東映長編漫画映画の金字塔『長靴をはいた猫』

※同人誌『VANDA』20号(1996年6月発行)に寄稿した原稿の再録です。『VANDA』は(故)佐野邦彦氏と近藤恵氏が編集発行した同人誌です。

 『長靴をはいた猫』は1969年に公開された東映動画15本目の長編だ。前年に重厚なカ作『太陽の王子 ホルスの大冒険』を完成させたスタッフの多くがそのまま参加し、次は楽しい作品をという意欲と、『ホルス』で培われた高度な技術が花開いた長編史上の最高蜂というべき作品だ。
 ここにあるのは劇場用長編の格調の高さと、正統派漫画映画の無類の楽しさだ。とにかく理屈抜きに面白い。上質なギャグとユーモアで思いきり笑わせて、ハラハラドキドキさせて、最後にジーンとさせて、難しいことはなんにも引きずっていない、純粋な娯楽映画の快楽。
 この『長猫』の成功の要因には、シャルル・ペローの原作産話の巧みなアレンジがあるだろう。その一つは、原作者から名前を戴いた長靴をはいた猫ペロを独立した存在としたことだ。原作では父親の遺産の一つだった猫を、この映画では猫の国というアイディアを用いて、国の掟に逆らった為に猫の殺し屋に追われる股旅猫(?)としたこと。かくしてブーツにマント、羽飾り付き帽子の中世風の猫が誕生する。性格付けも見事。「人生楽しく生きなきゃ」「なんとかなるさ」がモットーの、楽天的で前向きで調子がよく機知に富んだバツグン(これは当時の流行語)で素敵な猫。このペロの設定こそが成功の源。
 そしてペロを追う三匹の間抜けな殺し屋猫との愉快な追跡劇が全編の芯になる。このアイディアを盛り込んだのは、脚本の井上ひさしと山元護久の『ひょっこりひょうたん島』コンビ。更にギャグ監修に中原弓彦を迎え、今では驚くばかりのメンバーだが、演出の矢吹公郎によると実は彼らの脚本は第二稿までとか。決定稿は、それを元にスタッフたちがアイディアを持ち寄り、イメージボードにして検討し合って決められていったそうだ。そうした作業を許した当時の制作条件の余裕と、スタッフのアイディアを積極的に盛り込んで自由にストーリーを膨らませていった矢吹公郎の鷹揚な演出ぶり。そうしたムードは当然作品に反映され、全体に春のような伸びやかな解放感の漂う幸福な作品に仕上がっている。
 そして物語の軸は主人公の少年ピエールの成長ぶり。横柄な兄さんやペロの機転の言いなりだった、素直だが気弱なピエールが自我に目覚め、愛する姫の危機に敢然と立ち上がり、敵のカの強大さに諦めようとするペロを叱咤し自ら先頭に立って立ち向かい、遂には魔王を滅ぼし姫を救い出す。愛情から生まれる勇気の大きさよ。
 この映画はキャラクターが皆、生き生きと魅力的だ。前述のペロとピエールは、原作の主従の関係ではなく友情で結ばれた一人と一匹の名コンビ。ペロを追う三匹の殺し屋の間抜けなギャグメーカー。ペロの手となり足となって活躍するネズミの泥棒一家。美しく可憐で時に気丈なローザ姫。いかにも漫画映画的な一心不乱の大悪役でありながら、姫を想う純情さがいじらしいほど人間的で憎めない魔王ルシファ。その最期にはスタッフからも同情の声が上がったという。因みに私のお気に入りは魔王の手下のカラスコウモリ。不気味な愛らしさがあり、ラストではアッと驚く趣向で姫とピエールを救う。
 彼らを生み出したキャラクター設定、作画監督はアニメ界の至宝、森康ニ。人間と小動物が対等に存在するこの作品の世界観は、森さんの本来の資質によく添うものであり、清楚なお姫様や、森さんの十八番である擬人化された小動物が活躍するメルヘンチックな物語の隅々まで森さんの個性が行き渡って美しく品のある画面が展開し、幼児から大人まで万人が安心して楽しめる良質な映画になっている。また原画陣も、大塚康生、菊池貞雄、小田部羊一、奥山玲子、大田朱美、宮崎駿、大工原章と一騎当千のそうそうたるメンバーが揃い、どの場面を見ても見劣りすることがない。
 キャラクターに画面上で演技をさせるアニメーターが強者揃いなら、生命を吹き込むと言われる声優陣も大好演。ペロの石川進は明朗で品のある声ではまり役。東映動画ではこの後、同じペロのキャラを使って2本の劇場作品が作られ、違う人物がペロの声を演じたが、いずれも石川進には遠く及ばなかった。素直な性格そのままの声のピエールは藤田淑子。石川進と合わせ、ニ人とも歌の上手さでも右に出る者はいない。ローザ姫役の榊原ルミの可憐な演技。バルコニーで歌う姫の白バラのような美しい姿は忘れられない。魔王ルシファは初代刑事コロンボでも知られる(故)小池朝雄。魔王のコワモテぶりからコミカルな味付けまで幅広い演技で実に味のある魅力的な存在になった。この後『どうぶつ宝島』のシルバー船長役でもバイタリティ溢れる演技を披露している。末っ子ネズミの水垣洋子とチビの殺し屋役水森亜土の、お互いに何を言っているのかよくわからない舌ったらずのセリフ合戦も可笑しい。こうしてアニメーターと声優が互いに動きと声の演技者として相乗的にキャラクターを膨らませていって、あの印象的な登場人物が生まれたのだ。
 そして宇野誠一郎の音楽の素晴らしさ。演出の矢吹公郎とは前年の『アンデルセン物語』でもコンビを組み気心の知れた良好な関係で、日本のミュージカルアニメでは最高といえる夢と笑いにみちた数々の名シーンを生み出した。親しみ易い主題歌とそのパロディ版「ネズミの行進」の明るさ。ペロとピエールの友情が育まれる「友達」。姫の歌う「幸せはどこに」、そしてそのメロディをペロの指揮でネズミたちがハミングコーラスし、殺し屋までがうっとりと聴いている麗しくも楽しいシーン。ネズミたちが手回し式レコードプレーヤーで奏でる音楽のテンポとギャグが密接に結び付いた「カラバさま万歳!」、ナイトシーンの多い『長猫』で特に朗らかなこのシーンが私は大好きだ。
 そして一番の見せ場は、何と言っても魔王の城でのクライマックス。ルシファが次々と化け術を披露する、大塚康生の作画が冴える名シーンも忘れ難いが、原作でネズミに化けた魔王が猫に食べられておしまいになるところから話が、しかもいざこれからが本題というボリュームで始まっていく映画的構成の妙味。若き日の宮崎駿が設定した城を舞台に、大塚康生と絶妙の原画コンビを組んで描き切った、至芸とも言うべき大活劇。『やぶにらみの暴君』を源に、塔、ハネ橋、ラセン階段、様々なカラクリを持った奇怪な城で、その構造を隅々まで生かして、魔王、ピエール、ペロ、三匹の殺し屋、ネズミたちが入り乱れて繰り広げる大混戦。ハネ橋での手つなぎ、ルシファの大ジャンプといった、後の大塚=宮崎ラインで繰り返される抱腹絶倒のギャグ。それまで魔力をひけらかす存在だったルシファは魔力の源、ドクロのペンダントを奪われて単なるバカ力の大男となってピエールたちとただひたすらに走り、跳び、駆け登る。その一生懸命なるが故に生まれる笑いの心地よさ。ドクロのペンダントを巡っての悪戦苦闘の攻防と、その行方を描く一連の空間感覚の見事さ。カラクリ時計の長い振り子が揺れ、中のドクロの山が殺し屋もろともガッシャガッシャと転げるカットのバイタリティ。城壁でのルシファとピエールの大立ち回りの小技の効いた芸。ドレスの裾を翻して階段を駆け降りるローザ姫の素足の清楚さ、作画の巧みさ。
 「朝日よ、早く!」フラッシュバックのサブリナ効果のサスペンス。遂に魔王が日の出と共に滅び去る様は、『ホルス』のグルンワルドが陽光の中で絶命するのを連想させ、ファンをニヤリとさせる。この一連のクライマックスは後に『未来少年コナン』『ルパン三世 カリオストロの城』『天空の城ラピュタ』と宮崎アニメに受け継がれてゆくのは周知の通り。
 全編を通しての浦田又治と土田勇の美術の充実した美しさ、落ち着いた色彩設計。『長猫』は、さながらオーケストラの豊かな調べの如く、全てのスタッフの力が結び合って生まれた、東映動画のみならず日本の長編漫画映画史上に燦然と輝く金字塔であり、その魅力は時を経て色褪せることはない。ディズニーが自社の長編を定期的にリバイバルしているように、LDやビデオが普及したとはいえ、東映動画もこうした秀れた作品を繰り返し大画面で見る機会を与えることも考慮して欲しいものだ。

初出:『VANDA』20号(1996年6月、MOON FLOWER VANDA編集部 編集発行)
※この号から表紙&背表紙の誌名が大文字の『VANDA』になっているので、それに従います。

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