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中原中也の埋もれた名作詩を読み直す。その38/別離


「別離」は
1934年11月13日の日付をもつ作品。
5節21連の
中原中也としては中位の長さの詩です。
未発表詩篇/草稿詩篇(1933~1936年)の
前半部に位置しています。



別離

 1

さよなら、さよなら!
  いろいろお世話になりました
  いろいろお世話になりましたねえ
  いろいろお世話になりました

さよなら、さよなら!
  こんなに良いお天気の日に
  お別れしてゆくのかと思うとほんとに辛い
  こんなに良いお天気の日に

さよなら、さよなら!
  僕、午睡(ひるね)の夢から覚めてみると
  みなさん家を空(あ)けておいでだった
  あの時を妙に思い出します

さよなら、さよなら!
  そして明日(あした)の今頃は
  長の年月見馴れてる
  故郷の土をば見ているのです

さよなら、さよなら!
  あなたはそんなにパラソルを振る
  僕にはあんまり眩(まぶ)しいのです
  あなたはそんなにパラソルを振る

さよなら、さよなら!
さよなら、さよなら!

        (一九三四・一一・一三)

  2

 僕、午睡から覚めてみると、
みなさん、家を空けておられた
 あの時を、妙に、思い出します

 日向ぼっこをしながらに、
爪摘(つめつ)んだ時のことも思い出します、
 みんな、みんな、思い出します

芝庭のことも、思い出します
 薄い陽の、物音のない昼下り
あの日、栗を食べたことも、思い出します

干された飯櫃(おひつ)がよく乾き
裏山に、烏が呑気に啼いていた
ああ、あのときのこと、あのときのこと……

 僕はなんでも思い出します
僕はなんでも思い出します
 でも、わけても思い出すことは

わけても思ひ出すことは……
――いいえ、もうもう云えません
決して、それは、云わないでしょう

  3

忘れがたない、虹と花
  忘れがたない、虹と花
  虹と花、虹と花

どこにまぎれてゆくのやら
  どこにまぎれてゆくのやら
  (そんなこと、考えるの馬鹿)

その手、その脣(くち)、その唇(くちびる)の、
  いつかは、消えて、ゆくでしょう
  (霙(みぞれ)とおんなじことですよ)

あなたは下を、向いている
  向いている、向いている
  さも殊勝らしく向いている

いいえ、かういったからといって
  なにも、怒(おこ)っているわけではないのです、
  怒っているわけではないのです

忘れがたない虹と花、
  虹と花、虹と花、
  (霙とおんなじことですよ)

  4

 何か、僕に、食べさして下さい。
何か、僕に、食べさして下さい。
 きんとんでもよい、何でもよい、
 何か、僕に、食べさして下さい!

いいえ、これは、僕の無理だ、
  こんなに、野道を歩いていながら
  野道に、食物(たべもの)、ありはしない。
  ありません、ありはしません!

  5

向うに、水車が、見えています、
  苔むした、小屋の傍、
ではもう、此処からお帰りなさい、お帰りなさい
  僕は一人で、行けます、行けます、
僕は、何を云ってるのでしょう
  いいえ、僕とて文明人らしく
もっと、他(ほか)の話も、すれば出来た
  いいえ、やっぱり、出来ません出来ません

この頃だれか特定の人との別れがあったのか。
近く決まっている帰省がきっかけになって
別離の詩を生むことになったのか。
それまでに経験した
だれかとの別離のことか。
もっともっと古い別れのことか。

まっさきに
浮んでくるのは
「在りし日の歌」の中の「三歳の記憶」です。

ああ 怖かった怖かった
――部屋の中は ひっそりしていて、
隣家(となり)は空に 舞い去っていた!
隣家は空に 舞い去っていた!
――という最終連は、

「別離」の第1節第3連の
さよなら、さよなら!
  僕、午睡(ひるね)の夢から覚めてみると
  みなさん家を空(あ)けておいでだった
  あの時を妙に思い出します
――というこのシーンと重なります。

ここで
中原中也の
誕生から幼年期についての
弟思郎の記述に注目しておきましょう。

 中原中也の一生は、故郷との関係で、三つの時期に分かれる。
一、幼年期(出生より小学校入学まで―6年間)
 中也は、明治40年4月29日、山口市で生まれた。6か月後、旅順に赴く。以後、柳樹屯―広島(この間6か月間、山口)―金沢と、父の任地に随い、小学校入学時に山口に帰る。幼年時山口にいた期間は、前後1年間で、大部分は故郷山口を離れた父母の膝下にある異郷にいた。幼時原体験、幼時原風景のほとんどは故郷以外のところにあった。
(学燈社「中原中也必携」所収「事典・中也詩と故郷 中原思郎」より。1979)

よく知られたことですが
中原中也は
小学校入学まで
「土着民」ではなく
「漂流者」であったということが
この発言から理解できます。

「三歳の記憶」は
ある日昼寝から目覚めたら
隣の家が引っ越した後で
もぬけのカラになっていて
その森閑(しんかん)としたたたずまいが
幼心に恐怖感をもって受け止められ
その後もずっと
その時のイメージが残って
一種トラウマとなっている状態を
歌ったものであったことが思い合わされます。

「別離」のこの第1節第3連も
同じ思い出を歌ったものに違いありません。

幼時に体験した
引っ越し=別離の怖かった思い出と
帰郷の列車を見送りにきた女性との別離と。
まったく関係のないはずの二つの別離が
ダブルイメージとなる
不思議な詩世界の出だしです。

そもそも
だれに、さよならし、
だれに、お世話になりましたと言っているのでしょうか。
ここに出てくる女性は
だれでしょうか。

奥さんの孝子ではありませんし
母堂のフクでもなさそうですし
……
長谷川泰子でしょうか。
それとも、交流のあった他の女性でしょうか。
そうではなく
架空の女性なのでしょうか。

第2節に入っても
幼時の思い出が
次々に浮んできます。
日向ぼっこをしながら爪をカットしたあの日
芝のある庭
薄日のさす静かな昼下がり
栗を食べました。

陽に干したおひつが乾いて
裏山ではカラスがのんきな声で鳴いていました。

幼時漂流者ならではの
豊富な記憶を
なんでも
思い出します
なんでも思い出しますが……。

いや
どうしても言えないことがあります。
思い出すけれど
これだけは言えません。
言わないでしょうと
なにやら
人に言えない秘密を
思い出してしまいました……。

第3節は
その秘密を明かしているのでしょうか。

幼い日の
どうやら
初恋というには子どもであり過ぎて
どうやら
性的というには
エロチック過ぎる経験のことでしょうか。

その手、その脣(くち)、その唇(くちびる)の、
  いつかは、消えて、ゆくでしょう
――という、
この初々しくも
性的な匂いのする
忘れることができない
虹と花の思い出。

それを
(霙とおんなじことですよ)
――と思えるのは
現在の詩人なのでしょうか?

第4節では
がんばっている僕が
ついに本音を出して
キントンのような甘いものが食べたいと、
きっと母へ言ってみたものの
無理を言ってしまったと
すぐさま反省する優等生だった僕の思い出。

第5節は
見送ってくれた友へか
いや、付き添ってくれた母へなのか

ではもう、此処からお帰りなさい、お帰りなさい
  僕は一人で、行けます、行けます、
――と意地でも自力で行くからと
さよならを言いますけれど
もっとほかの話もできたはずなのに
――と思ってみたり
いや、やっぱり、できないできない
あれやこれや悔いが残り……

それにしても
目の覚めるように
あでやかなパラソルを
クルクルっとまわすあなたがまぶしい。
目の裏に焼きついて離れません。


最後まで読んでくれてありがとう!



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