついたらしい。

ただ町役場から遠くて冬には雪も深く、いまは無人で廃村状態だという。
肝心の赤いチェックの意味は職員にはわからなかった。
ならばと興味半分ドライブ気分ではるばる狐華までやってきた。

「『人の行く 裏に道あり 花の山』、観光とは縁の無い見知らぬ場所に行くと思いがけない出来事に会うことが多いし、今日は何かあるような予感がする」と独り言を言いながらハンドルを握っている。

林道は左右に雑草が繁茂しているが、アスファルトで舗装はしてある。
狐華1キロと書かれた錆びた看板が倒れていた。
時間は朝6時、ふもとならすでに暑い時間だが、この辺りはさすがに涼しい。

狐華集落の最初の家か、すでにつぶれて屋根の瓦だけが見えている。
辺りはみな雑草、墓地も雑草の中から頭だけ出していた。
まさに廃村の光景だ。

少し行くとやがて景色が一気に広がった。
谷になっており、斜面に棚田と段々畑が下の方まで広がっている。
総て雑草で埋まり、畑も同じ、原始に戻った景色だ。
道路に沿う家や斜面に並ぶ家もあるが、すでに原型はとどめていない。

ゆっくり進んでいると屋根が凹んだ廃屋が見えてきた。
平屋だが門柱があって玄関前は飛び石が並んでいるほど広く、奥は深い。
まさに豪邸だが、やはり廃屋で玄関前も雑草に埋まり、門柱には蔦がからまっている。

どんな人物が住んでいたのか、車を止めた。
そして玄関を見て俊平はおどろいた。
玄関の大きな引き戸のすき間から俊平を見ている者がいる。
女だ、二十歳くらいか。

白い着物をまとい、顔も半分見えている。
美人、であることはすぐにわかった。
「こんな場所に女が一人、それも美形、狐の化身か、まさかな、『おはようございます』」と大きな声で挨拶した。

すると女は返事もせずにガタガタ、ピシッと戸を閉めた。
「警戒しているのか。行ってみるか、怒られたら謝って出ればいいし、まあ行ってみよう」
俊平は中に入って行った。

「こんにちわ」返事はない。
玄関の引き戸を引いてもビクともしない。
横に廻ると大きな庭があったが、藪のような有様だ。
縁側があるが、床板は朽ち、戸袋は壊れ、雨戸もバラバラだ。

見れば障子は古いがまともに立って穴がいくつも開いている。
俊平は縁側の上に土足で上がった。
ミシッと音がして床板がへこむ、ミシッとまた一歩。

障子に近づき、親指くらいの穴からそっと中を見た。
屋根に穴が開いているらしく、天井からスポットライトのように陽の明かりが部屋を照らしている。

じっと見ると明かりの隅で何か動いている。
覗(のぞ)きなので普通なら警察沙汰だが、場所が場所なので俊平は必死で目をこらして中を見ている。

明かりに人影が浮かんだ。
さっきの女だ。
スルスルと着物を脱いでいる。
素裸になった。

俊平は一瞬目を離した。
(こりゃ見つかったら大変だぞ、しかしなァ)
男の性(さが)か、穴に目を戻した。

天井から差し込む明かりに女の半身が浮かんでいる。
スラリとした裸身で腰まである髪が風もないのに明かりの中にフワ~っと浮きながら流れている。

まるで少女のような横顔だが、首は細く胸は豊かで腰はくびれ、尻は張って足は細い。
(予感は当たった。やっぱり思いがけない出来事に会えた。しかしこんなところに女一人はない、狐の化身か、まさかな今は2023年だぞ)
俊平の目は穴に張り付き、胸が激しく波打ち、股間まで熱を感じ始めた。

女は腕を上げ、手を曲げ、指先にいつの間にか持った鈴を鳴らしながらゆっくりと舞っている、ように見える。
足を高く上げるたびにへそ下の陰が見え隠れする。
俊平は、いつの間にか身体ごと障子に張り付いていた。

やがて女は自分の豊かな胸をなで、張り切った尻をなでると、髪を後ろに束ねた。
明かりの陰に手を伸ばすといつの間にか着物を持っている。
広げると緋袴(ひばかま)だ。
それを下着もつけずにそのままはき始めた。

女がチラッと障子を見た。
障子に俊平の影が浮かんでいたようだ。
俊平は逃げようとしたが、身体が障子に張り付いて動かない。
ウウッと力を入れた途端、足に力が入り過ぎ、バリッと音を立てて床板が抜けた。

「そこにおるは誰ぞ」
俊平は必死で板から足を抜くと、走って車に戻った。
今度は車のキーが無い。
見ると門柱の向こうに落としていた。

女への言い訳を考えながらキーを取りに走ったが、女は出てこない。
しばらく見ていたが、やはり出てこない。
「ああ、おどろいた、しかし美形で裸も奇麗だった。声もキレイだったが、こんなボロ屋に女一人とはな、やはり人じゃなく狐の化身かもな」

俊平はそろそろとまた縁側に戻った。
慎重に上がり、今度はそっと障子を開けた。
すえた臭い、ホコリが舞い、畳は朽ちてデコボコしている。
女がいた痕跡もなく、着物もない。
そっと部屋に入ると何かの匂いが漂っている。
甘く切ないような匂いだ。

俊平は逃げられぬ罠に囚われ始めていた。

「あの女は何だったんだろうな、確かに見たし、確かにいた、やはり狐の化身だ、あれは」
頭の中で狐だと断定した。
俊平は何者かの罠にはまっていく。

時計を見るとまだ10時だ。
俊平は車を動かし、ゆっくりと進みながら考えている。
「あの赤い印の理由はまだわからない、とにかくそれを知らなきゃ帰れないし、あの家の女の素性も知らなきゃ帰れない」

そう思いながら俊平は一つ不思議なことに気がついた。
朝から蝉の鳴き声が、まったく聞こえないのだ。
辺りは藪も多く、森も深い。
うるさいくらいに蝉が鳴くはずだが、まったく聞こえない。

車をゆっくりと進めると鳥居の前にきた。
木の鳥居は今にも倒れそうだが、地面に神社名を書いた額が立てかけてある。
地図に赤ペンで書かれていた「狐華神社」だ。

車を下りて鳥居をくぐった。
両脇には小さな石の狛犬が岩の上に鎮座している。
阿吽(あうん)はどちらも狐だ。
あの女はやはり狐の化身だと俊平は確信した。

奥には五十段くらいの石段があり、上から神社の軒先が少しのぞいている。
下から見上げると階段は見た目以上に傾斜が強い。
「ここで帰ったら後悔しそうだ」
俊平は上がっていく。

一瞬、獣のような臭いが鼻をよぎった。
石段を上がるにつれて何者かに腰を押されているような感じがしている。
一段上がるたびに何者かが腰を押すのだ。

一段上がるとそれが消え、また一段上に足を乗せると腰をグイッと押されるように感じがする。
振り返っても誰もいない、でも確かに何者かがいて腰を押している、狐のしわざか、俊平はここでも狐だと感じている。

上がり押されてやっと社(やしろ)の前に立った。
ここもボロボロで天井は崩れ下がり、床板は半分落ちている。
鈴は錆びているがまだ下がっている。
賽銭箱は置いてあり鉄製らしくこれも真っ赤に錆びている。

とにかく百円を入れて頭を下げ柏手を打って戻ろうとしたときだ、また後ろに何者かの気配がした。
おどろいて振り向くと誰もいないが、でもやはり何者かの気配を感じる。
近い、すぐ後ろにいる。

そして何者かが俊平の下着の中に手を入れ、身体中を探っているような感じもしてきた。
俊平のあそこも探っているようだ。
「何なんだよ、これは、おまけに獣のような臭い、狐の臭いか」

俊平を囲む罠がまた一つ、縮まった。
もう一つ縮まると、元には戻れない。

俊平は言った
「誰、誰だよ」
振り向いた、もちろん誰もいない。
手を振り回してみるが、誰にも当たらない。

周囲も歩いたが、あの赤いチェックと文字の意味を思わせるようなものは無い。
石段を注意しながら下りていくと、今度は上から何者かがついてくるような感覚がする。
下に下りるとその何者かが横をすり抜けて行った感じがした。

と同時に蝉の声が聞こえ始めた。
今日聞く初めての蝉の声だ。
今の今まで蝉の啼き声なんかまったく聞こえなかったのに、一斉に鳴き始めた。
何者かの気配も消えている。

車に戻った。
「やれやれ、どうなるかと思った。あの赤丸の意味はわからんが、もう帰ろう。あの女が気になるが、また出直そう」

車は向きを変え蝉の鳴く中を、ゆっくりと走り始めた。
陽は山の上に上がり、真っ青な夏空が広がっている。



あの家に近づいた。
門柱の前まで来ると蝉の鳴き声がピタッと止んだ。
「今度は何だ」

するとどこからともなく霧のようなものが流れてくる。
みるみるうちに霧におおわれ囲まれた。
青空は見えず、辺りは夕方のように暗くなった。
街灯や門灯などが点灯し、あの家は中に煌々と明かりが灯っている。

霧の中に誰かが立っているのが見えてきた。
「あ、あの女」
あの女が門柱の間に立ってニコニコしながら俊平にお辞儀をした。
それも神社の巫女の姿だ。
白衣(はくい)と緋袴(ひばかま)、白足袋で赤い草履姿だ。

女は俊平を真っすぐに見ながら近づいてくる。
俊平は固まった。
(すげえ美人、間違いない、狐の化身だ)
俊平の視線も女に向いたまま動かない。

「もうお帰りですか?」
「はい」
「こちらで休んでお帰りなさい。おもてなしさせていただきます。さっ車を下りて」
俊平は誘われると何も言わずに女を後ろにして玄関に向かった。
もう女の言いなりになっていた。

 俊平は何者かの罠の中に完全にはまってしまった。

 これから何が始まるのか、おそらく想像していること、そのものだろうと俊平は歩きながら思っている。
家は霧の中で黄金色に輝き、玄関は開けられ、土間には真っ赤な敷物が敷いてある。

後ろを見ると女がいない。
すると横からひょぃと小柄な男が出てきた。
「草履番です。お履き物をお預かりいたしやす」
ネズミのような顔をした草履番に無理矢理靴を脱がされた。
俊平は意識が朦朧とし始めてきた。

いつの間にか上がり框に狸のような顔をした着物姿の女が座っている。
「ようお越しくださいました。あなた様は久しぶりの人間様にございます。しっかりとおもてなしいたします」
久しぶりの人間様、と言った。

狸女が奥へ入っていくと俊平の身体も勝手についていく。
朦朧とした意識の中で俊平は、あの女への異常な性的関心を持ち始めている。
頭は俊平でも身体はすでに別人になっている。

狸女が襖をそっと開けて言った。
「お連れいたしました」
障子を開けると中は見事なほどの部屋になっていた。
天井には男女の交じりあいの絵が一面に描かれている。
周りは襖で何やら呪文のような読めない文字が全面に書かれている。

部屋に焚かれている香は甘く切ないような、あの縁側の部屋で匂った匂いだ。
獣の臭いでないことが嬉しかった。
部屋の真ん中には白い敷布団と深紅の掛布団。
掛布団の横にあの巫女が座って俊平を見上げている。

「ようこそわが家においでくださいました。今宵は御礼かたがた身も心も俊平様にお尽くしいたします」
名前まで知っている、と俊平は彷徨う意識の中で思った。

「ではお着物をお預かりいたします」
狸女がそう言うや、俊平の身体から何もかも剥ぎ取った。
俊平は丸裸になった。

狸女が俊平のへそ下をじっと見て言った。
「すでに探っておりますし、健康で血も汚れは無く、よろしゅうございましょう」

俊平は彷徨う意識の中で思った。
(神社でまとわりつき、オレの身体を探っていたのは、この狸女か、ウワッ、道理で臭かったはずだ)

すると巫女はスッと立つと着物を脱ぎ始めた。
ほんの少し前に障子の穴から見たあの女がいま目の前で脱いでる。
たばねた髪をほどくと腰まである黒髪が風もないのに後ろにフワッと流れた。

白い身体に白磁のような滑らかな肌、胸は豊かで、へそ下にある闇の中で黒い若草がそよいでいるように見える。
手や首にかすかに薄く細く浮かぶ血管が生と性への欲の強さを感じさせる。

白く細い指が俊平を誘うようにゆっくりと揺れた。
本当の俊平は隠れ、今いるのは別の俊平だ。
俊平は倒れるように巫女に抱き着き、そのまま一緒に布団に倒れ込んだ。
それを見た狸女は俊平の服をひっ抱えて出て行った。

 俊平はそこまでは覚えているが、それからの記憶がまったく無い。
気づいたら真っ裸で、横に狸女が座っていた。
巫女は消えていた。
布団は乱れに乱れて濡れまくり、何かわからない臭いがしている。

「お気がつかれましたか、ヒヒヒ、あれこれとご苦労さまでございました」
「何があったか覚えてない、頭がふらふらする」
「もうお帰りになられませ、ご用は済みました」
出て行けと言わんばかりだ。

 俊平は訳もわからず裸のままで狸女に尋ねた。
「あんた『「久しぶりの人間様』て言ってたけど、あれどういう意味なの」
狸女はべらべらとしゃべり始めた。
「あなた様はもう用済みですからお話しいたしましょう」
「用済み、てどういう意味よ」

「はい先ずは最初から。あなたが買われた古本はわたしが並べた本にございます。狐華の文字をわざわざ赤丸で書きこんだのもわたしです」
「何のためにそんなこと」
「はい、あのお方つまり巫女は狸婆様の化身にございます。齢(よわい)すでに五百年を超え、その永きご寿命の元は人間の男子との目合い(まぐわい)による精気の吸い取りにございます。

しかしながら少子高齢化による人口減少にて、この辺りもご承知のように若い男子も減り、狸婆様のご寿命を延ばすための人間の男子との目合いもできぬようになりました。

狸婆様には若い男子の精気が必要なのです。頭は並でも身体頑健な男子の精気が要ります。となると行動的なアウトドアー派男子に限られます。そこで地図に目をつけ、あの地図に手を入れ、狐華にチェックを入れ、神社の文字を赤で書き込んだのです。

他にも観光パンフレットや郷土誌や情報誌などにも同様の細工をしております。いわば赤いチェックと狐華神社の文字はアウトドアー派男子を誘う餌にございます、すでに他にも数人の精気提供者を確保しそうで喜んでおります。ヒヒヒ~」

「狐華のチェックと書き込みはそういう理由だったのか」
「はい、あなた様はまんまとそれに引っかかったのでございます。ヒヒヒ」
俊平は重ねて尋ねた。
「ならあの巫女は狸婆か、つまりメス狸の老いぼれか」
「老いぼれ、さようですな」

「狐でなくて狸! それも五百年のメス 婆・・・」
「婆婆言いなさるな、あれはわたしのご先祖様にございます」
「お前のご先祖・・」

「狐は関係ないのか」
「狐は関係おまへん」
急に大阪弁になった。
俊平は狂いそうになった。
(メスの狸、それも五百才の婆とやって精気を吸われたのか、なんなんだ、こりゃ)

俊平は半泣きで自分のあそこを見ながら、狸婆の毛を取っては畳の上に捨てている。

「それでオレの精気を吸い取ったら狸婆は長生きできるのか」
「はい、男子一人当たり十年、三人おれば一気に三十年、いまおよそ五百才ですので、いままでおよそ五十人あまりの男子がお務めになったことになりますな。あとまだ五百年はいけましょう、そのうちわたしも男子の精気を・・ヒヒヒ」

「精気を吸い取られてオレの寿命が縮むなんてことはないよな」
「ヒヒヒ、そんなことはございません、ご安心を」
「その笑い方が気に食わん」
「わたしゃいつもこんな笑い方です」

 蝉の鳴き声で目が覚めた。
車の運転席に座っている。
「思い出さない方がええわ、考えただけでも気持ち悪い。まあ夢でえかった、ありゃ夢だ。そう夢だ、絶対に夢だ。同好会の飲み会での話のネタにはなるだろうな、受けるかもな、この話しは、さあ帰るか」

バックミラーを見ながらバックすると顔が映った。
エエッとおどろいて後ろを見直したが誰もいない。

もう一度バックミラーに手をかけて動かすと映ったのは自分の顔だ。
白髪にシワだらけの老いた顔・・・・オ、オレ・・
俊平の悲鳴が谷に響き渡った。





















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?