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愛の反対は?

CEOのジェシィです

今回も528役員会議でのお話しです

私はすぐ「愛を入れるんですよ」と言います

それで「愛の反対はなんですか?」と質問があったのです
愛の反対ってなにかなと考えました

愛の反対は「用事」でした

こうしましょう
と言われてこうする

普通こうかな
と思ってこうする

用事として"こう"を済ませてる

そこに
気持ちがなかったり
意図がなかったり
でも用事は済ませられる

システム化されたみたいな動きです

する側が人間らしくない?
それとも
相手を人間と見てない?
両方?

感じたり考えたりする必要ない?

愛されるべき人ばかりなのに

だから
いちいち全部に「愛を入れるんですよ」
と言っています

相手は気が付きます
愛が入っているかどうか
愛を入れると自分がしあわせになります

さっと「用事」がラクなようですが
愛を入れるほうがラクです

楽しくなるから

愛を入れるは気持ちを込めるに似てるかもしれませんが
私にとっては少し違う気がします

愛を入れるのほうが自由です

気持ちだと〇〇な気持ちが送ったり送られたりしますけど

愛だと入れる方も
気付く方もそれぞれの解釈で共有出来ます

そうだわ
愛は共有するんだわ

送ったり送られたりするのではなくて
愛を入れておけば
その愛を共有しておけるんだわ

音楽にも
愛が入ってる演奏と
用事としての演奏があります

「弾ける」から弾く と
「弾きたい」から弾く は
とても違います

お稽古用の曲だとしても
その曲の言ってることを
「そうだ、そうだ、そうよね」
と自分の中に入れて音にするのが必要です

自分の思いと違うなぁと思っても
繰り返し意味を問いかけて
ここはどうしてこの音?
どうしてここはこのリズム?
と曲の中のひみつに迫って下さい
ああ、だからか
とわかる時が来ます

音楽の中にあるひみつのうしろには
いつもテラ級の愛があります

愛する人にだけではない
誰もが感じていいテラ級愛が
どこにも行かずに
いつもあるんです
奏でるたびに
歌うたびに
テラ級愛に会えます

それを感じずに音だけ出すな

用事として音を出すな

何千万回とテラ級愛の演奏を
何十年と続けて参りました
これがアート思考やと。。。

愛がなくて
用事として
どんどん済ませる必要がある、は
こわいです

お気をつけて下さい

ケガしそうです











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