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僕の東大不合格体験記


合格体験談はたくさんあるけれど



いつか書こうと思って書かないでいたのだけど、今日は雪が降っていて外に出られず、せっかく時間があるので書くことにした。


世の中には「合格体験談」は星の数ほどあるけれど、「不合格体験記」なるものは僕が知る限り4つくらいしかない(本当にそういうものが存在していて読むと結構面白かった)。


需要があるか、誰かの役に立つか、そもそも面白い内容なのか、などはよくわからない。僕みたいな暇で物好きな読者がいるかもよくわからない。とりあえず書いてみる。


内容としては「東京大学(文科三類)を2度受験して、2度の不合格を経験して、何を思いその後の人生にどんな影響があったのか」ということ。


東大を目指したきっかけ


僕が東大を受験することになったきっかけは、同じ高校の同級生たちが「うちの高校から東大なんて行けるわけない」と口にしていたからだった。そんなにいうなら、じゃあ、おれがやってやるよ、みたいな感じ。バカだね。


我が母校の水泳部は屋外プールを使用していたので、冬になると帰宅部に変身する。要は、血気盛んな高校生がやることもなく暇を持て余す季節なのだ。それで僕は部活の同級生に「冬の間に勉強して学年1位とったらすごいよな」と冗談で言ったら、「無理に決まってるだろ」と返された。じゃあ、おれがやってやるから。ただのバカでしかない。


こんなふうに僕はバカなので、その日から毎日塾の自習室に通うことにした。そこで中学時代の同級生と再会して、毎日一緒に自習室に通うことを取り決めた。今から振り返ると青春の一コマみたいだ。これが可愛い女の子だったら間違いなく青春だった。あくまでも青春みたいでしかないのは、その同級生が顔とガタイのでかい野球部の男子高校生だったから。


その同級生(以下KK)と切磋琢磨しあったおかげで、僕の模試の成績は面白いくらいに伸びていった。高一の夏の河合塾の模試の偏差値が総合65で、冬になると75以上に伸びたと言えば、だいたいのところは伝わるだろうか。英語の偏差値は80を超えていたはず。


そんな僕の凄まじい成績の伸び具合を見たKKがある時、「お前なら一橋いけるだろ」と言ってきた。なんか腹が立った。「なんで東大じゃないんだよ」と。実際に言い返したら「東大は流石に無理だろ」と言われたので、じゃあ(以下省略)。


こんなふうに、はっきり言ってまともとは言い難い成り行きで自分の目指す進路を決めてしまったわけだけど、最終的にどこまでいったかと問われれば、「まあ、十分勝負になるレベルまではいった」と答えられると思う。


もうずいぶん昔の話で、しかも個人的には割と「どうでもいい寄りの記憶」なので、あくまで参考程度に模試の成績を記しておく。判断は読者に委ねる。


高2河合塾模試 5回くらい受けて全て偏差値75以上
  駿台模試  偏差値65以上はとったはず

高3東大模試(夏・秋)
  河合塾 C・B 数学で採点ミスされたのを忘れない
  駿台  D・C

浪人時東大模試
  駿台(秋のみ)B 浪人時代は何も勉強しなかった

センター試験
現役720 浪人760

実際の東大入試
現役・浪人の順で()の中は合格者平均

数学 34?(33?)・48(46)
国語 58(たぶん55くらい忘れた)・68(55くらいだと思う)
英語 48(65だったっけ?)・65(全然思い出せないけど65?)
世界史 両方30くらい(たしか両方35くらい)
地理両方25くらい(両方35じゃないかな)


とにかく国数は合格者平均を超えていたことは覚えていて、あとはよくわからん。


ちなみに東大では不合格者に「落ち判定」なる書類が発表と同時に送付される。

現役C(合格最低点から30点以内)  

浪人B(合格最低点から20点以内)


高1の終わりには学校内の模試で学年2位になって、高2の春には1位になった(そこからずっと1位をキープした)。塾内のテストでも筑駒・学芸大付属の同級生に次いで3位の位置についていた。


そういうわけなので、学内でも学外でも、僕が「いや、あの、まあ、一応、東大志望です」と言っても、さすがにだれも文句は言わなくなった。結果は散々だったけど。


東大不合格の理由


世の中には、というか僕の周りにもいわゆる「学歴コンプレックス」を抱えている人は少なくないようだけど、僕は東大に行けなかったことを何とも思っていないし、なんなら「東大になんて行かなくてよかった」とさえ思っているけれど、それについては後ほど。


そういうわけなので、割と客観的に自分の勉強の問題点を分析できると自負しているのだけど、最大の原因は「完璧に合格しようとした」ことだったと思っている。つまり、全科目で合格点を取って、あわゆくば10点ほどオーバーして余裕の合格を勝ち取ろうと欲張ったのだ。


東大は日本の大学の中で最も受験時の科目数が多い大学で、センター試験では5教科8科目、2次試験では4教科5科目の筆記試験が課されている。


比較のために記述しておくと、一橋大学と京都大学の2次試験は4教科4科目だったと記憶している。たかが1科目と感じる人もいるかもしれないけれど、この1科目の追加は受験生にものすごく大きな負担をかけてくる。これはたぶん実際にやった人間にしかわからない感覚かもしれないけど(なんだか上から目線ですみません)、僕は東大受験の最大の難しさは「科目数の多さ」だと考えている。


もしも今の僕が当時の自分にアドバイスをできるのなら「2次試験の1科目(僕の場合は「地理」)は捨てていい。それからセンター試験では90%はいらないから確実に85%をキープできるように対策しろ」というだろう。2次試験の4科目全てで合格点を取ることは、中高一貫の生徒や浪人生でない限り時間が足りないから(センター試験で90%も同じ)。


まあ、でも、実際に僕が過去の自分にアドバイスできるとしても、僕はたぶん何も言わない。というのは、これは自分でやってみて初めてわかることだし、やってみてうまくいかなかったことも含めて経験だと思っているから。


たくさんの科目を全てこなそうとしたら、どう考えても時間が足りなくなる。このことは受験以外でも同じで、人生では優先順位を決めて「やらなくていいこと」を捨てる冷静な判断を下す必要があるということを、僕は身をもって学んだのだった


それからもう一つ学んだことは、「受験生は最低でも1日10時間勉強しろ」という教えが嘘であること。これも落ち着いて考えればわかることで、社会人ですら(一応)1日8時間労働しかしない(これでも多いと思う)のに、まだ自分の心身のコントロールの仕方を知らない高校生が10時間も集中力を維持できるはずがないのだ。


もしこの記事を読んでいる受験生がいたら、10時間勉強なんてしなくていい。そんなことを強制してくる大人たちは、僕に言わせれば「そもそも自分が勉強の仕方を知らない大人たち」だから。大切なことは「どれだけ集中できるか」であって、とりあえず長時間机に向かっていることには何の意味もない(もちろん10時間集中できるならやったほうがいいけども)。


食事の時に単語帳を見る必要もないし、寝る時間を削る必要もない。趣味や好きなことがあるならやればいい。僕は高3の秋以降に「受験のため」と思い込んで大好きな運動を「封印」してしまったけど、実は「運動をすると脳にいい影響がある」と後から知って、非常に後悔している(興味がある人は自分で調べてみて)。


運動に限らず、好きなことや趣味の時間、それから友達や家族と過ごす時間はきっちり確保した方が、結果的には勉強の集中力も高まる。間違っても「合格したければ全てを勉強に捧げなさい」と嘯く大人たちは信じない方がいい。どこの世界にいけば1日中集中できる人間がいるんだよ?(というか、言ってるあんただって無理やろがい)。


「学歴」が証明するものの正体


学歴社会なる言葉があるように、少なくとも日本では高学歴であることが良いこととされ、多くの親や教師は生徒が「なるべく偏差値の高い大学」に進学することを良いことだと信じている。

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