goma

物語がすきです。答えのないことをあーでもないこーでもないと考えています。

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最近の記事

映画の感想「エゴイスト」

自分の中にある欠落を見つめる。その欠落を埋めること。 その欠落のせいで、みんなが知っている当たり前のことが分からない。そして、またその欠落を静かに見つめる。広くて清潔だけど冷たい自分だけの場所で。 でも、もしかしたらそのような欠落など、本当はないのかもしれない。対話の相手は、キミは愛に満ちた全き「親愛なるあなた」だと言ってくれてるじゃないか。 喪失は繰り返されるけど、救いはある。きっと、広くて清潔な自分だけの場所は、少しだけ暖かくなっている。生活の匂いとともに。 ****

    • with or gone ~ep.1/2~

      春の気持ちのよい宵。空には満開の桜を照らす満月が浮かぶ。できることならこんな夜に花の下で死んできたい。 と、歌にしたのは誰だっただろう。どれほど時代が変わろうと、自らの死に際のままならなさに人は思い煩い、最期はこうありたいと願うものだ。 と、多くの人があきらめていたあの頃から、さらに時代は進んだ。 あの頃がずいぶん昔に感じるけれど、今も相変わらず我々は生きていている。今とはいつだろう?今とあの頃は時間にしてどのくらいの隔たりがあるのか。はっきりは分からない。でも、我々は今

      • 帰り道

        最後の電車までにもう少し時間がある。おしゃれなカフェで一緒にケーキでも食べよう。彼女の笑った顔がみたい。 近くによさそうなお店があればいいのだけど。ここはとても大きな街にあるとても複雑な駅だ。何がどこにあるのか、どうやって行くのか。迷わずに行きたいところに行けるほど、僕はこの街を詳しく知らない。時間のことを考えると駅を離れない方がよさそうだ。 でも、僕は彼女を笑顔にしたかった。 「ねぇ、お茶なんてしなくていいからホームに降りて電車が来るまでお喋りしようよ」 「せっかく

        • ある日、波のような

          顔を上げると、女が立っていた。肩より少し長いくらいの髪には少しウェーブがついている。きれいな黄緑色の靴を履いている。女は私のすぐ目の前に立っている。うつむいていただけで目を閉じていたわけではないから、女のきれいな色の靴に気が付かなかったことが不思議だった。 「何かご用でも?」私の目の前にたたずむ女に、声をかけてみた。悪くない顔立ちだった。 女は私の問いには答えず、淡く微笑んだだけで私に背を向けて駅の方に歩いて行った。よほど追いかけて行こうと思ったが、私には用事がある。ここ

        映画の感想「エゴイスト」

          チーズへの影響

          ねずみ「明日のチーズへの影響ってなんですか?」 ヒツジ「明日・チーズ・影響、それぞれの言葉の意味はお分かりですか?」 ねずみ「そりゃ分かっていますよ。何が明日のチーズに影響を与えるというのです?」 ヒツジ「何が明日のチーズに影響を与えるとお考えですか?それはねずみであるあなたにしか分からないのです。何せ私はヒツジなのですから」 ねずみ「明日のチーズへの影響だなんて、考えたこともありません。チーズは今日も明日もチーズです。何かのせいで明日にはいつものチーズではなくなる、

          チーズへの影響

          潜水訓練

          今日は潜水訓練の日。訓練参加者は、私以外全員男性。訓練用の黄色い潜水服に着替えるため、更衣室に向かう。 私だけが女性。潜水訓練専用の更衣室などない。単に女性用更衣室だ。扉を開けると、中には多くの利用者がいる。きれいな下着を少し隠しながら着替えている人、授乳している人、ヘアドライヤーをしている人、化粧直しをしている人。 そんな様々な女性たちの中で、私は黄色い潜水服に着替える。潜水服は私物ではない。汚れてくたびれている。前回の訓練時の水気が残っている。床を少し濡らしてしまった

          潜水訓練

          大人の事情

          ― 勝手に作って勝手に壊して。 ― うまく説明できない。でもそれしか選びようがなかったし、選んだことには少しの後悔もない。 親だって人間なのだ。それはそうなのだけれど、でもやっぱり悲しかったし寂しかったし怖かったのだ。自分なりに大切にしなきゃと思ったものを、大人の事情で取り上げられたらたまらない。 5年間。成長のダイナミズムには十分な時間。その時間に起こった出来事は血や骨や内臓といっしょくたになって十代の身体を大きくする。そして身体の一部になる。大人の事情をめぐる出来事

          大人の事情

          出会った頃のように

          彼との最後の夜、いつものファミリーレストランで。彼女は涙をこらえきれず店の外に飛び出す。 止まらない涙に、彼女は何を思ったのだろう。 出会った頃の二人にはもう戻れないこと。たぶん、もう二度と。認めたくない直感。でもそれは悲しき確信。 十代の終わりと二十代の始まり。そして、その次の十年。そんなに大切なものなのだから、失くすことなく生きていくことだって、いくらでもできそうなのに。まるで最初から決められているみたいに、あるいは何かの儀式のように、私たちは失いながら大人になって

          出会った頃のように

          鳥のように

          やってきたこと、やりたいこと、やらなければならないこと、できないこと。 後ろを見れば自負と自信と後悔。前を見れば希望と不安。どれも自分自身、最後は自分で引き受けるしかない。 そんなとき、ふと横を見るといつも隣にいる人。支えてくれる人。理解も誤解も含めて自分のことをわかってくれている人。 今、自分にとってたいせつなものは何か。岐路はいつだって選択を迫る。両方は取れない。取らなかった方の人生を考えて、すこし苦い気持ちになる。 でも、結局どちらを選んでも間違いにはならない。

          鳥のように