家族写真

姉がもうすぐ海外に行く。5年も行く。姉とは頻繁に会うわけではないけれど、そう簡単に会えなくなると思うと、やっぱりさみしい。出国日も決まって、見送りに行くかどうか、ちょっと考える。空港に行ったら頭が痛くなるほど泣くだろう。もう分かる。だからやめておくことした。夫にそう話すと、「え、なんで泣くことになるの?見送りに行けばいいのに」と驚かれる。「だって、ちょくちょく日本に帰ってくるんでしょ」とか言う(実際、そうらしいけれど)。夫の要素が私にあればなあ、と思うことがある。泣かない(というより泣けない)、という見送り方もあるのか。それは私にはやっぱり難しい。

父を担当する医師。私と同じくらいの年齢なんだろうな、と診察のたび思う。とにかく分かりやすく説明してくれる。心がけているのだろう。この医師のおかげで、父の体調はかなり良くなった。父が涙目になって「先生、ありがとう」と伝えている。「先生、お話が上手だから」とさらに伝えている。医師がそれを聞いて、ぶはっと笑って。「お話が上手って。お話が上手なだけじゃダメなんです!」とか返してくれて。いつもかならず笑いのある診察室になる。ありがたいなあと思う。ここは何時間も待つ、でっかい病院だというのに。あったかい診察をしてくれる。
医師は、父の私の、目をよく見て話してくれる。医師は今回も言った。「10あるうちの2しか機能していない状態」と。父はこんな風に、はっきり言われたのは、はじめてだなあ、と前回の帰り道につぶやいていた。それを今回も医師は伝えた。そう伝える必要があって、伝えているのだろう。

姉は「お父さん、私が帰ってくるまで元気でいてね」と父に伝えていた。姉の出国前に必ず家族写真を撮ろう、と決める。「え?家族写真?」と母にきかれる。「お父さんとお母さんとお姉ちゃんと私の写真を撮るから」と母に伝える。三脚と一眼を私は持っていく、と。「いつ、なにがあるか分からないし」と言って、「ああ。そうねえ」と母が言って。そのつもりだから、と電話で伝えながら、不意にこみあげてくるものがあって一瞬声が出なくなる。一息おいて「じゃ、また!」と言って電話を切った。

家族写真を撮る時も私は泣くでしょう。私が一番先に泣いて、みんな笑うでしょう。でも姉も泣く。涙腺の弱くなった父も泣いて、母も泣く。みんなたぶん泣く。そして、泣きながら笑っている。これは予測でしかない。どうなるか分からない。一切泣かずに撮るかもしれない。

でも、とにかく。
このいろいろあった家族の、
家族写真を私は撮る。