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母のそばで♡心配が止まらないときは

最近、母の調子が良い。
緩和ケアを私の家で受けている95歳の母。
末期の肺ガンと言われ、何度かお別れの予感も
したけど。

今日もチョッとドライブ。
山桜がキレイだった。

苦しむことが最近は無い。
ごはんも食べている。
なのに、私の心配は止まらない。


私は最後まで本当に優しくできるのか?


母の心配ではなく、自分の心配だ。
母が危ない、という時は緊張感がある。
使命感もある。
精一杯世話をするし、慰め、励ます。

乗り切って安心したとき、緊張がゆるむ。
期間が長くなって「けっこう大丈夫」が
日常になったとき、気持ちがゆるむ。

今、本当に楽だ。
母は食欲も少しずつ出てきたし、
表情も顔色も良い。
少々耳が遠いけど、会話も弾む。
トイレだって、お風呂だって、手を貸さなくても大丈夫。
見守っていれば大丈夫。
本当にありがたい。

なのに、いや、だから緊張感が薄れていく。
母の横で寝る私は、
自分のベッドではないからか、身体が痛い。
今まで痛いことも感じず寝ていたのに。

訪問診療の先生が良いことを教えてくださった。
家族がきついときは入院させることもできる、
という話。
長期は無理だけど、1週間までならできるらしい。

そもそも「入院か、在宅か」で在宅を
選んだのだから、入院できるレベルではある。

いざという時、頼れるところがあると思えると、心が楽。

でも、何一つ大変なことがないのに?
私って、変かな?


驚異の回復力?


苦しむ母を救急車で運んだ時は、もうだめかと
思った。
病院でも
「胸水がたまるということは末期ですよ」
と言われた。

でも、退院して緩和ケアを受けることになり
酸素を吸って、
胸水を抜いたら気分が良くなった。
苦しいときのお守りの薬は、飲んでいない。

母は週に1回、訪問診療の先生が来るのを
楽しみに待っている。
ベッドに腰かけて、先生と元気よく話す。

先生「何か、困っていることはありませんか?」
母「夜中にトイレに起きてそれから眠れません」

導眠剤を飲んでいるから寝つきは良い。
しかし、ひとたび目が覚めると眠れないのが
キツイらしい。
どうやら「いらぬことを考える」らしいのだ。
今さら何を思い煩っているのか?
まじめ過ぎるのもキツイね。

先生はそんなとき飲む薬を処方した。
リラックスするヤツらしい。
それからは母は安心してよく眠っている。

更に元気になった。
移動用酸素ボンベを積んでドライブにも
出かける。
始めは近場からおっかなびっくりのドキドキで。
次に行き帰り30分のドライブ。
夕食後に夕陽を見に。

最近は往復1時間ほどのドライブに挑戦。
景色が美しい所はたくさんある。
海、空、畑、花を見て感動する。

ドライブをするワケ


最近は毎日ドライブしている。
天気が良いから。
ドライブに誘うと「うん」と母は素直に頷く。

家の中だけでなく、ちょっと目先を変えたいという目的もある。
気分転換も大切。
動けないほど調子が悪いわけではないから、
動いてほしい。

人生の最後に美しいものをたくさん見てほしい、という気持ちもある。
母の人生の最後のページを美しい映像で
埋めたい。

でも、最大の目的は別にある。

ある時、訪問診療の先生が母に聞いた。
「してみたいことはありますか?」
すると母は迷わずに言った。
「家に帰って玉ねぎを見たいですね。」

私はびっくりしてまじまじと母を見た。
母は嬉しそうにニッコリしている。

小さな畑に玉ねぎを200本植えたことは
私も知っている。
それが気になるらしい。
妹が玉ねぎの写真を送ってくれるが、自分の目で確かめたいのだろう。

自分の家に戻って生活するのは無理と
理解している。
だけど、ちょっとだけ帰ってみたいのだ。
自分が植えた玉ねぎの成長を見たいのだね。

母の家は車で1時間半ほどの所。
車で移動の練習が必要だ。

酸素の機械は頼めば母の家に設置できる。
移動中は酸素ボンベで。

しかし疲れすぎて具合が悪くなることが怖い。
訪問診療の先生はさすがに、そこまでは
来てくれない。
酸素と薬が頼り。

具合悪くなっても救急車は呼ばないことに
している。
呼んだら病院に運ばれ、おそらく戻れない。

だから、移動が「大丈夫」と自信がついてから
動きたい。
玉ねぎを見て安心したら、私の家に戻って
ゆっくりしてほしい。

最期をどう迎えるのか


長距離の移動に挑戦したいと思えるほど、
今は元気。
しかし「病気が良くなっているわけではない」
と先生に釘を刺された。

わかっている。
病気だろうと元気だろうと、
寿命ってものもある。
寿命を全うして満足して旅立ってほしいと願う。

しかし、ここで私の心配がまた始まる。

母が旅立つとき、気づかないこともある、
ということ。
ドラマの場面みたいに、みんなが周りに
集まれないかも。
苦しいなら心配でみんなが集まる。
しかし平穏なら安心して、来ない。

寿命を全うして安らかに旅立ってほしい、
と思っているのに、旅立ちの時、声をかけて
あげたい、というのは矛盾する。
そのことに、ハタと気づいた。

いくら横で寝ていても気づかないことだって
ある。

ああ、今さらだけどショック。
手を握って「ありがとう」と言いたいのに。
旅立つとき寂しくないように、
声をかけたいのに。


「ありがとう」は日頃から言えば良いか。
もっともっと、たくさん言えば良いね。

心配が止まらないときは、
ココアを飲んでゆっくりしよう。
良い香りに包まれて、電気ろうそくの炎を見て、リラックスしよう。

そして明日から「ありがとう」と「大好き」を
もっとたくさん言おう。









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