日記 2023.1.29 テロリズム的、沈黙交易的

沈黙交易的なものについて最近考えることが多いので、最近その関連の本を頼んで今日届いた。いつものように、いつの間にかポストに入っていた形でその本を受け取ることが出来た。これもまさに沈黙交易に他ならないわけだ。

その本はまだ数ページしか目を通していないのだが、その本に関係なく書けることがあるなと思ったので書いておく。とまあそんな意気込みをしたが、全然日記の域を出るものにはならないだろう。

というのは、今日bondeeというアプリを友人に勧められたのでインストールしてみた。これはアバターを使ったSNSみたいな感じで、アバターのエモートでやり取りもできるし、チャットもできるし、みたいな、だけどなんだかそれらのコミュニケーション方法がなんだか散漫で、もう少しコンセプトを絞れよ、というようなまさに発展途上感満載のアプリなのだが、そのアプリでその友人とやり取りをした。

やり取りと言っても、少ないモーションでアバターを動かしてコミュニケーションともならないものを交わしながら、たまに自分の顔面の自撮りを送り合うようなヘンテコなものだったのだが、なんとも新鮮な感じがした。アバターを動かしている向こう側の友人というのを想像しながらコミュニケーションをする訳だ。

ここで話は戻ってきて、そこには沈黙交易的なやり取りがリアルタイムで進行していて、すごく面白いなと思ったのだ。そしてそこから、オンラインで見知らぬ人とアバターでやり取りする喜びってのは、ここにあるのだなとも思ったわけだ。しかもアバターというのは、限定された動きしかしない。その限定された動きから、相手の思考や伝えたいことを何とか読み取ろうとして、実際に読み取れたかどうか分からないという宙吊り感の中で、しかし確かに何かは交換しているというコミュニケーション感というものに、とてつもない喜びを感じてしまうのだ。

ふむふむ、なるほど。この、何かを介して向こう側にいる人間というのを想像しながら手探りでコミュニケーションを取ることが、何故こんなにも楽しいのだろう。これは単純に人との関わりの中の、関わるということ自体が抽出され、他の雑多な部分が全て省かれているので、よりプリミティブなコミュニケーションというのが成り立つからであろうと思う。

配達、アバター、VR、そのあたりの技術の進歩が、これらのプリミティブなコミュニケーションを成り立たせないほどになってしまったら、多分もうこの世界はかなり荒んでしまうのだろうなと想像するわけだ。

まあそこで、ぼくは、テロリズム的沈黙交易的な実践をたくさんやってこうぜ、ということを思いついたので最近そういうことを考えているわけなのだ。

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