「ピダハン」

寝るな、ヘビが出るぞ。(おやすみなさい)

アマゾン少数民族ピダハンの中で共に30年を過ごした言語学者にしてキリスト教伝道師の人生をかけた研究記です。

数がない、色もない、左右もない、比較級がない、神もない、抽象議論がない、直接体験のみが語られる。そんな無い無いの言語が存在するという驚き。本書の前半はそんな特異すぎるピダハンの世界観を、驚きを持って生々しく描き出します。私たちが「あって当たり前」と思っている数々の常識に、「無い」という非日常で風穴を開ける様はまさにSF的。不死の存在を通して「命」を描く火の鳥のように印象は鮮烈です。だってさ、想像もできないじゃありませんか、「ありがとう」が無いコミュニケーションがどう社会を成り立たせるかなんて?しかし読むにつれて、ピダハン語が「原始的で欠けている」言語であるという認識は砕け散ります。直接体験のみを語るということがいかなる意味を持つのか。僕は正直目が開かれる思いでした。精神の専制者(自分の理性の外部の権威に従うこと)からの自由を体現する世界へようこそ。

しかしこの本は単なる異文化体験記に終わらない。著者がピダハンの文化を深く理解し始め、知の巨人チョムスキーの「標準言語理論」を根底から揺さぶる洞察を発するという隠し球が控えているのです。
チョムスキーがアリストテレスの形而上学理論で演繹的に現代言語学を拓いたように、著者はヘーゲルの弁証法の視点で帰納的にその停滞を打破しようと試みます。文化と乖離した現代の言語研究に著者は大きく警鐘を鳴らします。
そしてその過程で、「己の信仰」に向き合い、ついには棄教するに至るその流れは本書のクライマックスでもあり異文化交流の深淵を感じさせてくれます。

言語って、お互いにも、対象とも一対一対応じゃないから面白いですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?