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五井先生の文

そこで私はどうしたかというと、親驚さんと同じように、肉体の人間はダメだ、と思っちゃったの。肉体の人間ではどうしてもそこまでゆくと、考えられなくなっちゃう。そこまでどん詰りにくると、もうどうにもならなくなっちゃう。私なんか実際問題としては、自分のものを剥いでも人にやっちゃったほうのたちだから。一枚着ているものがあっても、脱いじゃって「オレはワイシャツがあるから、服だけやっちゃう」と、服を脱いじゃってワイシャツだけで帰ったことあるんです。向こうはワイシャツもないから、服をじかに着ている(笑)。「お前ズボンはいて、オレは上着」なんて、そういうようなことを実際にしたことがあるんです。そうやると、私はまだ親がかりだったから、母親に文句を言われる。「お前という子はなんていう子だろう、いいことをするのはいいけれども」なんて言われるでしょう。そうするとジレンマに陥りますよ。

それで私は地上界においては、肉体人間の頭ではどうにも動きがとれない、ということを悟ったんですよ。孝ならんとすれば忠ならず、忠ならんとすれば孝ならずでどうにも二つが一つにならないんですよ。どっちか反対になっちゃう。本当に良心的に生きるわけにはいかなくなってくる、この地上界では。坊さんにでもなるより仕方がない。といって坊さんばかり寺ばかりだったら、産業が衰徴しちゃって日本は亡びてしまう。そこで私は肉体人間はダメだ、と言って捨てたんですよ。

「肉体人間ではどうしようもありません。私はどうしようも方法がございません。どうか神様、私の命を神様のいいようにお使いください。人類のためになるようにどうか有意義に使ってください」と神様に投げ出したでしょう。投げ出した時に、私の場合には声が聞こえたからいいようなものだけれども、皆さんは声が聞こえないんだね。「神様、命を投げ出しました」と言っても「ハイ」ともなんとも言ってくれない。私の場合にはいい塩梅に「おまえの命は貰った、覚悟はよいか、覚悟しろ」という声が聞こえたわけです。それで神様に命をやっちゃったわけだから、向こうさんのものだから、神様のものだから、肉体の人間はそこで消滅しちゃったわけなのね。「神様、命をおあげします。どうかお使いください」と投げ出した時には、もう肉体の五井昌久というものは、そこにいなくなっちゃったんです。そこに神様になった五井昌久というものがいるわけです。直霊の中に入っちゃったわけだ。そういうやり方を私はしたわけです。

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