怒られる恐怖から自己否定

悲しいことがあった。

今日、車で曲がるときにカーブミラーのポールに擦って車を傷つけてしまった。相手がいないのは幸いだったけれども…悲しい。

傷ついた車を見ては悲しくなるし、傷を修理するのに時間とお金がかかることを考えると、また更に悲しくなる。

でも、何よりも何でこんなに悲しいのかというと、運転中に咄嗟にでてきた自己否定の意識に気づいたから。

細い路地を運転していて、すれ違いがなかなかうまくいかなかった。私の車はマツダのcx5で、車幅がなかなか広め。相手は軽自動車だったからギリギリすれ違いできそうだったくらいでかなり細い路地だった。本当にギリギリでミラー閉じたりしながら、やっと通り抜けられた。(ここで若干の冷や汗。)

ふぅー、やっと通り抜けられた。と、ひと息ついたら、次の交差点で、2台も待っているのに気づき…全く気が休まらないまま、交差点まで進んだ。

1台目の車に乗っている男性が目に入った。すると男性はタバコを窓から出て投げ捨た。かなりイライラした様子に見えた。

本来、私はその交差点で曲がるつもりはなく、男性の車がいる方の道へ真っ直ぐ進みたかった。男性も、私のいる方に進みたいようでウインカーは出さない。私に曲がれと言っているようにしか思えなかった。(ここで、大分私は恐怖を感じてた。)

私も真っ直ぐ行きたいのに…でも、この男性はすごく怒っている。(と私が勝手に解釈して)

そんな怒っている男性をみて、私はこう思ってしまった。

私がいけない。私のせいで。

私の運転が下手ですれ違いに時間がかかったせいで、この男性を怒らせてしまったんだ。私がいけないんだ…私のせいだ…私も真っ直ぐ行きたいけど、迷惑かけたから、曲がって行こう。って、思ってしまった。

それで、焦ってカーブしてしまい、カーブミラーのポールに擦って車に傷をつけてしまったというわけ。

冷静になって、あの時のことを振り返ると、私が悪いわけでもないのに、あの男性を怒らせたのは、私で、私のせいで…迷惑かけたと考えてしまった自分がいたことに気づいた。そんな自分が猛烈に悲しくなった。迷惑かけたなんて思う必要全くないのに。

なんで、こんなに自己否定しているんだろう。って。

軽自動車とすれ違う時も、私の車もギリギリまで寄せていたし、あれ以上出来ることは無かったし、すれ違うのに時間がかかってしまったのは仕方がないこと。

男性がタバコを投げ捨てたのは事実だけど、男性が実際に怒っていたのか、イライラしていたのか、どんな気持ちだったのかは定かではない。そして、怒っていようが、イライラしていようが、それは男性の問題であって、私の責任では全くないのに。

なのに、あの時は、

怒られるのが怖い。怒らせた私が悪い。

と咄嗟に思い込んでしまう私の思考癖がでちゃったんだろうな。

怒られる事に対してすごく恐怖を感じている私がまだまだいるんだなぁと思い、悲しかった。

そんな私には気づけたという事は、また一つ私を癒してあげられるということだから、悲しむより喜ぶべきことなんだよね。本当は。

相手の反応が怒っていたり、イライラしていると、私はすぐに自分を責めてしまう癖があるんだな。と再認識。あとは手放すだけ。

怒られる恐怖を無くしたい。私が私を全力で守りたい。

今日みたいな思いはもうしたくない。

私のせいで…私がいけないんだ…なんてもう思い込ませたくない。

相手の反応は相手のもの。

もしも、相手がとても怒ることがあったとして、本当にそれが私に非があることなら、誠心誠意謝ることは必要だし、したいと思う。けれども、私のせいで…私がいけない…という自己否定の意識をくっつけることは辞めたい。

この私の自己否定話を夫にしたら、夫は、交差点でタバコを投げ捨て全く動かない車に対して、「クラクション鳴らしてやればよかったじゃん。」って一言。笑。

夫は自己否定皆無。自分を愛する力がかなり高め。だから、私も随分自己否定しなくなったと思うし、自己否定に気づけるようになったと思う。夫にはいつも感謝。

気づけたら手放せばいい。手放せるまでとことん自分と向き合うしかない。気づく、手放すの繰り返し。わたしが私に戻ることを諦めない。


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