本を書くとはどういうことなのか2.2

書いてもいないのに人を上から目線で批評する。この行為のなんとバカバカしいことか。今なら土下座で謝りたい。出版していない私は負けたのだ。あれはあれで、田村さんの視点に立って書いたものだ。その後退職してしまった田村さんにもう聞くことはできないけれど、心境の変化はあったのだろうか。私は私の視点で物事を見ればいい。しかしそれが本である以上、どこかの誰かが書いた二番煎じではつまらない。自分の独自性を出して勝負したい。

1日目を一言でまとめるならば、仮説、検証、証明することで、うねりのある文章を書くということだ。しかし肝心の仮説を導くには、どうするか?そこで必要になるのが観察だ。観察というと思い浮かぶのは、小学生の夏休みの朝顔の観察だが、その言葉を本当の意味で理解したのは、『嫌われた監督』を読んでからだ。観察し、何かの違和感を感じたら、今度はそれを仮説にしてみよう。大丈夫、これは大学時代に苦しんだ心理学実験の授業じゃないのだ。気負う必要はない。気軽に疑問に思ったことを書いてみよう。

そして、田村さん、今度は私が当事者になってあなたのその後の心境を想像するだけじゃなく、身をもって体験したいと思います。

しかし、上の文章を読み返してみるとモヤモヤを感じた。私は私の視点で物事を見ればいい、とあるが本当だろうか。私の視点はそれほどユニークな視点なのだろうか。むしろ大多数の人と変わらぬ凡人の視点なのではないだろうか。加えて、自分の独自性とあるが、自分に独自性などあるのだろうか?プロの作家でもない私が独自性を発揮することなどできるのだろうか。少し考えてみたい。

まず、視点の意味は、物事を観察する立場。観点。
独自性の意味は、他と違い、それだけに特有の性質。
改めて修正してみる。
私は、私の立場や観点で物事を見ればいい。しかしそれが本である以上、どこかの誰かが書いた二番煎じではつまらない。他者とは違う特有の性質で勝負したい。

なんだこの文章は。自分を村上春樹と勘違いしているのだろうか。大風呂敷を広げるのも大概にした方がいい。

修正開始。
私は、私の立場や観点から物事を見ればいいのか、違う立場から見た方がいいのか考えるのだ。自分の視点には必ずバイアスが掛かっていることを知った上で物事を見るのだ。その視点は他者とは異なるのか、異なっていないとしても、切り口を変えることで他者との差別化を図れるのか。そういう姿勢で日々観察を続け、仮説を導くのだ。


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