Xの使い方を見直すことにした
X(旧Twitter)で発信、というよりも日常のつぶやきを始めたのが昨年5月。
動画編集にチャレンジし始めたことがきっかけだ。
主に動画編集をやっている方との相互フォローが中心ではあったが、秋も深まってきた頃から、どうにも違和感を感じる日々。
もちろんフォロワーの方全員ではないが、タイムラインに流れてくる内容が、危機感を煽るものであったり、マウントを取っているかのような表現だったりで、どうにも精神的にモヤモヤ。
そういった内容を読んで、それをパワーに変える人もいると思うので、否定するつもりもないし、おそらく私が気にしすぎだけなのかもしれない。
おまけに卑猥なアカウントからのフォロワーも増えていく(苦笑)
色々ひっくるめて、なんだか面倒くさい気持ちになっていた。
しかし、結果としては惰性で続けながら、2023年が幕を閉じる。
そして2024年1月1日。
能登半島地震が発生する。
1月1日、Xで発信されている情報を閲覧していた夜、1件のポストが目に留まった。
タイムラインには「おすすめ」と「フォロー中」があって、そのときは「おすすめ」のタイムラインが表示されていたのが運の尽き。
フォローしていないおすすめに出ていた方が、リプでネガティブなコメントをしており、それを思わずクリックしてしまった。
その元となったポストの内容が、地震の被災者に向けて発信した、ここに書くのが憚れるほど、目を覆うばかりの醜い表現。
誹謗中傷が絶えないSNSの世界では、不思議ではないかもしれないけど、いざ目にすると暗澹たる気持ちにさせられた。
もちろんXを否定するつもりはない。
いい面もたくさんある。
・情報やトレンドをいち早くキャッチできる
・趣味や興味のある分野が同じ人が見つかり交流できる
・個人のブランディングができる
etc…
特にマネタイズを目指す人にとっては、集客するためになくてはならないツール。
ただ、今の私にはそのような使い方をする必要はないし、何より先ほどお伝えした目を覆うばかりの醜いポストが、私の中での違和感を決定的にした。
だから自分に有益になるような使い方に見直しをする。
応援している有名人やスポーツ選手の発信は受け取りたい。
危機感を煽るような発信でなく、寄り添い、勇気づけられるような言葉は自分にとって活力になるので、やはり受け取りたい。
今の私にはそれだけで必要十分である。
自分からの発信はひとまずやめる。
やはり冷静に考えて、私みたいなおっさんの日常はどうでもいい(笑)
どうでもいいくせに、発信する際、少しいい格好をしようとする自分が何とも情けない(笑)
まあ、たまにつぶやく程度なら、noteのつぶやき機能でも十分だし。
もちろん純粋な交流であれば、それはそれで有益だと思う。
そういう意味では、将棋の事だけに関しては発信してもいいような気がするが・・・、少し様子をみるか。
あとは、目に入れたくない情報を拾う可能性を小さくするために、フォローもフォロワーも極力減らさせて頂く。
人間なんてコロコロ気持ちが変わる生き物なので、また始めたくなるかもしれないが、その時にはまた再開すればいい。
何も自分で自分を縛る必要はない。
noteで長文を書く方がなんだか落ち着く。
自分にとって居心地が良い。
今の気持ちを大事にする。
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