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好きな小説家は、村上龍のテニスボーイの憂鬱、村上龍映画小説集 最近は村田沙耶香。ビジネ…

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好きな小説家は、村上龍のテニスボーイの憂鬱、村上龍映画小説集 最近は村田沙耶香。ビジネス書も読む。

最近の記事

今年やりたいこと(その1:退職届を出す)

令和6年1月3日。元日に能登半島を震源とする強い地震が発生してしまい、完全に心を持っていかれてしまった。僕は能登半島には親戚も友人もいないのだが、同じ日本人として、心を痛めたのは確かだ。地震から二日後の今日になって気持ちは少し落ちつきを取り戻した。明日からの仕事を考えると憂鬱だが、今年やりたいことを一つ考えてみたい。 今年やりたい事の一つ目は、退職届を出すことだ。 今までずっと思い続けて、願い続けてきたことだが、出すことができなかった。でも、もうこれ以上、自分の気持ちを偽る

    • 表現の違いだけじゃなく本質が違った

       テニスにおけるスマッシュについて、昔と今では教え方が違っていた。テニススクールでスマッシュの練習をしていたときのことだ。新しく着任したコーチから聞こえてくる言葉に耳を疑った。サッカーボールを胸でトラップするようにボールを捉える。どういうことだ?右利きならば、左手を斜め前にかざしてボールを掴むタイミングに合わせて打つんじゃないのか?少なくとも以前はそう教わっていた。コーチに理由を聞こうと思ったが、そのときは、単に表現方法が違うだけで、打点が変わったわけではないだろうと思ってい

      • 「前のめり」とは何か?

         望月峯太郎が書いた名作漫画に『お茶の間』という作品がある。主人公花井薫はオリンピックを目指すほどの水泳選手だったが、苑子との結婚を見据えて、百貨店に入社。しかし、現実と夢の狭間に揺れ、やがて自分を取り戻すために再びオリンピックを目指す。百貨店を辞めた後、薫は道路工事の仕事に就くのだが、そのとき、ひとりよがりな仕事をして、同じ職場にいた父親から蹴りを入れられる。「ばっかもん、お前が掘ったところをゴンザレス君がならし、俺が運ぶ。掘るのと、ならすのと、運ぶのは三位一体なんだ。てめ

        • 「さみしい夜にはペンを持て」を読んで、テニスのことを考えた。

           「答えは見つけるものじゃない。出すものだ」このヤドカリのおじさんの言葉には驚かされた。考えてみれば、僕はずっと答を探し続けていたように思う。僕は新書を書く予定なのだが、ここ数ヶ月の間、ずっと書けないでいた。その理由は、仮説が浮かばないというものだが、それが本当の理由かどうかはわからない。同書の中にあるように「可能性の中にいたかった」のかもしれない。自分は今書けないだけで、しばらくすれば書けるようになるはず。来年になれば、仕事を一区切りして、時間が生まれる。今書けないのは時間

        今年やりたいこと(その1:退職届を出す)

          不気味の谷

          前回、「映画「アイロボット」を観て(改訂版)」という記事を書いたが、なんだか改訂した後もモヤモヤが残っていた。確かに、ロボットと人間は違うことを認識して共存すればいい、と締めた。 しかし、そんなことが本当に可能だろうか?我々人間は、進化し続けるロボットに付いていけるだろうか。 想像してみてほしい。仕事や人間関係で嫌なことがあったとする。なんだか真っ直ぐ家に帰るのは憂鬱だ。そんな時に公園のベンチで横になりぼんやりしているところへ、そっと人間型ロボットがやって来て声をかける。

          不気味の谷

          映画「アイロボット」を観て(改訂版)

          ロボットが家庭に入り込み、家事をこなし、人間の世話をしてくれる。それは便利な世の中だ。しかしそれはロボットをあくまで機械や道具として見ているからではないだろうか。映画の中で、サニーという新型ロボットは、開発者から感情を教わったという。サニーは警察署の取調室で机を叩いて怒りを露わにした。普通ならここで、おいおい、ロボットがそんなに感情的になってどうすんの?という総ツッコミがあることだろう。すぐに怒るだなんて、頭が悪い人の一丁目一番地じゃないかって。しかしこの映画では敢えて冒頭と

          映画「アイロボット」を観て(改訂版)

          エアリズム小笠原

          夜のテニスレッスン。プリンスのラケットを操るコーチ小笠原と私はストロークをしていた。さすがに仕事終わりのレッスンは中高年にはキツい。もうほんの少し動いただけで、ゼエゼエ息切れだ。1on1のレッスン終了後、小笠原からの話は足を下げずに前に、横に出して、というものだった。しかし、そんな話が耳に入ることを小笠原の胸元が遮った。小笠原はポロシャツを着ていたのだが、このクソ暑いのに、その下に下着を。あれ?これはもしかして、昔ジョコビッチとスポンサー契約を結んでいたユニクロのエアリズムか

          エアリズム小笠原

          「幼年期の終わり」を読んで

          アーサー・C・クラーク「幼年期の終わり」は言わずと知れたSFの名作だ。しかし私はこの作品を他人から言われるまで全く知らなかった。そもそもSFは食わず嫌いの気があり、主に純文学のジャンルを読んできたのだ。 そしてこの作品を読後、私はなんとも言えない感情を抱いた。ネタバレ必至なので、ご容赦願う。 オーバーマインドの思うがままに従来の人間は一人残らず滅んでしまったのだ。おい、オーバーマインド、そしてオーバーロード、お前ら人類になんてことをしてくれたんだ。人の命を何だと思ってやがる

          「幼年期の終わり」を読んで

          フェルメール「牛乳を注ぐ女」を描写してみた

          2023年6月22日 白い壁の部屋で女は牛乳を注いでいる。腕まくりをした頑丈な腕で赤茶色の瓶から白い牛乳を注いでいる。牛乳は赤茶色の色をした土鍋のようなものに注がれている。鍋の回りには5個か6個のパンが置かれている。鍋と一緒に青色の透明の瓶も置かれている。その瓶は蓋が閉まっている。一番手前には丸い形をしたパンが、同じように丸いバスケットに置かれている。土鍋が置かれているテーブルは、やや白味がかった青いクロスが掛けられている。テーブルの真ん中には、全体を覆っている青いクロスとは

          フェルメール「牛乳を注ぐ女」を描写してみた

          鬼滅の刃から考える なぜ岩柱・悲鳴嶼行冥は最強なのか?

          先日、令和5年6月18日、テレビアニメ鬼滅の刃、刀鍛冶の里編が終わった。今回も色々と教えてもらった。鬼滅の刃という作品は考える示唆に富んでいる。作者吾峠呼世晴の知識量は半端ではない。そこで今回は、鬼滅の刃に登場する岩柱、悲鳴嶼行冥について考えてみたい。ご存知の通り悲鳴嶼行冥は鬼殺隊最強剣士である柱の一人だが、その柱の中でも強さは群を抜いている。 しかし、多くの読者は既に疑問に思っているだろう。悲鳴嶼行冥は目が見えない。致命的な欠点を持っているじゃないかと。普通に考えれば、夏

          鬼滅の刃から考える なぜ岩柱・悲鳴嶼行冥は最強なのか?

          「視線 世にも奇妙な物語」を観て思うこと 

          誰にも注目されない。それはそれで寂しいものだ。人それぞれの解釈によるがそれは一種の無視とも捉えられる。 個人の性格にもよるが目立ちたがり屋というものは存在する。学生時代を思い起こしてみるといい。目立つことで自我が喜び、充実した生活を送る。そんな人もいるだろう。お笑いタレント、歌手、俳優、YouTuber。今は誰でもマスメディアになれる時代。皆んなからの注目を一身に浴びたい思いを具現化した人たちだ。そんな目立ちたがり屋であっても、プライベートは守りたいと思うだろう。四六時中マ

          「視線 世にも奇妙な物語」を観て思うこと 

          本を書くとはどういうことなのか2.2

          書いてもいないのに人を上から目線で批評する。この行為のなんとバカバカしいことか。今なら土下座で謝りたい。出版していない私は負けたのだ。あれはあれで、田村さんの視点に立って書いたものだ。その後退職してしまった田村さんにもう聞くことはできないけれど、心境の変化はあったのだろうか。私は私の視点で物事を見ればいい。しかしそれが本である以上、どこかの誰かが書いた二番煎じではつまらない。自分の独自性を出して勝負したい。 1日目を一言でまとめるならば、仮説、検証、証明することで、うねりの

          本を書くとはどういうことなのか2.2

          『本を書く』とはどういうことなのか

          誰かのために書いている。連れ合いとか。誰でもマスメディアの時代 誰に何を見せるのか。 文章を書くのが好き 読者はどんなイメージ? どのように伝える? 最強の自分プレゼンツール わかり易く簡潔に自分をアピールできる 書いた人の勝ち 自分が批評家状態になると自分が上だと勘違いする。 何もしてないは負け どんなにつまらなくても評論家ではなくて、当事者になった人の勝ち ゼロからコンテンツを産むと言うことが1回でもあると全然違う。 データさえあれば作れる。 編集者と著者が認めた上で、書

          『本を書く』とはどういうことなのか

          客観視しながら、エースをねらえ!

          日曜日の夕方。1時間半のテニスのレッスンが丁度終わった。もうすぐ笑点が始まる時間だ。今帰れば見れるだろう。そんなことをぼんやり考えて車に乗り込もうとしていたら、誰かが壁打ちコートに向かっている姿を見た。さっきまでテニスのレッスンで一緒だった操さんだ。操さんは、熱心な人で、レッスン後一人壁打ちを始めることが多い。今日も恒例の振り返りを行うのだろうか。しかし、一人壁打ちを続けることが良いことばかりとは思えない。 僕はちょうどその前日の土曜日、トップスピンストロークの特別レッスン

          客観視しながら、エースをねらえ!