爪の先まで神経があるから

道を歩く時。地下鉄の階段から小さく空が見えた時。季節の香りがふと漂ってきた時。

そんな、生活の中の様々な瞬間に、僕は良く、自分の"寿命"について考える。

運命という言葉があるように、寿命というのはもしかしたら、あらかじめ決まっているものかも知れないし、そうでないかもしれない。でもとにかく、僕にとって寿命とは、今この瞬間にも、伸び縮みさせることができる物だ、と思っている。

それは食事に気を使うとか、運動をするとか、人間ドックを受けるとか肉体的な事ではなくて、感覚の問題。

デカルトの有名な言葉「我思う、故に我あり」がとても好きな僕にとって、何かを思うことや、感じることこそが、生きているという最高の証拠であり、最高の喜びだと感じている。

だから、僕の場合は自然、たくさん思ったり感じたりすることが、そのまま寿命の長さになるのだ。

だから、僕はどんな瞬間も、どんな景色も決して逃したくない。

例えば、「この日、10月24日の夕方の空が、どこまでも広がっていきそうなこの空が、最高に綺麗だと感じていることを忘れない」とか「この人とこの道を歩いる、今この感情を忘れない」とか。本当にいつもいつも、そんなことに決意を固めては、自分の感情の存在を確認している。

でも実際は、見逃すことがすごく多い。だから悔しい。その度に寿命を縮める、というより、寿命を逃した気分になる。その度に、もっと楽しめたものが楽しめなかったとか、他の人は気づいたかもしれないのに僕は知らないまま死ぬのか。など、とにかく忙しい。

いっ時は、白目を恨んだ。白目も黒目であれば、視野はもっと広がるから今まで気づけなかったことにも気づけるし、わずか1cmのレンズよりも、2.3cmのレンズの方がありのままに映してくれるような気がしたからだ。少し前に、マンション11階の階段から美しい空を見た時。わざとらしく瞬きを繰り返し、瞬きと瞬きの隙間の明るさが繋がっていくうちに、あるいはまぶたが目玉に擦れるうちに、気づいたら全部黒目になってるんじゃないかと試したこともあった。

話を戻すが、実際にどこかの調査では、大人になって時間経過が早く感じる理由は、身の回りの物事に慣れて、考えたり感じることが少なるからだという話を聞いたことがある。これは天敵。寿命がどんどん縮まることになる。

だから、僕は、刺激が大好きだ。普段、お酒は一切飲まないが、脳みそが麻痺してしまう日常の中で、時々、お酒を浴びるように飲んで街のどこかで横になって、時間と人々がネオンに包まれて流れていく夜の街を眺めながらカラスとかと朝を迎えたいみたいな、そんな欲求に駆られる時がある。笑

刺激どうこうより、ただの爆発なのだろうけど、そんな時に目に映る景色は鮮やかすぎて、そしてそれは心に響き、心が喜び、感情が満ち足りて、生きているという実感が得られる。

生きるために、心がある。明日生きているかどうかは、明日、何を思うか、どこまで感じるかが全てだ。

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