『ガンバの冒険―人間と隣合わせの現実世界に展開されるネズミ達の物語』

※1991年11月発行の同人誌『Vanda』4号の特集『ガンバの冒険』に寄稿した文章の再録です。『Vanda』は(故)佐野邦彦氏と近藤恵氏が編集発行した同人誌です。


カモメは歌う 悪魔の歌を
帆柱に 朝日は昇る
けれど 夕陽は
お前と仲間の髑髏を映す

 強烈なインパクトとビジュアルイメージを持ったエンディング。『ガンバの冒険』は、この歌『冒険者たちのバラード』(軽快なサンバのリズムに乗ったオープニングと好対照だ)と共に忘れられない、TVアニメ史上の傑作の一つだ。個人的には『未来少年コナン』『アルプスの少女ハイジ』『母をたずねて三千里』と並んでTVアニメのベスト5に入る程好きな作品だ。
 今回の特集の為に何年かぶりで見たのだが、やっぱりいい、スゴイのだ。今見ても少しも古さを感じさせないどころか、実に新鮮だ。躍動する画面の端々から、制作者たちの意気込みが伝わって来るのだ。
 昭和50年(1975年)、『グレートマジンガー』『ゲッターロポG』等の巨大ロボット全盛の中に、『ガンバの冒険』は登場した。
 原作は斎藤惇夫の『冒険者たち―ガンバと十五匹の仲間―』。イタチとネズミの戦いを描いた、児童文学の傑作だ。
 原作に登場する”冒険者たち”は、全部で十六匹。アニメ化にあたっては、これを整理して七匹とした。これは正解だった。十六匹では作業が繁雑になるというだけではなく、個性を統合したキャラクターになったこと。
 そう、『ガンバ』のキャラクターたちは本当に個性豊かで、声優陣の好演もあって、各々が生き生きと際立っていた。
 ガンバ。ボーボ。忠太。ヨイショ。ガクシャ。イカサマ。シジン。その名の通り、いずれ劣らぬ個性のかたまり。七匹の侍。「シッポを立てろ!」は彼らの勇気の合言葉だ。
 演出は出﨑統。『あしたのジョー』『エースをねらえ!』『宝島』etc.…手掛けた全ての作品に共通して流れる強い作家性を持つアニメ界の鬼才。その個性を一言で言うならば、ダイナミズム、であろうか。光と影を強調し、荒々しい程のタッチ(線)を多用したダイナミックな画面作り、スピーディーなカット割り。自ら卓抜な画才を備え、ここぞという所で鮮やかに画面を切り取ってみせる彼独特の止メ絵(ストップモーション)の手法は、何よりも絵の持つ訴求力への信頼の表明と言える。『ガンバ』でも、エンディングのノロイ一族の迫力は鬼気迫るほどだ。
 『ガンバ』は、この出﨑の強烈な個性と、作画・美術スタッフの力量が、真っ向から組み合って、その高い協調と融合の中で、TVアニメ史上屈指の完成度を誇る作品を生み出したと言える。
 作画の中心は東京ムービー傘下のAプロダクション。東映動画出身の楠部大吉郎・大塚康生の直接の流れを汲む、業界での独自の個性を誇った会社だ。
 画面設定・レイアウトは芝山努。今や『ドラえもん』の監督としても名高いが、元々アニメーターであり、早くから仲間内の注目を集めていた才能は、この『ガンバ』で最大限に発揮された。ネズミの視点を意識した画面作りは、高低、広がり、奥行きといったパースを強調したダイナミックで斬新な空間感覚を持つ、卓抜なレイアウトを生み出した。
芝山と抜群のコンビネーションで画面をまとめあげた作画監督は椛島義夫。
 『ガンバ』の作画の特徴はそのままAプロの長所だ。TVアニメの泣き所である作画枚数の制約を逆手にとって、少ない枚数で最高の効果を上げる為の動きのタイミングの取り方、ディフォルメを効かせた感情表現、シャープでダイナミックな構図による画面効果、ゼロファックスによる線の擦れさえも効果として取り込んでしまう積極性。
 また、Aプロは、当時盛んだったアニメ労働者による労組の拠点としても積極的に活動しており、仲間たちの団結による闘争を描いたこの作品には、思い入れもひとしおだったのではと思われる。
 生と死が交錯するドラマで、ガンバたちを包む苛酷な自然を描き出した美術監督は小林七郎。ペン画の手法を取り入れたという荒い線のタッチを多用して、強烈なコントラストに彩られた緊張感溢れる世界、即ち、人間と隣合わせのもう一つの現実世界を生み出した。また、海のシーンでは、三角波の波頭を線のタッチで、きらめく海面を面として描き、それを動画でなく、数枚の背景を置き換えてアニメートするという実験的な手法を採り、雄大さの表現に成功している。
 ストーリーはほぼ原作の骨格に沿う形で進められるが、オリジナルのストーリーも多く編まれ、『ガンバ』の冒険世界をより膨らませていった。
 ガンバたちの敵はイタチのノロイ一族だけではない。時に荒れ、時に彼らを一足たりとも進ませない凪となる大海、山岳、砂漠、吹雪、激流といった自然の猛威が行く手を阻み、更に様々な鳥や獣が獰猛な牙をむいて、ガンバたちを襲う。
 また、モノトーンで巨大な塊のように描かれた人間たちの存在は、ネズミの視点を感じさせると共に、これが、擬人化されたネズミの物語であっても絵空事ではない、もう一つの現実世界であることを実感させる。
 六~八の三話をかけて描かれる、黒ギツネ・ザクリとの戦いは前半の山場であり、対ノロイの前哨戦ともいえる。
 原作者・斎藤惇夫のもう一つの代表作『グリックの冒険』のキャラクターから想を得たと思われるクリークをリーダーとするリスたち。ザクリ島を舞台に、紆余曲折を経て彼らと共闘するガンバたち。『ヤツはこの島のノロイなんだ!』白い悪魔ノロイに対する黒い影ザクリ。残忍で奸知に長け、鋭い牙とスピーディーな攻撃でガンバたちを翻弄するザクリ。その姿は大きなフォルムと荒々しいタッチ(線)のみで捉えられ、不気味さをあおる。息詰まるような重苦しい、そして目まぐるしい戦いの果て。捨て身のクリークと相討ちになって滝壷に落ちてゆくザクリ。出﨑美学に色濃く彩られた、死の匂いの立ち込める世界に花を添えるリスの少女(クリークの妹)イエナ。
 オオミズナギ鳥の助けを借りてノロイ島に上陸したガンバたちの前に、遂に姿を現した白イタチ・ノロイ。斎藤惇夫は、原作を書くきっかけとして、八丈島を訪れた時、光線の加減で、背中の毛が真っ白に輝いていたイタチを見た事をあげているが、アニメとなったノロイの凄まじさ、強大さ。月光を浴びて全身が雪のような輝きに包まれてゆく凄絶な美しさ。魔性を秘めたルビーの目。「カカ…」と、嘲笑うかのような掠れた笑い声(声=大塚周夫)は耳から離れない。魔笛の如き声と鋭い爪先で配下を操るノロイ。シジンは言う「おお、地獄の天使、ノロイよ…」。
 第二十一話で見せた、”白“に対する異常なこだわり。この世で最も美しいと彼が言う白い花を血で汚した部下を処分する残忍さ。それは、生まれながらに白い身体に対する誇りとないまぜになった幼時のコンプレックスの裏返しでもあるのか。
 生と死、謀略と忍耐と自己犠牲が交錯する。そして遂に最後の戦いの時が来た。シオジの歌う島唄に秘められた謎ときのスリル。年に一度、赤いソテツの咲く満月の今夜、ノロイ島と沖の島を隔てる大渦巻が消えるのだ。その渦を利用してイタチ全滅を図るガンバたち。
 全てが終わったかに思えたその時、純白に輝く満身に殺意を漲らせ、海から上がって来るノロイ。この場面、何度見ても本当に怖い。このショックに匹敵するものは最早、大戸島のゴジラか海中のガイラしかないのではないかという位で、もう、アニメ史上最高の怖さなのだ。しかし、さしものノロイもガンバたちの必死の攻撃の前に遂に絶命した。その死骸を高波がさらってゆく。
 戦いは終わった。カタルシス。シオジや忠太に別れを告げ、再び果てしない大海原へ、冒険の旅に出てゆく六匹。「さよなら…またね!」のエンドタイトルが制作者の心を伝える。
 『ガンバの冒険』。それは、最高のチームワークによって生み出された、団結と熱い友情の賛歌なのだ。

初出:『Vanda』4号(1991年11月、MOON FLOWER Vanda編集部 編集発行)

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