幸福を求めるのが人間というもの


#こんな社会だったらいいな

ーまず前提条件としてー

そもそも人はなぜ仕事をするのだろうか?

お金を稼ぐため?お金を稼ぐためならなぜお金を稼ぐのか?

お金を稼ぐ目的は大きく分けて二つある。それは、

・生きるため
・社会貢献するため

この二つである。

【生きるため】

結局のところ、人はお金を稼がなければ生きることはできない。
衣食住の確保、それが最低限度必要なお金の量と言っていい。
もちろんそれだけでは不安は残る。
現代の日本では、老後の問題もあるし、万が一のためのお金がなければ、急病に対処できない。

(ちなみに、私は保険のビジネスを持っています。参加していただければ通常の保険より安いうえに稼ぐこともできるビジネスです。連絡をいただければ詳しい話をします。)

とはいえ、具体的にいくらくらいの出費が想定されるかの計算がきっちりできていれば、それだけの貯金があればいいだけの話でもある。

故に、生きるためのお金というのは、自分一人を養うだけの金額を稼げばそれで終わりということにはなる。

【社会貢献をするため】

第一項目では生きるために仕事をする必要があると書いたが、厳密にいえばお金を稼がないでも生きることはできる。
例えば、ニートであっても親が養っている間はー学生と同様ー食べていくことはできるので生きるだけなら問題はない。(今後の課題こそあれど、心中するつもりで規制するなら後の影響などはないといってもいい)

次に、生活保護という手もある。あまり推奨される手ではないが、うつ病の面して医者の診断を受ければ、定期的にハローワークに顔を出す義務もなしに、生きていくだけならできるという話を聞いたことがある。
どうしても働きたくない、でも収入もないという人はこういう生き方も考えてみてはどうだろうか?とはいえ、これから話す理由においてそれじゃダメだろと思う人が大半であることを願いたいものではある。

さて、第二項目の本題に入ろう。

人は承認欲求の生き物である。
社会性動物であるため、誰かに必要とされていることが幸福と直結されるのはおそらく言うまでもないことだろう。

科学的な見地としても、(自主的に)社会貢献ーすなわち、募金や親切ーをすることによって、人は幸福を感じるようにできていることも分かっている。
5ドルを他人のために使った場合と20ドルを自分のために使った場合とで幸福度の違いを調べた際も他人のために使った場合の方が幸福度が上がるという研究もあるくらいだ。
さらに、コカ・コーラの会社が広告をやめて募金のための戦略を立てた際にかなり儲かったという話もあるため、金を稼ぐうえでも社会貢献が最も利益としても大きいということがわかる。

とはいえ、誰にでも親切にすることは推奨できない。
なぜなら、性格の悪い、自己中な人間というのはどこにでもいて、あなたの自己犠牲を利用して儲けようとする人がいるからだ。
あなたの周りにもいないだろうか?いい人の面をして損をさせてくれる人間というものを。

お互いに得をするWIN-WINの関係を作れる人たちとのコミュニティを形成して、嫌な人間を排除しておけば、そのコミュニティにおいては間違いなく幸福であるといえる。

結局のところ

お金を稼ぐ目的というのは、第一に不幸を避ける(自分のために稼ぐ)ためであり、第二に幸福を得る(他人のために稼ぐ)ためである。

私はこの世には悪しか存在しない(生きているだけで人間は罪を背負う)と思ってはいるが、善行というものをあえて定義するのであれば、人類全体の幸福度を上げることだと考えている。

そのためにお金が必要であり、お金の使い方を考えなければいけない。

世の中は「自分のためだけに金を稼ぐ人が多い」という勝手な印象を抱いている。(もちろんただの主観だ。)

他者のためにお金を使えるようになれば貰った方も上げた方も幸せになることがわかっているのだから、幸せを追求する人間であるからこそ、誰もが他人のためにお金を稼げる社会を作っていくのがいいのではないだろうか。

とはいえ、社会貢献を強制された場合の幸福度は実はたかが知れている。
ある程度の選択肢でもって、他人のためにお金を使えるように政治家、経営者、労働者、すべての人間に周知できるような世の中になることが最も望ましいことではないだろうか?

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