見出し画像

弱体化したポケモンたち 発売前を楽しむレジェンズZーA③

今回のテーマは「ポケモンたちが戦闘能力を低下させた理由」について。


前回の記事では、ポケモンたちの多くは進化・適応の過程で戦闘能力(≒種族値)を低下させた、という話をした。
私の推論では、ポケモンたちはやむなく弱体化したのではなく、自ら選んで強さを捨てた。


なぜポケモンたちは時を経るごとに弱くなったのか?
その答えは、「他のポケモンと共存するためには、強くなり過ぎない方がよかったから」だ。



前回のおさらい


本題に入る前に、前回のややこしい記事を読んでいない読者のために「前回までのあらすじ」を紹介する。
(もちろん、本ブログはボボボーボボーボボではないので、前回の記事はちゃんと存在している)


私たちは「メガシンカとは不完全なゲンシカイキである」という仮説の立証に励んだ。
その理路をざっくりと説明すると次のようになる。


・メガシンカ=メガ「進化」ではない。つまり、メガシンカは「最終進化の先にある進化」でなく、私たちが通常考える「進化」の延長線上にはない全く別の現象である。

・(製作陣が考える)進化とは、「より強くなること」ではない。むしろ「サイズダウン・過剰器官の削減(ひいては弱体化を招くこともある)による効率化」である。

・「進化=効率化」仮説の証拠としてパラドックスポケモンを考察し、過去から未来へと時間が進むにつれてポケモンたちが「シェイプアップ」していることをデータにて示した。

・メガボーマンダがトドロクツキ=ボーマンダの古代の姿の「不完全な再現」であると考え、そこからメガシンカは「古代の姿へと回帰する現象=ゲンシカイキ」に分類すべきだと仮説した。


一部のメガシンカポケモンはなぜ体重が増えないのか?


私は製作陣が考えているであろう「進化・適応」の定義を「身体器官の軽量化によって機能の効率化を図る営み」と読み解いた。
そして、実際にメガシンカできるポケモンの大きさを、メガシンカ前後で比較したところ、私たちの仮説を裏付けるデータを得ることができた。


メガシンカできる50種類のポケモンのうち、43種類のポケモンはメガシンカによって高さ・体重のいずれかが増加した。
メガシンカによる高さ・体重の変化がなかったのはわずか5種類だった。
一方で、メガシンカによって体重が減少したポケモンはメガミミロップ・メガミュウツーYだけであった。


体格に変化のなかった5体については、私はかなりの自信を持ってその理由を述べることができる。



ガブリアスは「戦闘的になった」(戦闘的であることが「古代化」であることを本記事では示す)。
ゲンガーはゴーストタイプであり、霊的=非質量的な部分で強化を遂げたと思われる。
チルタリスはフェアリータイプの追加で、やはり非質量的な属性の強化と考えられる。


フーディン・チャーレムに関してはエスパータイプであり、メガシンカによって解放された能力が知能的・精神的なものだったため、肉体的な変化を被らなかった。
メガミュウツーYについても同様で、メガシンカが引き起こしたのはあくまで脳機能の高度化であり、肉体に関しては増加の必要がないどころか、むしろ体重の減少が確認された。
(本筋には関係がないが、ミュウツーとリザードンに関してはメガシンカ先がXYの2種類存在するので、機会があれば別に考察したい)


また、ミミロップについては図鑑にあるように「毛皮を脱ぎ捨てたから」(5kgもあるらしい)軽くなった。


長々とデータを解説して見せたが、重要なことは「(ほとんどの)ポケモンはメガシンカするとサイズアップする」という事実だ。
つまり、私たちがパラドックスポケモンの考察から導き出した法則に一致している。


進化・適応の法則
「ポケモンは、過去→未来へと時が進むと、身体が小さくなる・余分な器官がなくなる」


この法則を変形=時間を遡行してもやはり妥当性を失わない。


進化・適応の法則2
「ポケモンは、未来→過去へと時を遡ると、身体が大きくなる・余分な器官が加わる」


メガシンカはまさに法則2を体現しており、間接的に法則1を証明するための事例になっているのだ。


確認のために図式化すると、メガシンカという現象は


現代の姿→メガシンカ(未来形)ではなく、


メガシンカ(過去形)←現代の姿というように、現在から過去へと時を遡る現象なのである。


ポケモンは共存のために強さを捨てた


共存のためには「あんまり強くない方がいい」


本題に入っていこう。


なぜポケモンたちは弱くなる必要があったのか? について。


(種としての)ポケモンたちは(種としての)進化、つまり「適応」の過程で、あえて「戦闘能力を低くすること」を選んだ。
実際に、古代パラドックスポケモン(あるいはメガシンカ)→現代の姿という風に、時間と共にポケモンたちは種族値の低下を受け入れている。


答えは冒頭に示したように、「ポケモンたちは、自らや種の生存のためには、他の種と共生・共存することがもっともコストが低いと判断し、その結果「あまり強くならない方がいい」と考えて弱体化の道を選んだ」である。


何をいっているか伝わっただろうか?
簡単にいってしまえば「過当競争は割に合わない」という話。



古代パラドックスポケモンとメガシンカ(=ゲンシカイキ)が示唆するのは、古の時代においてはポケモンたちは「他よりも強くあること」、つまり「競争を勝ち抜くこと」で自分の種の保存と個の生存を目指していた、という事実だ。


他のポケモンよりも強ければ、食物の奪い合いや縄張り争いで有利になる。
だから、古の時代に生きたポケモンたちにとっては戦闘能力を高めることが喫緊の課題となり、結果として体のサイズアップや諸器官の発達を遂げた。


ところが、みながみな強さを追い求めるようになると、ある時世界は殺伐とした戦国時代のようになってしまった。
強いポケモンだけが生き残り、弱いポケモンたちは絶滅の危機に瀕することとなる。


そのことに気がついたポケモンたちは、ある時点から「弱体化」の道を選び取った。
倫理やモラルの話ではない。生態系を一定に保たなければ、自分よりも弱い種を生かしておかなければ、やがては自分たちの食糧が手に入らなくなることに気がついたからだ。


そしてアーマーガァはだれもいなくなった


ここからするのは「デカヌチャンがハンマーを作るためには、すべてのアーマーガァを撃ち落としてはならない」という話だ。


食物連鎖という言葉を聞いたことがあるかと思う。
下位者は上位者に捕食され、上位者はさらに上位の者に捕食され、それがピラミッドの頂点まで繰り返されることを指す。


強さを求めていた時代のポケモンたちは、誰もが「我が種こそ食物連鎖の頂点に立つ」ことを目指していたが、もちろんトップに立てるのは「最強=ただ1種」である。
そして頂点に立つということは、自分以外の種をすべて食い荒らすことを意味する。


互いに覇権を争っている間はそれでもいいだろう。
しかし、ある1種類のポケモンが激しい食物連鎖競争の頂点に立った瞬間に、その世界には他の種類のポケモン=食糧となるポケモンが存在しなくなるのである。
言い換えれば、他のポケモンを狩り尽くした種族がたどり着くのは、生存のために同族を食い殺さなければならないという過酷な結末である。


簡単にするためにポケモン対戦に話を置き換えてみよう。



ある場所に世界中のポケモンプレイヤーが集まって、最強を決めるべくポケモン対戦をしている。
ただし、この大会はとんでもない暴君的な大会なのだ。


というのは、勝者だけが会場に残る権利を持ち、敗者は即刻荷物をまとめて退場しなければならならず、しかも敗者は生きている間に二度とポケモン対戦ができなくなってしまう(たぶん手持ちのSwitchを破壊される)のである。


1人ずつ敗者が会場を去っていき、ついに優勝者が決まる時、最強の名を手にした者の周囲には誰もいない。喜びを分かち合うことも、名誉を讃えられることもない。
そもそも敗者から(食い殺さない代わりに)ゲームに参加する権利を奪うこの方式では、だれかが最強の名を勝ち取ってしまった時点で「ポケモン対戦=二度と行われないゲーム」になってしまう(対戦相手がいなくなる)。


このようにある種族による1強が成立してしまうと、生態系は成立し得なくなる(ゲームが終わる)のである。
アーマーガァを絶滅まで狩り尽くすほど強くなってしまったデカヌチャンは、当たり前だけど二度とハンマーを作ることができない。



そして、ハンマーを作れなくなったデカヌチャンたちは武器を失い、食糧を確保できなくなって餓死する。
だからデカヌチャンが生き延びるためには、自らの戦闘能力を、アーマーガァのうち何匹かに1匹は生き残れるくらいの強さに留めておく必要がある。
一定数のアーマーガァに生き残ってもらわないと、デカヌチャンは生存することができない。



自分たちの種族が生き残るためには、そもそもゲームを続ける=生態系を立ち行かせることが必要条件であり、そのためにはいくつかの種が併存せざるを得ないということに、ポケモンたちは気がついたのである。


「強さ」は「コスパが悪い」


結局のところ、ポケモンたちは熟考の果てに(?)「強くなるのって、コスパが悪くない?」という話になったのだろう(話し合いをしたわけではないと思うけど)。


だれもが競争で相手を打ち負かそうとする環境では、ポケモンたちは常に現在よりも強くなることを求められ、肉体の増強や能力の向上にリソースを割く必要がある。
しかも、それだけの投資をして他の種を圧倒できたところで、最後に行き着く先は原理的には「共食い」なのである。割に合わないわけだ。


だったら、自分が一人勝ちできるけど最後は仲間同士で食い潰し合って絶滅してしまう環境よりも、たまには食べられたり襲われたりする同族が出てきたとしても、とりあえず種としては末長く生きながらえる戦略を選ぶのが正しいだろう。



個が生き延びるというミクロの視点では「より強くある」方が合理的だけども、種としてマクロな視点からの生存戦略を考える時には「そんなに強くない」方が合理的なのである。
(経済学ではミクロとマクロで結論が食い違うことを「合成の誤謬」と呼ぶ。つまりよくある話なのだ)。


人間だけが「強さ」を追い求めた。


ポケモンたちが「あんまり強くならないで、他のポケモンとうまくバランスをとって生きていこう」と思った(思ってはないかもしれないけど)のに対して、その「相互条約」を打ち破る種が現れた。


もちろん、その正体は人間である。


いちいち船に乗って海を渡り、国連に出頭して全世界の政治家や経済人たちに向けて楯突くまでもなく、人類が産業革命を皮切りに休むことなく環境破壊活動を続けてきたのは事実である。


大量の排気ガス、ダム建設、開拓と称する森林の焼き払い、工場排水の垂れ流し、そして近年では放射性物質の廃棄など……この記事は環境保護活動の一環で書いているわけではないので、これ以上は列挙しないが、当然ながらこんなことをする生物は他にいない。


問題は、人間が自然破壊を犯してまで追い求めたものは何か、である。


答えは、「強さ」。
人間は頭脳を高度に発達させ、他の動物や自然の脅威を排除することで、圧倒的な生存力を手にした。言い換えるなら「強くなった」。



だがしかしhowever、人類はただ生存するだけでは気が済まなくなった。
他の生物や自然までもを支配したいという欲求に駆られるようになったのである。


レジェンズZ-Aのトレーラーの中で「ポケモンたちとの共存を目指して」という文言が見られる。
もしもすでに人間がポケモンたちとの共存をなし得ているならば、こんなことをわざわざ言う必要がない。



つまり、レジェンズZ-Aの世界では、人間はポケモンとの共存を達成できていない、おそらく人間たちはポケモンに対して「支配的」である(と考える人々が存在する)。


終わり


いつものことだけど、話があちこちに飛び長くなりすぎたので、一旦ここで終わりにする。
メガシンカについては「ストーリーではどのように扱われるのか?」を話すべきなのだろうけど、それに関しては角度を変えた下準備(前段階)が必要になる。


自分の頭の中では全てが繋がっているのだけど、こうやって言語化して伝えるのはやはり至難の技だと改めて痛感する次第である。


今回の話はどこに繋がるのか? 
次に取り扱う「レジェンズZ-Aの世界観(設定)」に向かっているはず。

この記事が参加している募集

全力で推したいゲーム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?