カムパネルラの死 #シロクマ文芸部 #秋桜 (2119字)
〝あきざくら〟
と、カムパネルラは言いました。
カムパネルラは、お母さんのお使いで、瓶一杯のミルクを抱えて、丘の上の牛飼いの家から、オリオン川に向かって、丘の野を駈け降りているところでした。
カムパネルラが、野の黒土を踏みつけるたび、チャポチャポと瓶を跳ねる、ミルク。
そうか。
ミルクだって、踊りたいんだものな。
カムパネルラは、そう思いました。
ケンタウル祭の夜。
いつもは、静かな村も、今夜ばかりは違います。
ペカペカ発光する、豆灯火。
カラスウリの赤い提灯。
マグネシアの青白い花火。
トコ・トコ・トン。
トコ・トコ・トン。
衣笠太鼓が鳴り続け、怪獣たちのお面が笑う。
カムパネルラは、立ち止まりました。
街を見ると、子供たちが、青白いマグネシアの火花を片手に、階段を駈けているのが見えました。
皆が、幸せそうにしているのをみて、カムパネルラは、少し胸が痛くなりました。
カムパネルラは、言いました。
「ジョバンニは、まだ、印刷所で働いているのだろうか。おっかさんに差し上げるミルクを、取りに行ってるんだろうか。」
カムパネルラには、ひどく、思い悩むことが、今日、ありました。
ザネリが、ジョバンニに、
「お前のお父さん、もう、帰ってこないよ。」
と言ったのを、聞いたからでした。
ジョバンニの、暗い顔。
ザネリは、笑いました。
お父さん、もう、帰ってこないよ。
お父さん、もう、帰ってこないよ。
お父さん、もう、帰ってこないよ。
カムパネルラの頭の中を、ザネリの意地悪な言葉が巡っていきます。
「あのとき、僕は、ザネリを止めるべきだったんだ。」
カムパネルラは、そう思いました。
カムパネルラは、瓶ミルクを抱えて歩き出しました。
チャポチャポ。
チャポチャポ。
「ジョバンニは、傷ついただろうか。僕が、ザネリに、ついて歩いていたことに。」
カムパネルラは、思いました。
ザネリと付き合うのは、よそう。
ジョバンニが、一番の友達じゃないか。ジョバンニは、お父さんがいなくなって、とても苦労している。学校が終われば、印刷所で、働いて。印刷所が終われば、お母さんのミルクを、貰いに走って。病弱のお母さんの代わりに、お家の掃除も、ご飯の準備もして。ザネリにいじめられても、じっと我慢できる、ジョバンニ。
カムパネルラは、ごうごう流れるオリオン川のほとりに立っていました。
僕は、ジョバンニに、会いたい。
カムパネルラは、今夜、ケンタウル祭を、ジョバンニと回る気になっていました。
ペカペカの灯りを受けて!
マグネシアの花火を吹かせて!
街頭の提灯が、僕ら二人の影を、時計の針のように回すんだ!
きっと、ジョバンニは来るはずだ。
ケンタウル祭の丘に。
謝るんだ。
ザネリなんか、知らない。
僕は、君といたいんだって。
カムパネルラが、秋桜の咲くオリオン川のほとりで座っていると、遠くの下流で、アーチ橋を渡る、小さな影が見えました。
―――ジョバンニ!
ジョバンニの影が、いつもより、疲れているように見えたカムパネルラは、悲しくなりました。
僕なんかが、ジョバンニを、元気づけることが、できるんだろうか。
ジョバンニのうなだれた姿に、さっきまでの威勢がなくなったカムパネルラが、立ち上がれず、うじうじしていると、シリウス一等星から風が吹き、彼を囲む秋桜が、―――さらり、と揺れました。
秋桜は、言いました。
〝カムパネルラ。
きみが、ジョバンニの肩を、叩いて、元気づけるんだ。〟
秋桜に勇気つけられ、カムパネルラは、立ち上がりました。
カムパネルラの胸には、元の、勇敢な心が宿っていました。
そうだ。ジョバンニに、謝るんだ。ザネリを止めれなくて、ごめんって。ケンタウル祭、一緒に回ろうって。僕は、ジョバンニが一番好きなんだ。
カムパネルラは、歩き出しました。
しかし、ある一輪の秋桜が、言いました。
〝ちょっと待ちなさい。 ジョバンニと反対側の向こう、上流の方を、ご覧なさい。 ザネリが、オリオン川に落ちたカラスウリを拾おうと、手を伸ばしているでしょう。 ―――危ない、危ない、そら、落ちた。 泳げないザネリは、オリオン川の流れに捕まり、溺れています。 下流に向かって、流されながら、今に、肺一杯に水を飲んで、川底ヘ、沈む。 もう、足掻く元気もない。 あなたは、見過ごせますか。 ザネリを見殺し、ジョバンニの肩を、叩く。 そんな残酷なことが、できますか。〟
カムパネルラは、言いました。
「僕は、誰だろうと、見殺しなど、しない。勇敢な心で、ザネリも、ジョバンニも、救い出す。みんなで、ケンタウル祭を、回るんだ。仲の良かった、あの頃を取り戻すんだ。」
カムパネルラは、オリオン川に、降りていきました。
冷たい川の水が、カムパネルラの、足を刺す。
カムパネルラは、急流の川を、進みました。
待っていろ。
僕が、二人を、救い出す。
遠く、夜空には、一列の、淡い光が、列車のように走るのが見えました。
秋桜は、笑っていました。
夜風に吹かれながら、笑っていました。
可哀想なカムパネルラ。
カムパネルラは、死にました。
[おわり]
#シロクマ文芸部
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