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安部公房論ー題未定(安部公房初期短編集)から読解Ⅰー

安部公房論ー題未定(安部公房初期短編集)から読解Ⅰー

安部公房の『(霊媒の話より)題未定』が表題とされる、安部公房初期短編集を、発売日に買って、読み進めては居たが、その時分、安部公房論で、他の作品を取り上げていたため、本格的に論を書くために、読み始めた、題未定(安部公房初期短編集)である。凡そ、11編の小説が入っている、初期の頃の小説群であり、『壁』以降の、一風変わった安部公房文学は、この本からは散見されない。実に不思議なことであるが、それもまた、研究という視座においては、面白い、という設定に尽きる、妙薬である。数回に分けて、この小説群を読み解こうと思うが、何れも、日本文学と照らし合わせて述べてみたい。そこに、安部公房の、日本文学史における、或る種の位置が見出せるだろう。

まずは、『(霊媒の話より)題未定』、から。

例えば、登場人物の地主の、この様な台詞がある。

世の中と云うものは我々には解らない。第一自分の知らない事と云うものは、知って居る事で判断することは出来ないからねえ。

『(霊媒の話より)題未定』/安部公房

お前さんの見たのも多分霊とか魂とかそう云った類のものに異いないよ。多分向うの方でもお前さんの事を毎日思い続けて居るので魂になって現れて来たのだろう。

『(霊媒の話より)題未定』/安部公房

こういった、霊とか魂とか言った、解らないものを、小説に登場させるのは、『壁』以降のSF的な要素とは、少し異なっている。まるで、埴谷雄高の『死霊』の台詞みたいで、何故かとても読み易かったが、要は、この頃の、初期の安部公房の小説は、未だ、安部公房的ではない、と一先ずは言って置きたい。何故この様な話であり、台詞を使っているのかは判然としないが、少なくとも、埴谷雄高が見出した安部公房、という日本文学史に傾斜すれば、納得のいく文章なのである。しかし、たんなる話ではなく、非常に難しいことも言っているし、作品としての高度さも見受けられる。だから、『死霊』から、霊媒、という風に、霊が重なっているところを看取して、埴谷雄高の系譜としておこう。ちなみに、発表時期は、『死霊』のほうが後であることも、気になるところだ。

そして、『(霊媒の話より)題未定』の、最後はこうなる。

奥さんの意見では彼の元の曲馬団に帰えったのだろうと云うし。地主さんは、多分自殺でもしたのだろうと云って居る。だが二人共彼の居なくなった理由については何も知らないのだ。

『(霊媒の話より)題未定』/安部公房

こういった、小説の結末の方法論は、例えば、芥川龍之介の『羅生門』の最後、

下人の行方ゆくえは、誰も知らない。

『羅生門』/芥川龍之介

という台詞の方法論に、酷似している。また、『藪の中』の、犯人が決定されずに最後を迎える小説方法論にも似通って居る。こういう、真実を煙に巻く小説の最後の設定は、割と芥川龍之介は使用しているのだが、この安部公房の『(霊媒の話より)題未定』に、そういった方法論が見られることは、実に妙な感じがするのである。この『(霊媒の話より)題未定』という小説は、文庫本の解説では、1943年頃の制作だと記されているが、安部公房がこの頃、芥川龍之介の小説を読んでいたかどうかは、分からない。だから、影響の有無を述べることは出来ないのだが、特に、『羅生門』の終わり方との類似性は、見逃す訳にはいかないだろう。日本文学史においては、『(霊媒の話より)題未定』は、芥川龍之介や埴谷雄高の系譜でもあり、要は潜在的に、両者に酷似した内容を含蓄していること自体が、看過できない、重要事項な訳であって、後に、芥川賞を取ることになる、決定的証左が見られることは、喜ばしいことなのだ。

まずは、安部公房論ー題未定(安部公房初期短編集)から読解Ⅰーとして、『(霊媒の話より)題未定』、を取り上げ、読解してみたが、日本文学史に、密接に関わる、言葉、ーいわゆる言語的有効性ー、が散見されたことは、この後、日本文学を引っ張っていく先導者として、そこに安部公房が居たことが、何とも不可思議、且つ、喜ばしいことなのである。過去の拙稿でも述べたと思うが、安部公房は、ノーベル文学賞を受賞寸前だったようで、本当に急死が惜しまれるのだが、それこそ、世界的に有名な『砂の女』を書いている安部公房が、長生きしてノーベル賞を取っていれば、世界に、翻って、芥川龍之介や埴谷雄高が注目されていたかもしれないと思うと、日本文学の一系譜として、或はそこから相対的に広がり、日本文学史、その全体像を注目されたことになったかもしれないのである。こういった、無念が残存するところではあるが、取り敢えずこれにて、安部公房論ー題未定(安部公房初期短編集)から読解Ⅰー、を終えようと思う。

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