正統派漫画映画の快作!『どうぶつ宝島』

※同人誌『Vanda』14号(1994年6月発行)に寄稿した文章の再録です。『Vanda』は(故)佐野邦彦氏と近藤恵氏が編集発行した同人誌です。

 『どうぶつ宝島』は、昭和46年(1971年)公開の東映長編で、東映創立二十周年記念のタイトルが冠されている。長編動画の黄金時代の棹尾を飾る作品として、『わんぱく王子の大蛇退治』『太陽の王子 ホルスの大冒険』『長靴をはいた猫』と共に東映四大長編とも称されているが、これらに比べるとやや評価が低く、かつてアニメ関係のムックが山程出版された時代にも、この『ど宝』に関してはただの一冊も特集本が出なかったのも残念なところ。ここで一押し、『ど宝』の魅力に迫ってみよう。
 『ど宝』の魅力、それはスチーブンソンの原作を元としながら、徹底して抱腹絶倒、「お子様向き漫画映画」の王道をゆく痛快娯楽作品に仕上げていることにある。
 スタッフタイトルに「アイディア構成=宮崎駿」とあるように、これは、東映動画時代の宮崎さん(役職は原画)のストーリーやシークエンスの原案、様々な小道具大道具の設定が中心になっている。そして更にスタッフが様々なアイディアを出し合い、最終的に演出の池田宏がまとめ上げたものと言えるだろう。脚本に池田さんの名があるのはそういう訳だ。
 宮崎原案だけあって、舞台設定やキャラクター等に、後の『未来少年コナン』や『天空の城ラピュタ』等の宮崎作品の中核を成すアイディアが明確に現れているのが興味深い。しかもそれらが「宝探し」という、ただそれだけのテーマを軸にした一大冒険物語の中に、終始明るさで貫かれているのが何とも心地いい。見れば見るほど、宮崎駿の陽の部分の一つの典型だなあ、と感服してしまう。宮崎さん自身、二度とこういうものは作れないだろうことを考え合わせると一層、『ど宝』の明るさが貴重に思えて来るのだ。(同じく「宝探し」が軸になっている『ラピュタ』の変容ぶりと比較してみてほしい)。
 宮崎駿の名を上げたなら、森康二の名も上げておかねばならない。森さんはこの作品でキャラクターデザインと作画監督を務めている。『どうぶつ宝島』は、その題名通り、擬人化された動物と人間とが何の違和感もなく共存している世界が舞台だ。主人公の少年少女たち以外は動物という童話的な世界には、森さん本来の、洋服を着た動物を好んで描くという資質が最大限に発揮されている。そして、ともすればハメを外しそうなイキのいい物語を、森さんの品のいい絵柄が引きしめているのだ。
 さて、ここからは場面を追って見ていこう。
 彦根範夫さんの手になる楽しいオープニングが終わると、そこは夜の港町。闇を縫って走る黒マントのブタ海賊たち。滑らかな動きが、ああ、長編を見ているんだと実感させてくれる。
 偶然、宝の地図を手に入れた宿屋の息子ジムは、親友のネズミのグランと自作の小船で旅に出る。目指すは宝島!
 港に停泊中の大型帆船の間から、ポンポン蒸気の音を響かせて現れる小さな小さな樽の船。このコントラストの妙に大爆笑。主題歌『ちっちゃい船だって』が軽快に流れる中、海は奇麗な黄緑色、通称バスクリンの海。
 この海の描写が素晴らしい。単純な一本の線で海面を描き、大きく緩やかな動きでボリュームを出し、図案的な波紋と波しぶきで海の流れと船のスピード感を出す。海面の重なりや、波の向こうに透けて見えるものは、ダブラシ等の撮影技法ではなく、彩色の色の塗り分けで表現する。シンプルにして伸びやかで、作品カラーにマッチして実に効果的なのだ。現在ではすっかり日本のアニメ界に定着したこの手法も、この『ど宝』で確立されたのだ。このシーンの担当アニメーター小田部羊一さんは、このスタイルを作り出すのに一カ月かかったそうだが、このシーン、波の動きばかりでなく、小さな樽船パイオニア号のゴムマリのように生き生きとした動きも秀逸で、アニメならではの魅力に溢れた名シーンになっている。クジラに驚き、イルカとたわむれ、トビウオを追いかけ、日が暮れればエンジンの煙突に乗せたフライパンで目玉焼きなんて、もう、子供の憧れをかきたててやまない世界なのだ。
 一夜明ければ海賊船と遭遇。このテンポの早さも本作の魅力の一つ。奮戦空しく、敵船の砲撃を食らって樽船はバラバラに空中分解。樽の木組がバラけて中の物がバラバラと宙に散ってゆく、そのタイミングの妙と、赤ん坊のバブが空中でしっかりリンゴをキャッチしている等、鉛筆一本であらゆるものをコントロール出来るアニメーションの醍醐味が味わえる最高のシーンだ。
 大ブタのシルバー船長と、どうぶつ海賊の船ポークソテー号(このネーミング!)のとりこになったジムたち。やがて船は海賊島へ。ドレイに売られた牢屋で出会った美少女キャシー。女だからと甘くみたジムにいきなり平手打ちを食らわす勝ち気さ。森さんのキャラクターには珍しいショートカットの野性的な少女像が魅力的だ。キャシーは宝の地図の元々の持ち主フリント船長の孫娘だった。
 首尾よく牢を抜け出したジムと、宝の地図を奪い返したキャシーは、シルバーたちとポークソテー号で船出する。
 目指すは宝島。まずはその地図を手に、という訳でシルバーたちはキャシーを油断させるべく船上パーティーを開く。後の『母をたずねて三千里』の赤道まつりのシーンを思い起こす楽しい雰囲気の中にも、マンガっぽいギャグと笑いが一杯。太めのシルバー船長の軽やかなダンス、カバ海賊のバイオリン、戦利品のドレスを相手に小粋に踊るオオカミの男爵。いやあ、海賊も芸達者でないと務まりませんなあ。
 眠り薬入りのグラスに目印に入れた二つのサクランボをめぐるドタバタ。グラスを飲み干したシルバーとキャシー、二人の足元にワクワクと集まって来る海賊どもがおかしい。お約束通り、眠り薬を飲んでしまってブッ倒れたシルバーをアタフタと船室に運び込んで、目覚めの苦ーいコーヒーをタラフク飲ませるシーンも好き。シルバーのリアクションがたまらない。
 さあ、そこへ追っ手の大海賊船グラタン号の登場だ。いや、これから始まる船上大活劇はもう「すごい!」の一語。おそろいの縞々シャツのブタ海賊どもが出るわ出るわ。宙に舞う宝の地図をめぐるドタバタアクション。ワラワラと集まるブタ海賊のものすごい数、数、数。立ち向かうシルバーのメチャクチャなバイタリティー。巨大な海賊船のマストのてっぺんから甲板、船室、最下層の船倉、そして二隻の船と船の間の空間までを自由自在に使いまくって繰り広げられる大活劇は、日本アニメ界最高のモブシーンに違いない。そしてモブの中にも、細かい芝居、例えば地図に手がふれたシルバーが喜びの余りブヒッと立てた鼻息で地図が飛んでしまうといった細かい芝居がそこかしこに効いていて、本当にこれはもう「芸」の世界なのだ。作画は言うまでもなく宮崎駿。グラタン号登場から撃沈まで時間にするとわずか5分(!)なのだけれど、これだけで一本の上出来の漫画映画を見た気分。若き日の宮崎さんのとてつもない超人的パワーを目の当たりに出来る痛快シーンだ。
 戦い終わって夕日の甲板で、ジムとキャシーのしみじみとしたふれあいのシーン。大海賊の祖父を失い、部下に裏切られて、船と宝の地図を奪われ、ドレイに売られ、一人ぼっちで突っ張って生きてきたキャシー(ね、宮崎キャラでしょ?)。そんな彼女が、先程の大混戦の中で久々に朗らかに笑い声を上げ(ここがポイントね)、心のつかえが晴れてゆく。その心に素直に染み込んでいくジムの気遣いと、少年らしい大きな夢。
 画面は美しい幻想シーンへ。これこそ長編の長編たる由縁。このごろの映画にはこうしたシーンが姿を消してしまって悲しいです、はい。
 やがて船は宝島に。熱帯のジャングルらしい描写の楽しさ。もぎたての巨大なブドウ(?)に口をつけて直接ジュースをゴクゴクなんて、これを見て憧れない子供はいないんじゃないかな。もちろん、私も一度でいいからやってみたい。
 宝のありかまで続く一本道の崖で繰り広げられるジムとシルバーの盛大な追っかけ。この道がやたら崩れやすいというのがミソで、そこから巻き起こるギャグの数々。原案の宮崎さんによると、これでもまだ「不十分」だそうだが(恐ろしいことだ)私などはもう大満足。最後の最後までテンションを失わないところがすごい。グワッと崖を割って出現するシルバー、ジャンプ走りで崖道を崩しながら突進するシルバー。このタフさが素晴らしい。シルバーの声は『長猫』の魔王ルシファーと同じく小池朝雄の名演。『ど宝』の成功は本当にこの、めげない、屈しないシルバーの存在が大きい。この、立ちはだかってワッハッハと笑ってみせる悪玉の存在って、漫画映画にとって、本当に重要なものなんだとつくづく思うのだ。余談だけれど、シルバーのご先祖は『白蛇伝』の大ブタで、子孫は『紅の豚』でしょうね。
 そして、宝の隠し場所の盛大なトリック!これは見てのお楽しみ。ところで、あの船、どーやってあそこに上げたんでしょうねエ?
 かくて宝はめでたくジムとキャシーの手に。宝箱に燦然と輝く宝が姿を現したところでサッとEND。心を入れ替えた海賊の手下どもとの凱旋航海をアッサリとエンディングのスタッフタイトルと共に見せるのも余韻たっぷり。素晴らしい終わり方だ。そしてENDタイトルの後までも、丸太にまたがって、ジムたちの船を追って来るシルバーのタフさは拍手喝采もの。
 こういう、おなかの底から楽しい漫画映画。見ている間、一切の現実を忘れて夢中になれる漫画映画。もう一回、作ってほしいなあ。それが無理なら、東映さん、『まんがまつり』で、一回だけでいいから、ドギツイ色の『ドラゴンボール』の代わりに『どうぶつ宝島』を再映してみませんか。子供のうちに見ておくべき作品て絶対にあると思う。そう、あのディズニーだって、再映して大好評だったじゃありませんか。『長猫』も『ど宝』も、決して古びたりしない、立派な日本映画の財産ですよ。
 最後に一つ蛇足を書くならば。『ど宝』が私にとって特別なのは、当時、何の予備知識もないままに見たTVのスポットCMで異様に引かれるものを感じ、当時住んでいた群馬県から応募して東京渋谷の試写会まで足を運んだという思い出があるからなのだ。当然見た後は大感激、さあ、これを一体どういう風に誉めてあるのだろうと『キネ旬』の映画評をめくれば、そこには「アイディア不足云々」…。作品の評価を決めるのは、他人の言葉によってではない、自分自身の感性によらなければ駄目なのだと思い知ったという。いわば『ど宝』は、今の私のスタートラインにある作品として、特別の思いがあるのだ。

初出:『Vanda』14号(1994年6月、MOON FLOWER Vanda編集部 編集発行)
※今回も特集ではなく自由テーマでの執筆です。寄稿後、編集の佐野さんからは「そのうち『長猫』『わんぱく』も」とリクエストをいただきました。

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