ターンテーブルの幸福(8)

今回は、そのレコードジャケットをアップできない。それはサインが入っているから。そのバンドのボーカリストは、20年前も今も、とてもエネルギッシュだ。
さてレコードプレーヤーを買い、手元のレコードを聴きなおしているうちに
記憶から消えていた、ある曲に再会した。
「僕らの国でも」 作詞:伊達歩 作曲・編曲:水谷公生 
演奏するのは「LAZY」である。
アイドル路線から一転、本来のハードロックで全曲が組まれている名作アルバム「宇宙船地球号」は、日本のミュージックシーン、ロックシーンを語るときに、外せない1枚である。特に1曲目「DREAMER」は、その後の「LOUDNESS」の高崎晃氏のギタースタイルの原点ともいえるプレーが聴かれ、この曲をコピーしたと公言するプロミュージシャンも多い。

そしてB面 2曲目に「僕らの国でも」という曲がある。
冒頭から「ブラウン管から流れるニュースは・・・」と歌いだされて
「地図だけで覚えた国」での戦争を憂い、このままでは「大人たち」が
決めた戦争が始まって、そのときに髪を切って、恋人と別れて
「君達」は走れるのか? と問われている。
歌詞では、君達・・・とされたが、もちろん「僕達」に向かって
歌われていることは、誰もが理解するだろう。

このアルバムが発売されたのは、1980年12月である。今から42年前。
そして今、世界を混乱させている戦争について、ワシントン・ポストは
2021年12月に「年明け早々に侵攻することを決めた」と報道した。
戦争を求める人はいない・・・というのは真実では無いとも思うが
誰もが「心の平穏」を求めることは真実だと思う。それが、人によっては
「戦うこと」だったりすると、戦争は無くならないのではないか。
40年以上・・・紛争が終わらない国々もあろう。
私たちは直接国内が戦地になる経験も、家族が戦地に行った経験も積んでいない。

1980年のロックバンドは、歌っている。
「どこかでの誰かの事件は、いつの日か 自分のことになる」

日本のどこかに、まだいらっしゃるレイジーファンの皆様。
お手元のLPを出し、歌詞を読みなおしてみましょう。
やはり私たちの敬愛するバンドは、この時からグローバルサイズでありました。 


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