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幕末の気になる人物を、自分なりに書き出してみたい 〜勝麟太郎海舟〜

 「日本人で初めて太平洋を渡った咸臨丸の艦長」「坂本龍馬を弟子にした男」「江戸城を無血開城に導いた立役者」など、歴史に名を遺した勝麟太郎海舟。子母沢寛や半藤一利といった名だたる作家が描いたり、NHKが大河ドラマにしたりと、一般的に英雄的なイメージがあると思う。
 ところが、いろいろ調べてみたところ、創られた虚像に騙されていた気がしてきた。ファンには悪いが、ガッカリなエピソードを書き出してみたい。

  • 船酔いが酷かった

  • 妻と妾を同居させた

  • 女中に手を付けていた

  • 十四代将軍・徳川家茂に取り入って、神戸海軍操練所を創設した

  • 日本海軍の創始者ではない

  • 小栗上野介や小野友五郎を陥れた(?)

 勝は、オランダ語ができるので長崎海軍伝習所に行くことになったらしいが、海軍に入りたい訳ではないから、本人的には嫌だったらしい(そういう手紙が遺っていると、ブログに書いている人がいた)。それでも長崎で妾に子どもを産ませたりしているから「住めば都」になったんだろうか?
 江戸幕府が初めて西洋の国(アメリカ)に使節団を送ることが決まった頃、その護衛として咸臨丸もアメリカへ行くことになった。伝習所で学んだことを活かす機会ということも理由である。勝は「どうしてもアメリカに行きたい」と、あらゆるツテをたどって願いを叶えた。
 咸臨丸の艦長は勝になったが、身分的には軍艦奉行の木村摂津守喜毅のほうが上。木村は、使節団のトップが亡くなった場合のピンチヒッターとして咸臨丸に乗り込んだ。アメリカの史料に遺る木村の評価は高いのだが、勝について書いてあるものはなかったようだ。
 勝は、木村に従わないことが多々あったらしい。そもそも航海中、ほとんど部屋に閉じこもっている艦長って、ありえない! 船酔いが酷かったそうだが、太平洋のど真ん中で「日本に自分だけ帰る!」とか言っちゃう艦長って、どうよ? 
 ちなみに、木村の従者が福沢諭吉で、福沢の勝に対する不信感のようなものは、このときに生まれたのだろう。木村と福沢は、生涯にわたって良好な関係を築いている。

勝には妾が5人いたそうだ(8人という説もある)。妻と妾を同居させたり、女中に手を付けたりと、現代人から見ると「倫理的にどうよ?」と思わずにはいられない。極貧生活の頃から暮らしを支えてきた妻の民子は、妾たちとその子どもの世話もしたりと、あり得ないほど素晴らしい女性だったが、亡くなるときは「勝のそばに埋めてくれるな」と遺言したそうだ。たまりに溜まった鬱憤がこの言葉に凝縮されているように思える。

 家茂は、大老・井伊直弼らの支持により13歳で将軍になり、孝明天皇の妹である和宮親子内親王と結婚した。同い年の2人は、かなりラブラブだったようだ。
 文久3年(1863)、家茂は大阪湾巡視を行い、そのときに勝が随行。神戸に上陸したとき、家茂に海軍操練所を直訴し、認められた。勝のトークは素晴らしいのだろう。龍馬も魅了されている。

 日本海軍の創始者については『咸臨丸航海長小野友五郎の生涯―幕末明治のテクノクラート(藤井 哲博 著/中公新書)』を読むことをお勧めする。
 また、この本に触発されて今野敏が初の歴史小説『天を測る』を書いているので、読んでみるのも良いだろう。

 最後に「小栗上野介や小野友五郎を陥れた(?)」。

 小野については、前述の新書を読んでもらえればわかる。勝は、戊辰戦争の責任を小野に押しつけて投獄されるように仕向けた。長崎海軍伝習所から関わりがある、優秀な小野に対しての嫉妬があったことは否めない。
 勝には、エリートである小栗への嫉妬もあったらしい。勝は父の代で武士になったが、小栗は家康の頃からの側近の家柄。勝と小栗は、意見が正反対だったことが多かったのに、剣の流派は同じだった。皮肉な気がする。
 勝は、帰農した小栗が新政府に反乱を企てる可能性があることを臭わせて、殺されるような方向に追い詰めたという説がある。決定的な裏付けが取れていないので、見出しでは(?)と書いた。
 
 史実というパーツを繋いでいくと、このように思えるのだが、どうだろう?
noteの世界には、自分よりも幕末や勝について詳しい人もいるだろうから、教えて欲しい。
 



 


 


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