東京国立近代美術館「高畑勲展」レポート

※『ビランジ』44号(2019年9月発行)に寄稿した文章の再録です。文中の事項は2019年に東京で開催された「高畑勲展」に関するものです。敬称を略した記述がありますが他意はありません。

 東京国立近代美術館で「高畑勲展」が開催されている。会期は7月2日(火)から10月6日(日)。副題に「日本のアニメーションに遺したもの」とある。去る2018年4月5日に亡くなられた高畑勲監督が遺した仕事の全貌を回顧する大規模な展覧会だ。
 これまでもアニメーション関連の個人に焦点を絞った展示会・展覧会は様々あったが、国立の近代美術館でここまでの規模のものは前例がない。いかに演出家・監督としての高畑勲の業績が傑出したものであるかの証しだと思う。
 また、同時期に九州の福岡市美術館でアニメーション監督の「富野由悠季の世界」展が開催中であることも大変興味深い。高畑と富野はともにアニメーションの演出家・監督であり、その大規模な展覧会が開催されることは、日本のアニメーションそのものがそれだけの歴史と実績を積み重ね、広く社会に認知され、新たなフェーズに入ったことの証しと言えるだろう。折しも日本のアニメーションは2017年で国産アニメーションの公開以来100年、TVアニメは2013年で『鉄腕アトム』放映以来50年の節目を越えた。ふたつの展覧会は一般にはなかなか表立っては見えて来ない演出・監督の仕事とはいかなるものかを知らしめ、あるいは検証する好機となることにも注目したい。
 さて、「高畑勲展」の大規模展示は高畑監督の逝去後に大量の未公開資料を含む資料が遺品として確認されたことが大きな契機となっていると聞く。その量、ダンボール18箱分。
 高畑監督は著書も多く、自らの長編映画デビュー作を詳細に検証してみせた『ホルスの映像表現』、作品制作などの折々に語られたり書かれたりした言葉を集めた『映画を作りながら考えたこと』などでも知られる。ことにスタジオジブリでの作品については徳間書店の『ロマンアルバム』などに作品ごとにまとめられている。つまり日本でも露出の多い存在だ。その高畑監督にしてこれほど大量の未公開資料があったことに驚きを禁じ得ない。ものを創作する人の性(さが)とも業とも言えようか。
 今回の大規模展示も、この未発表資料の発見が大きい。と同時に、監督の逝去こそがこの展示の実現に加担していることに一抹の感慨を覚える。知る人は知ろうが、高畑監督はあらゆる事柄にまず懐疑で応える人だからだ。そのことの意味とそうすることの意義をまず徹底的に疑い問うてみる。作品を作ること、参加すること、取材に応じること、著すこと、それら全てに対して。実は私は先だって有志に高畑監督の人と作品に関する意見を募り『高畑勲監督 大アンケート』という同人誌にまとめたのだが、高畑監督と接点を持った方の全員がもれなく、まずつれなくされているのだ。もし生前にこの企画が立ち上がったとしても、高畑監督の元に打診された時点で、それはどのような意味があっていかなる意義がもたらされるかを徹底的に問われたことだろう。おそらく監督自身の長考の末に立ち消えになっていたのではないか、とさえ思える。高畑監督とはそのような人だ。富野監督のように現役中に大規模回顧展を許し、自分の少年時代の作文や絵画までを出展する人とは全く異なる。だから、高畑監督ご自身は空の上からこの展覧会をどんなお顔でご覧になっているかと非常に気がかりだ。

 ともあれ今回実現した「高畑勲展」とはどのようなものかを実際の観覧に基づいてレポートしてみたい。
 まず、リーフレットでは高畑監督を「1960年代から半世紀にわたって日本のアニメーションを牽引し続けたアニメーション映画監督」と称え、「常に今日的なテーマを模索し、それにふさわしい表現方法を追求した革新者」と位置づける。その上で「本展覧会では、高畑の演出術に注目し、制作ノートや絵コンテなどの未公開資料も紹介しながら、その豊穣な作品世界の秘密に迫ります」と結ぶ。この括りに全くの同意だ。そして更に私は、高畑監督こそ、誰よりもアニメーションの絵に注目し、それを理解し、絵の持つ力を最大限に引き出し、絵で表現出来ることを追求し続けた挑戦者であると言いたい。その82年の生涯をかけてアニメーション表現のあくなき挑戦を続けた作家であると。
 「高畑勲展」では現在放送中のNHKの朝ドラ『なつぞら』に出演中の俳優・中川大志による音声ガイドのプログラムがある。『なつぞら』は高畑監督がアニメーションのキャリアを始めた東映動画をモデルにした東洋動画を舞台のひとつとし、ヒロイン奥原なつは女性アニメーターの草分けであり高畑監督とも多くの現場を共にした(故)奥山玲子をヒントに創作された人物だ。中川大志はドラマの中で高畑監督をヒントにしたと思しき新人演出家・坂場一久(さかば・かずひさ)を演じている。音声ガイドではこの役柄そのままの誠実な声音で語りを務め、また作品に合わせて、大塚康生・小田部羊一・友永和秀・男鹿和雄・山本二三など所縁のスタッフのインタビューも組み込まれる豪華な作りになっているので、観覧の際は是非利用されることをお勧めしたい。
 会場へ入るとまず遺作となった『かぐや姫の物語』から逆に並んだ年譜がある。これは、いきなり年譜通りに新人時代の世に知られていない習作から始めてしまうと観客にとって馴染みが無さすぎるであろうという主催者側の配慮だそうだ。逝去の報道などでも多く使われ、この展覧会のメインビジュアルにもなっている『かぐや姫の物語』からスタートし、年譜を逆に辿ってキャリアの最初にスムーズに導こうとの思いがあるそうだ。
 同じフロアには高畑がプロデューサーを務めた『風の谷のナウシカ』(宮崎駿監督作)の関連資料(ノート)、企画書の執筆を行った『ドラえもん』の「覚え書き」、宮崎駿と共に後期演出を手がけた『(旧)ルパン三世』の最終第23話の絵コンテなど、一般にも馴染み深い作品の資料が展示されている。
 そして高畑自身の公私に渡る様々な写真が散りばめられたアーチ状の壁をくぐると、そこには映画青年だった高畑にアニメーション界入りを決意させた作品、フランスのポール・グリモー監督作『やぶにらみの暴君』を紹介する「きっかけとしての『やぶにらみの暴君』」の小部屋。鮮やかな切り口だ。高畑の「アニメーション映画で「思想」が語れる」「思想を思想としてでなく物に託して語れる」との言葉も紹介されている。正しく高畑の原点だ。抜粋映像も繰り返し流され、未見の観客にも優しい構成だ。

 その先から展示の「第1章 出発点 アニメーション映画への情熱」のコーナーが始まる。未発表資料満載の今展覧会の主眼ともいえる場所だ。
 まず左側に、未発表企画『ぼくらのかぐや姫』。入社当時の東映動画では企画書の習作が広く求められており、高畑も新人時代に『竹取物語』を元にした企画を練った。社内では内田吐夢監督を招いての映画化企画もあったという。高畑案は採用されず、内田監督作も実現はしなかったが、その当時の企画ノート「竹取物語をいかに構築するか」の現物がここに展示されている。歳を経て黄ばんだ用紙の山。遺品の中から発見された未公開資料の目玉的存在だ。遺作となった『かぐや姫の物語』の原型ともいえるが、内容は更に鮮烈に、竹取の翁が溺愛のあまり自らかぐや姫を殺めてしまう結末が記されたものさえある。歴史的発見であると同時に、長い歳月を通して抱き続ける心の核のようなものを感じ、創作者の魂に触れる思いだ。
 そして右側には高畑が最初に東映長編の演出助手として携わった『安寿と厨子王丸』(藪下泰司・芹川有吾共同監督作)。絵コンテからの安寿の入水シーンの抜粋は、高畑がシーンの設計にも関わり、安寿を捉えるカメラアングルにも拘ったことがうかがえる貴重な、これも未公開の資料だ。私も個人的に東映長編としての『安寿』には拘りがあり、芹川・高畑両氏の生前にお話を伺うことが出来ていればと思うものだが、こうしてごく一部分でも資料を目にすることが叶うのはなんとも有り難い。自ら死を選んで白鳥に生まれ変わる安寿は、後の高畑監督作『太陽の王子 ホルスの大冒険』でのヒルダの死と再生にもつながるのではないかと仮説を立てている。今回の展示だけではその考察の端緒にしかならないのだが。
 『安寿』の隣には同じく芹川監督の下で演出助手を務めた『わんぱく王子の大蛇退治』。初期の『虹のかけ橋』からタイトルの変遷を刻んだ脚本数点と、『日本神話  虹のかけ橋』と題された絵コンテ丸ごと。これは激しく中を読みたい!絵コンテ集として出版されないものか。絵コンテの抜粋はスサノオとクシナダのデートシーン。この場面のカットつなぎについて原画担当の小田部は演出助手の高畑から進言を受けたそうだ。また、芹川が高畑の仕事ぶりについて語る言葉が引用展示されていて、その働きを知ることが出来る。
 反対側には東映動画初のTVアニメで高畑の演出昇格作『狼少年ケン』から担当話の脚本、AR台本、絵コンテと、挿入歌の音楽資料(歌詞と楽譜)。高畑の音楽的素養の深さをうかがわせる好資料だ。また、彦根範夫(現・ひこねのりお)が作画を担当した第72話『誇りたかきゴリラ』は絵コンテ(赤字で高畑の検討メモ入り)と実際の映像も流されている。こうした制作の手順を追った立体的な展示は一般にも親しみ易く受け入れられるだろう。
 このコーナーを抜けるといよいよ初監督作『太陽の王子 ホルスの大冒険』。『やぶにらみの暴君』から受けた感銘を自作長編で実践した作品だ。床から壁にかけて大量の複製メモが貼り込まれた部屋からは往時の熱気が押し寄せる。スペースもたっぷりと取られ、展示資料も膨大だ。『太陽の王子』については先にも挙げたように各種の書籍やムックになっているし、作画監督を務めた大塚康生やスタッフの中核となった宮崎駿も様々な証言を発表しているが、それらだけでは到底及びもつかない未公開資料の山に心底圧倒される。本展には分厚く充実した図録があるが、そこに収録された図版はほんの一部に過ぎないことが分かる。森康二の描くヒルダを含む原画やセル画、背景画はもちろん、制作メモ、スタッフからの提案、人物の役柄と性格の設定書き、人物関係図、音楽シーンの設計、踊りの振り付け図、等々様々な資料類はここにはとても書き切らないので、興味を持たれた方は是非実際にその目で確認してほしい。図録にも掲載されてはいるが、実際の香盤表やドラマのテンションチャートが横1メートル以上もある巨大な物であることに圧倒されるだろう。高畑によるもの以外にも宮崎をはじめ、多くの名前入りのメモや提案がある。この膨大な資料類が、自身の初監督作品の内容へのスタッフの自主的な参加を求め、そのために内容を共有しようと努めた高畑の姿勢と、それに全力で応えたスタッフのあり方を如実に示して胸が熱くなる。
 中でも特に目を引くのは門外不出と思われる会社側との制作交渉に関する書類の数々。昭和42年何月何日の日付と製作部長等担当者の署名捺印の入った会社側からの正式な書類数通には、制作が遅延する『太陽の王子』に対して、オミットすべき箇所の指摘、止め絵の使用や絵柄をもっと簡略にとの指示、等々が具体的に記されており、「表明されない限り、本作品の演出を降す。(原文ママ)」との言も見える。2018年に行われた高畑の「お別れの会」で宮崎駿が涙ながらに読んだ弔辞の「膝を折らなかったパクさんの姿勢はぼくらのものだった」との言葉の真意を見る思いがする。
 これらの膨大な資料をなんとか形に、せめて『太陽の王子』制作過程で表に出せるものだけでも集めて本の形にすることは出来ないものだろうか。最早、高畑監督自身の証言を得られないことに歯がみする思いだが。
 全4章の展示のうち、この第1章だけで、メモを取り、展示資料の文字を読み込みして、ぐったり疲れる。恐ろしい展覧会だ。
 壁面のモニターにかかる『太陽の王子』予告編に送られ、次のコーナーは趣向をがらりと変えて、高畑の訳著『鳥への挨拶』を彩った奈良美智の画を集めた小部屋。高ぶる気持ちを静める良い構成だ。

 続いて第2章「日常生活のよろこび アニメーションの新たな表現領域を開拓」は、原作者の許諾が下りずに幻となった作品『長くつ下のピッピ』から発展した『パンダコパンダ』を手始めに、『アルプスの少女ハイジ』『母をたずねて三千里』『赤毛のアン』の名作劇場路線の紹介。
 『パンダコパンダ』の展示では具体的な構成案やメモ、宮崎駿による脚本の下書き、歌詞の一案など。宮崎による脚本には高畑の特徴的な文字での書き込みがびっしり。パパンダの性格を「ゴーホーライラク(原文ママ)」と記すメモも。壁には宮崎によるレイアウトが並ぶ。音声ガイドで、当時はレイアウト用紙が存在せず作画用紙にフレームを書いて使っていたとの情報も。同じく音声ガイドでは小田部による、映画が終わると映画館じゅうの子どもたちが主題歌に合わせて大合唱をして嬉しかった、この体験が我々に子どもの喜ぶ作品を作ろうと決意させた、との証言が流れる。
 そして歴史的な作品『アルプスの少女ハイジ』へ。日常生活を丹念に描き出す高畑の演出スタイルが展開される。『ハイジ』についても大量の資料が遺されており、四季に渡る構成案や、動物についてのメモ、細かな書き込みのある脚本に加え、スタッフでもなかなか見られない生の絵コンテ(現場ではコピーが配られるので)、レイアウト、セル画、背景画も多数。ここからあの生活の実感が湧き出たのだ。オープニングの、小田部と宮崎が手をつないで実演し森康二がラフを描いたスキップのカットの原画も大量に展示され、柔らかな鉛筆の描線が素晴らしい。殆どの絵コンテが高畑の草稿を宮崎が清書したものだが、中に違う絵のコンテがあると思えばこれが富野喜幸(当時)の手になるもの(第18話)で驚く。冒頭で触れた福岡での「富野由悠季の世界」展では逆に、コンテマン時代の富野による『赤毛のアン』の絵コンテに高畑が修正を加えたものが展示されていて、この共振が興味深い。『ハイジ』の展示の中途にはアルムの山を再現した巨大ジオラマが設えられ、フォトスポットにもなっているが、急峻な斜面が目で実感され、良い趣向だ。
 展示会場の内装自体も神経が行き届いており魅力的だ。この『ハイジ』から『三千里』へと続くコーナーの壁は鮮やかなブルーで彩られ、『三千里』の主人公マルコの故郷ジェノバの空を思わせて素敵だ。会場全体が広い平面なのも足に優しい。『三千里』の展示は宮崎のレイアウトや小田部のキャラクタースケッチなどの絵も多く、高畑・宮崎・小田部の黄金トリオ最後の作品となった『三千里』の作画面での豊かさを十分に味あわせてくれる。椋尾篁による背景画も多数あり「光と影の詩人」と謳われた故人の画才を存分に堪能出来る。
 『赤毛のアン』の展示では原作小説を生かした作品作りのために、原文に登場する英単語の和訳がびっしりと書かれた準備ノート、メモや設定等が大量に遺されている。高畑自身の手になるグリーンゲイブルズ(アンが暮らす家)の室内見取り図も珍しい。オープニングの絵コンテ(宮崎による清書)と、レイアウト用紙に描かれ、そのままラフ原画として使用された宮崎の作画もある。宮崎は『アン』の前に自身初の監督作品『未来少年コナン』を手がけており、『アン』の途中で『ルパン三世 カリオストロの城』のために『アン』から離れるのだが、その未来の歴史を知っていて見るこれらはやはり心に沁みる。高畑が日本のアニメーションに遺した大きな功績のひとつは、長年かけて演出家としての宮崎駿を育てたことだろう。現在の大家となった二人しか知らない層には想像もつかないかもしれないが。
 『アン』のコーナーの次は高畑らが1回だけ参加した『フランダースの犬』の絵コンテ(絵は宮崎)と高畑の自筆による『ペリーヌ物語』の絵コンテの部分展示。絵を描かない演出家である高畑のコンテの絵は簡略な丸ちょん式だが、不思議と雰囲気があり目線や背景パースが確かで、きちんと三脚に乗ったカメラの存在を感じさせる。
 その先には『ハイジ』第1話抜粋、『三千里』第2話抜粋、『アン』オープニングとベストチョイスな映像コーナー。この作品選定を見ても、この展覧会のスタッフの見識の高さが伝わるのだ。

 ここから壁の色が白くなり、第3章「日本文化への眼差し 過去と現在の対話』が始まる。実に適切な章題だ。扱う作品は『セロ弾きのゴーシュ』『じゃりン子チエ』『柳川堀割物語』『火垂るの墓』『おもひでぽろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』。ここでは『ゴーシュ』の制作会社オープロダクション発行の自主情報誌『カッコー通信』が今となっては貴重か。音声ガイドでは『チエ』の原画マン友永和秀による「高畑にレイアウトを厳しくチェックされた」話も聞ける。
 『火垂るの墓』部分のみ壁の色が黒に変わり、作品の苛烈さと相まって恐ろしさに震える。展示はイメージボード、レイアウト、絵コンテ、背景画、セル画、色指定表と絵的資料が膨大なのだが、急ぎ足で逃げるように通り抜けたものだ。
 壁の色は『おもひでぽろぽろ』で再び白に戻り、柔らかな「おもひで編」の空に溶け込むようだ。この辺りになると作品にもメジャー感が出て来る。『ぽんぽこ』の展示では壁面の一方に、天井から床までびっしり複製画が印刷された巨大な掛け軸が垂れ下がる和風な趣向が圧巻。部屋の中央に据えられた巨大なガラスケース3つの中には通常よりも小さい紙に描かれたイメージボードがこれまたびっしりと収められてこれも圧巻。絵の力に圧倒される展示だ。反面、高畑自身による演出の工夫の跡を示す文字資料がこれまでの展示よりも薄くなっている気はする。高畑の目が日本と日本人に向かい、その生活と歴史をリアルに描き出すことに傾注していくのは、その作品を見れば一目瞭然ではあるのだが。
 第3章と第4章の間に小さなスペースが取ってあって、そこには高畑が敬愛し、大きな影響を受けたカナダのアニメーション作家、フレデリック・バックの展示がなされている。先のポール・グリモーといい、この辺もこの展覧会の気の利いたところだ。
 展示は『クラック!』『木を植えた男』の原画と、バックから高畑への手紙とそれに添えられた『トゥ・リアン』の原画。ともに美しく気高い。セル(アセテート)に一枚一枚直接絵を描いてゆくバックの手法と、そこに込められた社会性の高いメッセージは高畑に大きな影響を与えた。最初の出会いは『じゃりン子チエ』の後、高畑が渡米した際に見た短編『クラック!』。自分たちのセルアニメーションとは全く異なる世界を持つ作品に高畑は強く惹かれ、バックが世を去るまで交流は続いた。この出会いがなければ高畑の作品歴はまた違うものになっていたかもしれない。バックが生前最後に目にしたのは高畑がようやく完成させて持参した『かぐや姫の物語』だった。今頃空の上で高畑とバックはアニメーション談議に花を咲かせているかもしれない。

 最終章は第4章「スケッチの躍動 新たなアニメーションへの挑戦」。展示は『ホーホケキョ となりの山田くん』と『かぐや姫の物語』。ありふれた家族の日常を描く『山田くん』で原作四コマ漫画を味わいそのままに長編アニメーション化するために選んだのは、かすれや途切れのある線と、人物と背景が一体となった水彩画のような画面。そのために編み出された手法が、絵1枚につき、実線とデジタル彩色用の内線、水彩風なはみ出しや塗り残しの味を出すためのアタリとしての輪郭線を別個に描くというもの。通常の何倍もの手間がかかるが、決して観客には伝わらない努力がそこには必要だった。展示ではその職人の技が確認出来る。
 遺作となった『かぐや姫の物語』は『山田くん』の手法を更に進め、キャラクターの形が崩れることさえ厭わないラフな、筆で描いたような作画が中心になっている。ここにはもはや日本の商業アニメーションが守ってきた決め事は存在しない。高畑は概念としての日本のアニメーションを越境してしまったのだ。画面は高畑が長年関心を寄せ研究してきた絵巻物のごとく、人物と背景が渾然一体となって息づく。そのキャリアの出発点から自らが理想とするアニメーションの実現のためにスタッフに献身的な尽力を求めて絵の持つ可能性を追求し続けてきた高畑の頂点であり到達点である。展示の中心は予告編でも印象的に使われた、姫が十二単を次々に脱ぎ捨てながら疾走する場面と、桜の下で喜びに舞う場面。広い部屋の中央、大きなガラスケースの中には疾走する姫の原画と作画用紙を収めたカット袋の山。他に赤ん坊の姫が赤子特有の柔らかな動きを見せる場面の原画もある。どれもあまりの見事さに見惚れる。音声ガイドからは二階堂和美が歌う『かぐや姫の物語』の主題歌『いのちの記憶』が流れ、「お別れの会」での彼女の天にも届く絶唱が脳裡に甦ってしみじみとする。
 最後は、動画机からはにかむような笑顔を向ける高畑の写真と、愛用のストップウォッチが3個。そこを抜けると『かぐや姫の物語』のラストシーン、月に浮かぶ幼い姫の姿。終生音楽に拘った高畑が求めた『天人の音楽』が流れる。うっすら暗い小部屋は観客が現実に立ち返るための場所だろう。高畑は映画の観客が映画というファンタジーの中に浸り続けるのを良しとしなかった。まことに高畑を良く理解した締め括りだ。この展覧会を構成した人に敬意を表したい。
 無理を承知で欲を言えば、演出家・監督としての高畑だけでなく、人間高畑勲についての展示もあって欲しかった気がするが、ともあれ素晴らしい展覧会だった。全4章のうち、未公開資料が集中する前半で気力体力を使い果たしてしまい、後半は急ぎ足での観覧になってしまったが、また訪れようと思う。これから行かれる方は十分な時間的配慮をもって臨むことをお勧めしたい。
                       (2019年7月27日観覧)


※初出:『ビランジ』44号(2019年9月発行、発行者:竹内オサム)
※「高畑勲展」はこの東京国立近代美術館の展示の後、2020年8月から岡山県立美術館、2021年4月から福岡市美術館、2021年9月から新潟県立近代美術館で巡回。筆者は岡山、福岡の観覧もしたが、館によって展示の方法や雰囲気が随分違うことに気づいた。このレポートはあくまでも東京展のものであり、新潟展を観ていないので断言は出来ないが、この東京展がおおよその基準になっていると思われる。
※各地の「高畑勲展」についてはmixiの「五味洋子」名義の日記に書いてweb公開もしているが、そちらは写真と共に見てもらうことを念頭に書いているので、やや書き方が違う。
※文中に「高畑の逝去が展示の実現に加担」と書いたが、あくまでも想像であり、実際ではないそうだ。


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