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ダムの話

「もういっぱいなんですよ」
と言われた。8歳の娘と通うつもりだった水彩画教室。「もしかしたらキャンセルが出るかもしれないから、メールだけください」と先生に言われる。

先生の個展を見に行った。「空きはありますか」ときいたとき、私は泣くつもりなんてなかった。「娘と一緒に通いたいと思っていて」と話したとたん、「娘」と言ったとたん、これはやばいと気づく。みるみる目がくもり、ダム決壊。先生はびっくりしたと思う。大変申し訳ないと思いながら、とめられなかった。時々、こういうことがある。この現象は、誰の前でも起こるわけではない。なんというか、そのひとの包容力みたいなものを感じてしまうとゆるんでしまうのだ。すごくはずかしい。

先生は私のことは知らないと思う。私は一度お会いしたことがあるけれど、先生は覚えていないだろう。「ちょっと待って、座って」と言われる。「落ち着こう」。言い訳をしようとすると「大丈夫、今しゃべらなくていい」それを二回言われる。でも、ひとの個展で泣くなんて有り得ないから、いそいでダムを修復して、「ありがとうございます!」と言って帰った。先生はさばさばしていて、緑のワンピースがとっても似合っていて、五年前くらいに会った時と変わらなかった。私の好きな友だちによく似ていている。ピアノをジャーン!と勢いよくひく友だちに似ている。

帰り道、なんで泣いたかを考える。空きがなかったからではない。娘が不登校になりそうだ、という状況に私は動揺している。まだ動揺している。不登校を持つ母親のステージってあるのだろう。私はまだレベル1なのだろう。ピアノをジャーン!とひく友だちの子どもも不登校の時期があったし、もう一人の大好きな友だちの子どもも一年半不登校だった。だから、今度彼女たちとおしゃべりしようと思うのだけど、気持ちを伝えることもエネルギーっているんだなあと思う。友だちであっても、もやもやを口にすることは、エネルギーがいるということが分かった。まだそのエネルギーが私に足りなくて、いつ話しをするかを決められずにいる。

登校班の子どもたちの
黄色い傘が見える。
行ってらっしゃい。

今日をいい日に。
今をいい時に!


★ロイヤルホストのカシスのアイス◎