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美しい映画『窓ぎわのトットちゃん』

映画冒頭、闇の中に提灯行列の灯が浮かぶ。これは日中戦争の戦勝祝いと思われる。当時、大衆は日本軍の大勝利に熱狂していた。
戦争はある日突然、天災のように降って来て民衆が巻き込まれるものではなく、国家と軍の強制によるものでもなく、国民自らの意思によっても始まり、継続されるものである。民衆は一方的な被害者ではなく、加害者でもある。
その事実を言葉ではなくたったひとつの描写によって明らかにしてみせたこの冒頭にこの映画の制作者たちの強い意志を感じ、私は心おののいたのだった。この映画は生半可な態度で観ることは出来ないと。
原作者であり、この映画でナレーションも務めた黒柳徹子さんは常にあらゆる場面で「戦争はしてはいけない」と伝え続けている。その強い思いをこのわずかな場面にも感じる。

そして映画は始まる。世田谷の駅前を行く人たちをカメラが捉える。その歩み、その動作、その細やかさ。ゆっくりと、確かな実感を伴って歩く人たち。その作画、それはそのまま片渕須直監督の傑作『この世界の片隅に』の独特の作画、ショートレンジの理論で描かれたそれを彷彿とさせる。これから、とんでもない映画が始まるのだ、と居住まいを正す。
この映画の時代背景は『この世界の片隅に』と同じ第二次世界大戦の開戦前から戦後にかけて。これは、その時代を一人の少女の目から描いた、もうひとつの『この世界の片隅に』であり、その志を正しく受け継ぐ映画だ。
後に、作画監督&キャラクターデザインの金子志津枝さんは『この世界の片隅に』を途中降板された方と知った。この映画はある意味、金子さんの捲土重来作でもあったのだ。

それにしても何という素晴らしい画面。古き昭和の時代を舞台に、考証が尽くされている。そして描き出された世界の何という美しさ。まるで夢のよう。
『この世界の片隅に』と同じ時代ながら、トットちゃんは東京、世田谷の上流階級のお嬢さんだけあって、その日々の暮らしは実に高級だ。
お菓子の家のように愛らしい邸宅と洋風の生活。美しい内装、美しい調度品。カーテンの付いたお姫様のようなベッド。ふわりとした上質なお洋服。見たこともない形のガストースターで焼くパン。芝生の庭には愛犬のシェパード。
草花も生き物も見ればその名前が判る。作画も背景も、観察眼に裏打ちされた細やかで確かな描写力と丁寧な仕事。それが、この世界の実存性を高め、観客はこの物語を信じることが出来る。
この世界は何故こんなにも美しいか。それは、これがトットちゃんの目を通した思い出の世界だからだ。トットちゃんは純粋に純真にこの世界を見つめている。出て来る人々が誰も唇や頬に赤みが差しているのは、トットちゃんの目にはこう見えていたというしるしだ。映画をよく知らない予告編の時点ではそれらは一種異様にも映ったけれど、ひとたび映画の中に入り込んでみれば、それは全く不自然ではなく見える。
が、この美しい世界には死の影も差す。夜店で買ってもらったひよこは両親の忠告通りあっけなく死んでしまう。動かなくなったひよこの姿のリアルさ。甘い夢の世界に浸らせるだけではないのだ、この映画は。

小学校に上がったトットちゃんはすぐに退学になってしまう。今でいうADHDだろうか、心のままに行動してしまうトットちゃんだが、両親はそのままに認め愛する。
自由が丘のトモエ学園へ移るトットちゃん。校舎は電車の車両という変わった学校の設立者は小林校長先生。映画はトモエ学園の日々を描いていく。
四季の花に彩られた学園の佇まいと、子どもの自主性を尊重した授業の様子、トットちゃんを受け止め、大きな愛情で包む小林先生が素晴らしい。実在の人物がモデルで、リトミックなどを取り入れた独特の教育方針を持ち、大らかに注意深く生徒に寄り添う。「君は、ほんとうは、いい子なんだよ」という小林先生の言葉はトットちゃんの一生を支える大事な言葉になる。
伸びやかに成長していく子どもたち。その日々を、手法から異なる3つのイマジネーション豊かなアニメーションが彩る。この、映像世界を広げる試みもまた素晴らしく、中の一篇はアカデミー短編賞受賞作家の加藤久仁生氏が手掛けている。
トットちゃんは、小児麻痺で手足が不自由な少年・泰明ちゃんと仲良くなる。この泰明ちゃんのエピソードだけでも本作がアニメで作られた意味がある。実写映画で泰明ちゃんを説得力ある存在とするのは困難だろう。二人で力を尽くして登った木の上でトットちゃんは泰明ちゃんから世界を平和にする魔法の箱、テレビジョンの話を聞く。徹子さんの原点がここにある。

時代は次第に変わっていく。太平洋戦争へ戦火の拡大。この映画が凄いのは、ごく一部を除き徹底してトットちゃんの見たもの、知ることだけを描いていることだ。観客に伝わらなくてもよしとする制作陣の覚悟が凄い。トットちゃんと顔なじみの男性駅員がある日突然消えて女性の駅員に変わり、愛犬ロッキーも首輪を残して消えてしまう。これは戦況の悪化によって駅員の男性は徴兵に取られ、犬すらも軍用犬として戦地に送られた為だが、映画では何の説明もされない。それだけに、じわりと恐ろしい。子どもや若い世代には分からないかもしれないが、そのままにせず、自分で意味を調べ、一緒に考えてほしい。映画はそのように開かれている。
トットちゃんたちの豊かな暮らしは損なわれ、お弁当は粗末に、ついには僅かな大豆だけになってしまう。ママは街頭で叱責され、日本有数のバイオリン奏者だったパパは仕事を失う。戦争が拡大する以前、高名な指揮者を招いてオーケストラの練習をする場面があるが、これがまた素晴らしかった。演奏の作画はもとより、夏場の熱演で皆、服に汗じみが出来ている。確かに昭和はこうだった。  
『アンクル・トムの小屋』の本が重要な役割を担っている。トットちゃんが泰明ちゃんに勧められた本。パパはトムの魂に触れて軍歌の演奏を断る。『アンクル・トムの小屋』には私も思い出がある。子どもの頃のクリスマス会で雑誌の付録のような漫画本を貰った。粗末な造りだったが、そこで得た感動は私の精神の骨の一本になっている。
街中でトットちゃんと泰明ちゃんが国民服の男性に一喝される場面は強い印象を残す。トットちゃんたちを銃後の少国民として扱う男性はきちんと膝を折り、子どもの目線になって話しかける。戦時下でなければ、この男性も声を荒げたりしない人格者だろうことが伝わる。戦争は人を変えてしまうのだ。
泣き出すトットちゃんを泰明ちゃんが学園で教わったリトミックのリズムで励ます場面は秀逸だ。リズムに連れてファンタジックに虹色に輝き出す街。美しく輝くほど、その後に来る悲劇は心に迫る。・・・泰明ちゃんの死。
小さな棺に別れを告げ、教会を飛び出すトットちゃん。駆けるその先に出征祝いの日の丸の旗の波が広がる衝撃。トットちゃんの前をガスマスクで戦争ごっこをする男の子たちが横切り、戦地で傷を負った人たちが映る。トットちゃんの、子どもの世界に雪崩れ込む戦争という現実と日本の行く末に慄然とする。
空襲が激化し、トットちゃんの可愛らしい家は建物疎開で取り壊され、トモエ学園も焼失する。このあっけなさが恐ろしい。学園の先生になるというトットちゃんの夢は失われる。それでも屈しない小林先生。
トットちゃんのパパの姿は既に消え(徹子さんの父は出征し、戦後長くシベリアで抑留生活を送られた)、トットちゃんはママと新しく生まれた赤ちゃんと三人で汽車に乗り疎開する。むずかる赤ちゃんを抱いて汽車のデッキに出たトットちゃんは窓の向こうに小さくチンドン屋さんの列を見る。本当か幻か定かでないそれは、映画の冒頭でトットちゃんが学校に招き入れたチンドン屋さんの再現であり、遠く過ぎ去って行くまだ穏やかだった時代と、過ぎて行くトットちゃんの子ども時代の象徴だろう。
赤ちゃんにトットちゃんは語りかける。「あなたは、ほんとうに、いい子」。それはトットちゃんが小林先生にかけられた言葉。螺旋階段を上るように一段成長したトットちゃん。窓ぎわから窓ぎわに場面を移して映画は終わる。

制作はシンエイ動画。昭和からの歴史あるスタジオ。世界的に有名な原作のエピソードを組み立て直し、作者である黒柳徹子さんの思い出話に留まらず、一人のユニークな少女の目を通した日本のある時代の歴史という普遍的な物語に仕立ててみせた。
徹子さんは出版以来相次いだ映像化の依頼を断り続け、このアニメ映画化の企画だけに許諾を出したという。通常の映画化では再現は不可能と思っていらしたそうだが、世界に戦争が相次ぐ状況を鑑み、制作スタッフの熱意にも触れたことから、アニメーションならば可能なのではと思われ、託されたそうだ。
その徹子さんの思いは十分に叶えられたと思う。アニメーションは絵であることによって、どんな再現よりも真実味のある、本当を越えた本物を作り上げる力を持っている。この映画はその力が最高に発揮されていると思う。
美しい映像で描かれる生活の魅力、子どもにとってのあるべき教育、大人の役割、障がいと差別、幸福、友情。徹子さんは何と豊かな子ども時代を送られたことだろう。
徹子さんの心の核にある反戦不戦の思いを掬い上げ、「戦争はいや」と台詞では一言も言わないのに明らかにその心が伝わる美しい反戦映画でもある。
注意深く緻密に構成されているのに全編に渡ってわざとらしい作為がなく、美しく素直に心に響く。子どもの目線を重視し、小林先生が大石先生を注意する場面など大人の出来事の描写は窓などで仕切ることが徹底されており、その折り目正しい演出に感嘆する。
音楽もとても良い仕事をしていて上品だ。音楽家の父を持つ徹子さんの映画に相応しい。天真爛漫なトットちゃんを演じた大野りりあなちゃん、包容力ある小林先生の役所広司さんをはじめ、声も全員が好演。目だけでなく耳にもとても好ましい。
八鍬新之介監督は一生の誇りになる映画を作り上げられたと思う。世界に戦火が上がる今こそ一層必要な映画。この映画が長く愛され、いついかなる時でも観られるものであり続けてほしい。特に、これからの時代を作るお子さん方全員に観て考えてほしいと願う。

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