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自分のキャラ


もう、11月半ば。はや過ぎて泣ける。泣いてないけど。
今日の記事は少しキャラを変更してお届けしようかなと思う。書く内容が内容なので、朝井リョウのエッセイみたいな感じで書こうかな。技術がないとナルシストに見えるか難しいけど。
あ、朝井リョウのエッセイはマジ面白いのでおすすめ。小説もかなり好きだけど。
文章でマジって言葉初めて使った気がする笑

自分のキャラって本当に分からなくて、たまに混乱する。大人になるにつれてだんだん私は人前でこういうキャラのことが多い と自覚して今のキャラに定まっているのだが、幼稚園のときは自分でもよく分からなくて混乱していた記憶がある。

まぁ20歳をこえた今でもこの人の前では自信あるキャラでいった方がいいな、とか自信ないキャラでいこうとかあるしね。

というのも、幼稚園とか小学校低学年のときはかなり習い事をやらせてもらっていて、ほぼ毎日習い事、同じ日に掛け持ちしていたこともある。
今も役に立っているなと自覚する習い事は実はほぼないんだけど(笑)、ざっと 公文、水泳、ピアノ、ダンス、習字、ミュージカル、英会話、パズル道場とかいう右脳を鍛える教室などなど。まぁ半分くらいは半年ぐらいでやめてたけど。
ある日、いつものようにピアノ教室に行った。
ピアノ教室は楽しくピアノ弾こうね!みたいな先生のもと習っていたのだが、まぁそこでの私は教室内を走り回り、先生の言うことをほとんど聞かない生徒だった。
多分、先生の楽しくという言葉を子供ながらに勝手に解釈して、子供らしく元気に走り回るというふうに捉えてそうなっていたのかもしれないが、5歳くらいになると流石に先生困ってるよな、ちゃんと真面目にピアノ弾いた方がいいのかななど考えはじめるのである。
でもピアノの先生にお世話になって半年、1年経つと自分の元気なおちゃらけキャラが定着してしまい、もうなかなか引き返せなくなるのだ。私はもっと真面目にピアノをやりたい…!でも私そんなキャラじゃないし…!笑
何言ってんだ、月謝払ってんだぞ、まじめにやれ。と今では思うが、当日これでも色々考えてたんだと思う。
ある日、他の習い事の関係で同じ日にピアノ教室と習字教室を掛け持ちすることになった。
まぁ皆さんお気づきかと思うけど、ここで当時の私は自分のキャラのギャップに気づくわけですね。
当たり前だけど習字教室は礼儀に厳しくて、教室に入る時に手をついて頭を下げよろしくお願いしますと言う。
先生にはもちろん敬語でおちゃらけたり走り回るなんてもってのほか。
習字教室ではそれなりに真面目にやっていたと思う。
つい先ほどまでピアノの先生を困らせていた私は、ここで本当の自分は何なのか子供ながらに考えたりした覚えがある。

まぁでもこれは楽しく弾くピアノと精神を落ち着かせて書く習字があまりにもかけ離れすぎていたからというふうに片付けることもできるが、他の習い事でもそういうことが多々あったのだ。ダンス教室では、真面目にやるものの先生に舐めた口聞く悪ガキだった気がするし。
まぁそういう幼少期のことがあって、エピクテトスの「記憶しておくがいい。君は演劇の俳優である」という言葉に深く共感したり、本当の自分は何なのかというテーマの物語を書いたりしている。

この本当の自分は何なのかについては10年以上考えてきたことなので、ほぼほぼ自分の中で答えは見つかっているが、人間は人格でしか人と接することができないし、あまりに差のある人格を持つと苦しいので気をつけたいというところですな。

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