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愛と継承の物語『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』

※やむを得ず映画の内容に触れている部分があります。
 閲覧の際はご注意ください。鑑賞後の閲覧をおすすめいたします。
※また、実在の人物への敬称をほぼ省いております。
 悪しからずご了承ください。

 原作者・水木しげる生誕100年に相応しい力作。水木しげるの精神が生かされている。
 鬼太郎誕生の前日譚であり、予告編には「初めて明かされる鬼太郎の父たちの物語」とある。鬼太郎とねこ娘も本編前後に登場するが、TVとは違ってPG12の本格ホラーミステリーとして作られており、見応えがある。

 舞台は昭和31年。第二次世界大戦の敗戦から復興し、高度経済成長の緒についた日本。
 帝国血液銀行に勤める水木は、政財界を影で牛耳る龍賀時貞翁急逝の報を受け、龍賀一族の本家がある哭倉村を訪れる。が、一族の後継者となった時麿の惨殺を手始めに起こる惨劇と一族が秘める謎に、生き別れの妻を探す男・ゲゲ郎と共に巻き込まれてゆく。
 湿気を帯びた緑濃い山村、畳敷きの大広間や座敷牢まである広大な日本家屋など、東映アニメーションの伝統を感じさせる美術が見事で、映画としての風格がある。また、煙草の扱いや小道具、服装など昭和30年代の風俗の再現が見せる。川井憲次の音楽も的確で格調高い。
 脚本は吉野弘幸、監督は古賀豪。TV版『鬼太郎』6期、第14話で鬼太郎の父が人間体で登場するエピソードを手掛けていることからの抜擢だが、『鬼太郎』と水木しげるへの深い理解と尊敬が伝わる世界を構築した。

 原作者と同じ名を持つ男・水木の経歴が重く関わる。水木は復員兵。敗戦間近い南方の島で理不尽な玉砕命令から生き残るが心身に消えない傷を負い、辛うじて帰還を果たす。彼の壮絶な体験はそのまま原作者・水木しげるのそれと重なり、片腕を失った水木しげるはその体験を『総員玉砕せよ!』をはじめとする著書に描き遺している。一方、戦後の水木は出世一途の野心的な生き方をしている。哭倉村へ出向いたのもその手段だった。映画は水木の変化を追う。
 水木の務める血液銀行は原作通りの設定だ。かつての日本では売血による血液汚染が社会問題となっていた。原作漫画はその事実を取り込み、売血に混じった幽霊族の血が輸血を受けた人間を屍人に変えてしまう怪事件を発端としている。映画ではそれを更に進め物語全体の骨子としているのが巧みだ。

 水木は会社から、龍賀製薬が握る血液製剤Mの謎を探る密命を受けていた。Mは奇怪な力を秘め、日清日露戦争での勝利の鍵となり、太平洋戦争後には経済戦争の要となっている。龍賀一族はMによって政財界を牛耳っているのだ。
 Mという文字は戦後に乱用された実在の薬物の頭文字であると共に、戦後の闇の象徴のように語り継がれるM資金をも想起させる。

 このMを手始めに全編に渡って「血」のモチーフが展開される。Mの原料である血、幽霊族の血、戦場で流された血、龍賀一族の血、禁忌の島に咲く真っ赤な血桜、血みどろの連続殺人。おびただしい血が流れ、忌まわしい血縁関係が明かされ、そして最後に血は映画の唯一の希望として実る。
 夕日や鳥居など、血に直結する赤の色が背景にも画面効果にも多用されてホラー的な禍々しさを増し、時に耽美ですらある。

 一方の、水木が便宜上ゲゲ郎と名づけた男。この「ゲゲ」という名は水木しげるの幼少期の仇名でもある。水木とゲゲ郎、二人ともに原作者・水木しげるが投影されている。映画はこの二人が共闘して怪奇に挑むバディものであり、そこに大きな魅力がある。
 幽霊族の生き残りであり、同じ幽霊族の妻を心底愛しているゲゲ郎と、最初は愛という言葉を嘲笑していた水木が次第にゲゲ郎に感化されていく様子。水木が時弥少年だけには明るい未来の展望を語ることで、根っから利己的な人物ではないと示されるのもいい。
 人間界と距離をおき、醒めた目で見ていたゲゲ郎が水木との付き合いを経てやがて重大な決断に至る様。
 陰影深い風景の中で次第に絆が紡がれ、互いに変化していく二人。その描写がたまらない。

 ゲゲ郎と龍賀一族に仕える裏鬼道との超絶バトルが魅せる。そこだけ画風から異なり、立体的なカメラワークを駆使し、かつ手描きの魅力たっぷりに描き出されるバトルはアニメーターの個性が存分に発揮される日本アニメならでは。作画担当は東映アニメーション生え抜きの逸材、太田晃博。
 アクション作画もすごいが、ゲゲ郎の戦いぶりがまたいいのだ。優れた体術はもちろん、手首の霊毛組み紐や下駄を駆使した戦いぶりがさすがは鬼太郎の父という納得のファイト。このシーンだけでも何度でも観たくなる。
 制作の東映アニメーションはアニメーターの個性を生かす点において一日の長があり、また昭和から続く、社会派とエンタメを両立させた作品作りの系譜もある。『鬼太郎誕生』は東映アニメーションの正当な流れを汲む意欲作だ。

 妖怪も人間も関係なく己の欲望の為に虐げ搾取し権力の糧としてきた龍賀一族と、諾々と従う哭倉村。それはそのまま現実の日本の暗部の写し絵と言える。
 欲望のままに戦争を引き起こし、敗戦後は経済戦争に形を変えて突き進む。変化をおそれ、弱者を踏みつけにする姿勢は70年を経た現在もなお改まっていないことに暗澹とせざるを得ない。
 時貞の所業もおぞましいが、長女・乙米(おとめ)の、国と一族の大義に染まり切った様も恐ろしい。
 だからこそ、真実を知った水木が時貞に放つ一言は痛快でさえある。
 この、戦争と権力への眼差しに原作者・水木しげるへのリスペクトがあふれている。

 誰一人として救われずに幕を閉じた70年前の哭倉村の惨劇。時を経てなお彷徨う魂に鬼太郎は「忘れないこと」を誓う。忘れない。それこそが重要なことだろう。

 エンドロールが始まる。絶妙に変奏された主題歌が流れる中、原作そのままの絵で水木とゲゲ郎のその後の物語が語られる。
 この展開。映画と原作を力技で繋げ、哀切な中にも救いとして塗り替えてみせた手腕に驚嘆する。最後の最後に出るタイトルに涙。鬼太郎の父が我が子へ寄せる思いの深さ、母の強さに泣く。予告編に言う「父たちの物語」の真の意味が腑に落ちる。だからこそ、鬼太郎は人間の為に戦ってくれるのだ。なんと尊い。霊毛ちゃんちゃんこの由来にも涙。鬼太郎やちゃんちゃんこを見る目がすっかり変わってしまった。優れた映画が持つ力は大きい。

 映画は2023年11月に公開され、右肩上がりに入場者数が激増している。
 口コミによる高評価の拡大も大きいが、キャラクターデザインの谷田部透湖が描き下ろし、泣けると評判高いカードなど入場特典の適宜投入も効果を上げている。さすがはファン心理を知り抜き、宣伝力を有する東映配給だ。
 声の演技面でもよくある俳優のゲスト出演などはなく、適材適所のベテラン声優陣で固めて非常に安定感のある仕上がり。取り分け、ゲゲ郎を演じた関俊彦の演技の深さに打たれる。水木役の木内秀信とのバランスも抜群だ。

 既にリピーター続出だが、確かに繰り返し鑑賞することで、例えば冒頭の廃墟で示される様々な遺物が単にお化け屋敷的な脅かしではなく意味を持つことがよく理解され、更に鑑賞後の感慨が深まる。
 また、初見では大いに驚いた連続殺人の真犯人だが、再見するとその哀れさ痛ましさが一層心に沁みる。
 リピートに耐えるどころか観るほどに物語の解像度が上がる、積極的なリピート推奨映画なのだ。つくづく、水木先生にも観ていただきたかったと思う。

 2023年秋冬公開の映画は偶然か、第二次世界大戦が関わる作品が並んだ。
『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』『窓ぎわのトットちゃん』『ほかげ』『あの花の咲く丘で、君とまた出会えたら。』『ゴジラ-1.0』等々。
 描き方に軽重の差はあれども、世界に戦火が上がる現実を受け、また現在の日本社会に漂う何らかの気配や不安を反映するものではないか。タモリは2022年末に日本の先を問われて「新しい戦前」と称した。
 過去を顧みることは重要だ。映画という創作を通して日本の来た道を振り返り、忘れず、あるべき道を探れるならと思う。

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