不朽の傑作『わんぱく王子の大蛇退治』

※同人誌『VANDA』21号(1996年6月発行)に寄稿した文章の再録です。文中の事項は当時のものです。

 『わんぱく王子の大蛇退治』は昭和38年(1963年)公開の、東映動画6作目の長編にあたり、『白蛇伝』『少年猿飛佐助』『西遊記』『安寿と厨子王丸』『シンドバッドの冒険』に次ぐ作品である。『わんぱく』はこれまでの作品に見られたリアルな劇映画指向の傾向を一掃し、漫画映画的な破天荒な面白さと豊かな情緒あふれる画期的な作品となった。東映長編の最高傑作と明言する向きも多く、また『ゴジラ』等でお馴染みの伊福部昭の音楽、クライマックスのオロチ退治の迫力でアニメファンばかりか怪獣特撮ファンにも広い人気を誇っている。
 『わんぱく』が画期的な作品たり得たのは、作画・演出のスタイルの斬新さと共に、当時の東映動画の制作事情が大きく影響していた。当時の東映動画は労働組合運動の高まりによって、それまでパート毎に分化していたスタッフ達の有機的な交流が図られるようになり、それぞれの職域を越えて様々な意見や創意が提出されるようになっていた。今までにない新しい映画を、そうした意欲の高まりの中で『わんぱく』の原題『虹のかけ橋』の企画はスタートした。
 演出には『安寿』でベテラン薮下泰司の補佐を務めた新人の芹川有吾が初の独り立ち作品としてあたり、演出助手には後に東映動画の黄金時代を築くことになる矢吹公郎と高畑勲のニ人が付いた。共にこの作品で学んだものは大きかったと思われる。
 また作品全体の絵柄を統一するための役職を設けることとなり日本で初めての作画監督(当時は原画監督の名だった)に森康ニ(やすじ)が選ばれた。森さんの、単純で明確なシルエットのキャラクターをという美学は、美術の小山礼司による「マッスよりフォルムを」(立体感よりも平面的な形を)という主張と合致、ハニワの単純素朴な美しさを生かしたキャラクターが設定された。主要キャラは森さんが、また、怪魚アクル=古沢日出夫、ツクヨミ=奥山玲子、火の神=楠部大吉郎など、個々のシークエンスのみに登場するキャラクターはそれぞれの担当原画がデザインし、それを森さんがまとめるという形が採られた。各原画の個性が生かされつつも全体が森さんの美学で統一された『わんぱく』のキャラは実に美しく魅力的で、グラフィックな趣を持ちながらなおやや古風な面持ちが日本神話の世界にマッチして、これは森康ニのキャラデザインとしてのベストワークではないだろうか。
 美術も従来の写実的な背景画から脱し、日本画の技法を元にしながら、場面や状況によって画風を象徴的に変化させる等、独自の世界に新境地を開き、以後の美術に大きな影響を与えた。
 物語は、少年スサノオが亡き母を訪ねて様々な国を巡るという、串団子と呼ばれる形式の典型だ。しかしここではそのお団子の一つ一つが実に丸々と太って美味しいのだ。平和なオノコロ島とスサノオのわんぱくぶり、母イザナミの優美さ、母の死を風の葉の言霊で伝える神秘。船出のシーンの高揚感は伊福部昭の名曲と相まって出色だ。父イザナギの「夢を追ってどこまでも行ってみるがいい」のセリフはこの作品全体を統べるテーマともいえる。
 船出するやたちまち強敵が現れるテンポの良さも『わんぱく』の特色。海のヌシである怪魚アクルの重量感と貫禄、真紅の魚体と漆黒のヒレのビビッドな色彩感覚、スサノオと正面衝突後一瞬の間をおいて四枚のヒレだけがゆっくりと沈んでいくのも印象的な演出だ。兄ツクヨミが治めるヨルノオスクニは氷の結晶の国として描かれているが、その寒色系の色調の美しさ。氷の宮殿の設定を用いた作品も数あるがこれほどの美しさは少ない。夜の国だけあって人々が皆寝ているのもおかしい。手足がマッチ棒のような独特のキャラによるギャグとスサノオのパワフルなアクション。続く火の国では、斬られても突かれても分離再生を繰り返す火の神との勇壮な戦い。歌舞伎の隈取りのような火の神のデザイン、とりわけ山頂から炎の中に顔だけ出している姿は秀逸。グラフィックな炎の処理や暖色系の色彩設計も見所。小さな火の神と、スサノオのお供のウサギ、アカハナとの追っかけっこのユーモア。アカハナが火の神の弱点である氷の玉を消防車のライトよろしく持ってサイレンと共に駆けつけるギャグは今では通じないかな? 天上の国タカマガハラを目指すスサノオを乗せるのはアメノトリフネ。ヨルノオスクニへ向かうユメノヒラサカでの、マリンスノーの如く煌めく結晶が降り注ぐ幻想的なシーンもそうだが、『わんぱく』は団子(エピソード)と団子をつなぐ串までがこの上なく美味しいのだ。しかもヨルノオスクニで貰った氷の玉が火の国での危機を救い、火の国の人々の困窮が次のタカマガハラでの展開を生むなど、それぞれが関連しているのもいい。
 そして伊福部昭の音楽。私は数ある伊福部音楽の中でも、この『わんぱく』の曲が三指に入るほどに大好きだ。これに匹敵するほど好きなのが、奇しくも同じ日本神話もの『日本誕生』の曲。土俗的、神話的な曲を書かせて伊福部昭の右に出る者は以後も出ないであろう、不世出の名曲の数々だ。
 タカマガハラでは有名なアマテラスの岩戸隠れの工ピソード。アメノウズメと高天原ダンシング・チームの男神たちの踊りのシーンは、後にイラストレーターに転身した永沢詢(まこと)と、カールおじさんのCMでおなじみ彦根範夫(ひこねのりお)両氏の会心の作。丸い顔に胴長短足太い腕、特異なプロポーションのウズメが一旦動き出すと何とキュートでコケティッシュなことか。全身をゴムマリのように弾ませて踊り回るアニメならではの躍動感。対する男神の悠々とした踊りのユーモア。山頂のウズメを中心に、山の峰に陣取った男神がぐるりと回転するシーンの雄大さ。やがてウズメは踊りながら天に昇り、手にした両の笹から星屑の光芒が輝き溢れる。流麗な伊福部メロディと相まって魂を奪われるとはこのことで、アマテラスならずとも一目と思うのは理の当然。
 タカマガハラを後にしたスサノオは出雲の国へ。そこで出会う少女クシナダヒメ。思わず「お母様にそっくりだ」と見つめるスサノオの少年らしさが可愛い。ニ人が空飛ぶ馬アメノハヤコマに乗って一面の夕日の中を飛ぶシーンの美しさは格別。クシナダの笑顔の愛らしいこと。ヒルダ、ローザ、クシナダが東映長編における森康ニ美少女の三大キャラだけれど、愛らしさでいったらクシナダが一番なのだ。
 そしていよいよクライマックスのオロチ退治。高画質なLDの普及で暗いナイトシーンのオロチ退治もクリアに見られる有り難さ。(『わんぱく』の綺麗なプリントを見ることが悲願だった時代もあったなあ、てのは昔話)。月岡貞夫と大塚康生、二人の天才アニメーターのコンビネーションによって描き出されたヤマタノオロチの迫力。暗い山の向こうにオロチが初めて姿を現すカットの緊迫感。模型飛行機が趣味だったという芹川有吾の演出はオロチ退治を空中戦に設定、随所に若々しく新鮮な創意が盛り込まれ、日本映画史上に残る傑作となった。巨大なオロチと、ハヤコマに跨がったスサノオの小さなシルエットの対比の妙。自在なアングル、スピーディーな攻防。長い尾を引いて宙を駆けるハヤコマのしなやかで敏捷な動き。誰の発案かオロチに火を吐かせたのが抜群で、アクションにも幅が出、迫力も倍増、これによってオロチは単なる大蛇ではなく、もっと怪獣的な存在になったのだ。しかもゴジラの背ビレの如く、火を吐く直前に体の色が変わることが観る側にも「来るぞ!」という緊迫感を与え、迎え撃つスサノオとの一体感が形成される辺り、実に見事。オロチのデザイン決定までのプロセスは大塚康生著『作画汗まみれ』に詳しいが、竜をモチーフにした八頭のオロチを、地上のアカハナ達と連携しながらそれぞれに趣向を凝らして倒してゆく凄まじさ。オロチの火を吐く音、牙を噛み合わせる金属音、唸り声が響く中に、アカハナがふりまく笑い、クシナダがオロチの一頭に追い詰められるスリル、宙に飛んだオロチの首が火を吐いてイバラの森に突っ込むショック、駆けるハヤコマと追うオロチが岩壁に影からインして来る映画ならではのイメージ、等々が盛り込まれ、存分に見せる。倒されたオロチが火を吐きながらのたうち回る断末魔の様など凄まじいの一語である。音楽も最高潮。いっとき高らかに鳴り響く『地球防衛軍』のテーマは心臓直撃。特筆すべきは、ギャグがアクションの緊迫感を損なうことなく融合されている見事さ。これはオロチ退治のシーンに限らず、全体に笑いの部分がくどかったり浮いたり下品に落ちるということがない。そのため映画全体が非常に高い格調を保っている。「漫画と詩情と幻想をユーモラスなアクションドラマに融合したい」という芹川有吾の狙いは見事に達せられているのだ。
 倒されたオロチの後に母なる幸せの国が現れ、原題のままに大きな虹のかけ橋が浮かぶ。あでやかで豊かな安らぎの中に幕を閉じる物語。『わんぱく』の成功は冒頭にも述べたように、それまでのリアルな劇映画指向を一掃し、漫画映画的な面白さを追及したことにある。スサノオの母恋いの旅も決して湿っぽくならず、また苦難の旅でもなく、夢を追う冒険の旅であり得たこと。最大の危機に宝剣に変じてスサノオを救う母の愛、家来の讒言に耳を貸さずスサノオを信じ力となる兄姉の姿など、日本的な情を織り込みながらも神話的メルヘン的なシンプルさを保ったこと。剛毅直情なスサノオをはじめ、登場キャラの性格づけが明確であること等が大きいと思う。反面、武勇伝に重きをおく余り人物描写に深みがない(特に父イザナギなど)のが欠点であるが、そうした点を吹き飛ばしてしまうほど圧倒的な動画ならではの楽しさがここにはある。昨今のアニメ映画のようにアニメーションがドラマのために奉仕するのではなく、己が思うままの世界を創造し、思うままに全てを動かす、その動かすこと自体の根源的な喜びに満ちているのだ。予告編にある「完璧の動画化」の語は決してオーバーではない。付け加えるなら、この予告編が実にいい出来。素材が良いだけにどこを取っても良いのは当然といえば当然なのだけれど、それにしてもの名場面の数々と巧みな編集は、勇壮流麗な伊福部節と相まってもう最高。先般、『東映長編アニメ予告編グラフィティー』という貴重なLDも発売されたので是非触れてみてほしい。
 この『わんぱく』を最後に東映動画は長編二班体制へ移行、またTVアニメ製作へのスタッフ流出と時代の波にさらされていくこととなる。『わんぱく王子の大蛇退治』はまさに、東映動画の組織としての充実期に、持てる力の全てを注ぎ込んで絢爛と築き上げた不滅不朽の傑作なのである。

初出:『VANDA』21号(1996年6月発行)、発行所:MOON FLOWER VANDA編集部、編集発行人:佐野邦彦、近藤恵
※当時はパソコン普及以前で、原稿はワープロで打ったものをフロッピーに収めて郵送、編集部で活字に打ち直してくれていたが、その時点で人名など幾つかの誤植が発生していたので、ここで修正。また、本来は元の原稿の記述のままにすべきだが、マンガ映画→漫画映画に変更した。意味は同じだが、字面の印象を優先してみた。Noteは一段表示なので読み易さのため改行も増やしてみた。
※元の原稿題名は『わんぱく王子の大蛇退治』の作品名のみだが、他の文章とのバランスを考えアオリを付けてみた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?