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博多雑煮の思い出

昨年母が逝ってしまい、入れ替わるように福岡の実家に転がり込んだ次男と2人きりの2024年のお正月となった。お雑煮とがめ煮(筑前煮みたいな煮物)だけ簡単に準備して元日を迎えた。次男は3が日も仕事なので、今日は一人で箱根駅伝中継を見ながら昼ご飯にお雑煮を食べきった。

一人ゆっくりお雑煮を食べるなんて、今までの人生になかった気がする。おせち料理は毎年残ってしまうが、お雑煮、がめ煮、好きなものだけ作って食べるのはかえって贅沢?そんなことを思いつつ、30年近く前のお正月に東京の夫の実家で作った博多の雑煮を思い出した。

それは結婚した翌年のこと。
北海道出身の義母が博多の雑煮を食べたことがない、食べてみたいと言われて嬉しくて、私の母に習って一度リハーサルをした。初めての夫の実家でのお正月で、嬉しい反面「うまく作らなくちゃ…」とプレッシャーもあったかも。

博多雑煮はあご(トビウオ)を焼いて出汁をとる。私の母が作っていた雑煮が一般的な博多雑煮なのかはよくわからないけれど、我が家ではブリの塩焼き、鶏肉、にんじん、里芋、かつお菜、焼いた丸餅を入れる。仕上げにミツバ、ゆずの皮をむいて刻んで入れる。

年末に上京して、スーパーで小さなブリの切り身は手に入った。東京では刺身もマグロばかりで、ブリを探すのに毎年一苦労。かつお菜は手に入らずほうれん草で代用。焼きあごは福岡から持参したのだったかなぁ、あまり覚えていないけれど。

最近は東京のスーパーでも手に入ります

野菜や出汁の下ごしらえさえやっておけばそんなに手間はないが、一人でお雑煮を作って夫の家族に振る舞うのは料理は上手でもない新米主婦にとってはなかなか大変。キッチンツールも調味料も初めての場所だし。何か入れるのを忘れるんじゃないか、九州の味付けでいいのかな?前の晩から緊張した。今思えばかなり頑張った、私。(笑)

いざ元日の朝、お正月用の塗りのお椀を並べているときに、実家の母に言われたことを思い出した。

「もし塗りのいいお椀だったら、お餅がくっついて塗りを傷めてしまわないように、大根を薄く切ってさっと湯通ししてお椀の底に敷いておくといいよ」

しかし、お椀によそう直前に思い出したので、今から大根を準備する暇がない!とりま、大根を薄く切ってそのままでお椀の底に敷いとこう~。食べる前に「大根は生だから食べないでください」って言えばいいから。

博多の雑煮を初めて食べた夫の家族、特に北海道出身の義母は珍しがって
「おいしい、おいしい」
と喜んでくれた。おかげでホッとして緊張が解け、おせち料理や義母の作った「氷頭なます」を私も初めて頂き、なごやかに家族の食事が進むうちに、

「ポリポリ…カリカリ…」 
それは、義兄が大根をかじっている音では???
「しまった、言い忘れた…」
案の定、「大根が生だから食べないでください」を言い忘れた!
今なら迷わずすぐ言える。しかし、その時は義母のおしゃべりの腰を折ることができずに、「あちゃ~どうしよう?」
とモゴモゴしているうちに、義妹も夫も義母までもが大根を食べ始めた。
「ポリポリ…カリカリ…」(笑える…)

いよいよ、
「あの、その大根は生だから食べないでください。お餅がお椀にくっつかないように入れただけなんです…」

夫の家族はびっくりしていましたけれど、
「そんな上等のお椀でもないから気をつかわなくても大丈夫。それに初めて食べるから、博多のお雑煮には生の大根が入ってるのかと思った!」
と笑いながら、大根をキレイに平らげてみせてくれた。

その後のお正月も度々、博多のお雑煮を夫の実家で振舞いました。
いつも「おいしい、おいしい」と食べてくれた優しい義母と義兄。それに、料理上手だった福岡の母も亡くなってしまった。

母が大根を敷いて大事に扱っていたお正月用の塗りのお碗も、箱にしまったままもう使わなくなってしまった。
今年は気持ちもまだ沈んでいたので、お正月は簡単に済ませてしまったけれど、来年は塗りのお椀を出して子どもたち家族を呼んで雑煮を振る舞うのもいいかな?
来年のお正月は、明るく元気にお正月料理が作れるようになるといいな。

映画のことばかり書くnoteにしているにもかかわらず、さらに2か月以上ぶりのnoteなのに珍しく別のテーマを書きました。自分のなかで迷いがあるのか?新年だからか?

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