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昔の感覚を失うとき

高校のときの通学路がすごく好きで。

朝に見る、木からこぼれ落ちる光とか、水の流れとか。夜疲れた時に見る川に反射した部屋の明かりとか、雲と空の暗い中での色の違い、とか。

とにかく美しくて毎日そこを通っては、毎日同じ写真を撮ってた。カメラロールがほとんど同じ写真になるほど。

今年、大学生になって久しぶりにその通学路を通った。神社にお参りに行こうとしたら、たまたま通った道が通学路だったからだ。

受験生の頃合格祈願に行った神社。年末に2回ほどお参りに行った。でも、あんなに行ける!って思ってた第1希望の大学に落ちてしまって。


でも今になって、もし合格してたらどうなってたんだろうと考えてみたら、きっと漫画は書けてないだろうな、って思った。

私は文系の大学に入学したが、元々は理系で、ガッツリ理系分野の忙しい学部の大学を第1志望としていた。

もし合格してたら、きっと勉強に忙しくて…でもそれなりに楽しい日々だったんだろう。

でも、漫画はかけていただろうか。

そればっかりは分からないが…。


でも今の自分は、合格祈願をした過去の自分も含めて作られている…と考えると今のマンガが書けているこの状況に感謝しないとと思った。


よし、お礼参りに行こう!と。

そしてかなり遅れてお礼参りに。

でもその途中通った通学路。

私が1番好きな川沿いの道。

場違いなネオンの看板。
部屋の窓から漏れる光。
真っ暗で少し怖い川。
そこにうっすら映るか細い光。

あぁ、どれも変わってない。

私の好きな景色。

狙ってるようではなく、素朴で美しい景色。



でも、昔とどこか違う。

昔のように感動しない。

何が違うんだろう。


あぁ、そっか。


私が違うんだ。

名古屋の派手な街並み、町中にきらめくイルミネーション。立派なビル。



それらを見すぎたからだろうか。
名古屋の町に慣れてしまったからだろうか。

1年前こんなに感動した景色が、ただ私が好きだった場所、になっている。

あぁ、もう私は昔の感覚ではないんだ。
素朴で美しいと思っていたものに、もう、感動出来ないんだ…。

なんかとても寂しかった。


それからなんとか神社に到着。もうかなり薄暗い。そして寒い。

お参りして、さぁ帰るかとくるりと振り返ったとき。




目の前に美しい景色が広がっていた。



それは、どこにでもある景色だった。


少し高台で街を見下ろせて、ただ月がぽつんとあるだけ。

なんかその景色が胸に入ってくるようで、とても感動した。

もう高校生の頃の感覚はない。
私は変わってしまったんだ、と寂しかったが
まだ感動できるんだ、こんな素朴で美しい景色に。



神様にそんな寂しくならなくていいんだよ、と言われてる気がした。




読んで下さりありがとうございました。

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