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#誕生日 「corno(コルノ)」 (6236字)




 「―――落ち着け。息は立てるな」

 そう言って、二頭の獣は息をひそめた。

 照りつける太陽が大地を焦がす昼とは異なり、夜は驚くほど冷える砂漠の大地。うっかり息をすれば、二人分の白い煙が立ち上がる。せっかく狙撃可能な位置まで近づけたんだ。吐く息一つで無駄にしたくない。

 二頭の獣は、砂色の帆布はんぷを身に纏い、砂丘の上で身を寄せ合っていた。二人に親はいない。もしかすれば、と思うこともなかったわけではない。だが、血の繋がりなど、この二人には心底どうでも良かった。一丁のスナイパーライフルが心と身体を強く結びつけていたからだ。

 与えられたものは限りなく少ない。寝床、銃、そして狙撃する目標だけ。敵をスナイプするためだけに育てられてきた二人にとって、武器と狙い撃つ目標を与えてくれる男たちは神のような存在だった。意味も分からず殴られるときも、性の捌け口にされるときも、妹の両脚がおので膝から切り落とされたときだって。

 「神はここにいる」

 そう実感していた。

 神がなぜこんなに残酷なことをするのか分からない。だが、分からなくてもいい、と姉は思う。歩けない狙撃手を守る。それが姉の役割なのだから。

 二人にとって感情は邪魔なものだった。感情が揺らぐたび、殴られ、おかされた。実際は二人の感情など男たちには関係なかった。というか、二人に感情があることなど男たちは知らなかったという方が正しいのかもしれない。しかし、事実、二人にとって、感情の揺らぎは邪魔なものだった。

 揺らぐから、辛くなる。揺らぐから、狙撃に失敗する。だから、感情の揺らぎを狙撃銃の弾倉に閉じ込め、獲物に向かって撃ち放った。

 感情のけ口を見つけた姉妹は類稀たぐいまれなる狙撃センスを身に着け、今、砂丘の上にいる。

 姉ハズクは、妹ロクバの背に覆いかぶさっていた。膝から下がないロクバでは、狙撃銃の振動を抑えきれない。今宵こよいの獲物は、一発では仕留めきれないだろうから。






 二人は、自らの名に、誇りと愛着を持っていた。

 神とあがめる男たちから与えられた数少ない贈り物だったからだ。しかし、男たちはただ二つの玩具おもちゃを区別するために呼称していただけであって、それは本当の意味での名前ではなかった。

 ハズクとは、アラビア語で「あな」。

 ロクバとは、アラビア語で「ひざ」。

 自分の名が持つ本当の意味を知ったとき、二人は何を思うのだろうか。それすら、神とあがめる大人の男たちが与えたもうた使命だと喜びに打ち震えるのか。或いは、欠落した感情では何も感じないのかもしれないが。

 ハズクは双眼鏡で、ロクバは狙撃銃のスコープで、今宵こよいの狙撃ポイントである二人の村を覗いていた。

 都市部に近く、水が湧き、いくつかのラクダ小屋を備えるこの村が、恵まれた土地に立地する豊かな村だったのは過去の話だ。元は、都市と石油プランテーションを繋ぐ移動手段としてラクダを提供し生計を立てていた村だったのだが、[宇宙軌道エレベーター]の建設が全てを変えてしまった。若い男は[軌道エレベーター]の建設現場に連れて行かれ、死体で戻ってきた。軌道エレベーター事業は石油産業の衰退を招き、村のラクダは用無しとなった。エレベーター基地の大規模工事は地下水脈の流れを変え、井戸は枯れ、砂漠が村を飲み込みだした。

 [軌道エレベーター]とは、地表から大気圏外まで伸びる巨大な昇降機だ。それは、膨大ぼうだいなコストとリスクをはらんだ推進剤による大気圏突破を、低コストで、陸地を移動するように安全で容易なものにする。宙へのアクセス路を得た人類は、いずれ月の膨大なヘリウム3をはじめとした太陽系内の資源を採掘、利用し、新たなステップに到達するであろう。[軌道エレベーター]とは、まさに人類の希望なのだ。

 だが、経済の末端であるこの村に、その恩恵が巡ってくるのは、一体いつになるのだろうか。

 十年―――、いや百年はかかるのかもしれない。それまでこの村が残っていればの話だが。或いは、騙され、虐げられ、以前よりずっと過酷な状況に陥った弱者たちが、死体となってその口を閉ざすほうが先か。

 先に起きた軌道エレベーター周辺の開発都市を周囲100kmに渡り壊滅させたテロ行為には、この村の者も関わっている。彼らは、弱者のまま死ぬことなどできなかったのだ。そして、それに今も加担し続ける幼き二人の少女は、互いのスコープを通して、銃声と爆発音が続く、自らの村を眺めていた。

 今宵こよいの獲物―――。

 異国から来た[黒き一角獣の青年]を撃つために。






 ハズクとロクバが彼と出会ったのは、エレベーター基地のすぐそばの村で、ロクバを乗せた引き車を引いていたときのことだった。

 「corno《角》のセンサーで感知できないなんて。こんなの、初めてだな―――」

 たった一人で壊滅させた村の真ん中で、血に濡れたヘルメットを外し、空を仰いでいた異国の男は、突然現れた二人に驚いて、そう言った。

 「足がない子は、友達かな。妹にしては顔が違うし。地雷なんて、哀しみを生むだけの兵器をまだ埋めて、この国をどうするつもりなんだろう。―――おいで。基地で保護してあげる。不味い食事に、硬いベッドだけど。でも、ここよりはいいところだよ。この間さ、小さいけど、学校作ったんだ。戦争が終われば、君たちの時代になる。たくさん学ばなくちゃな」

 ハズクに異国の言葉は通じない。まして笑顔など初めて見た。村の男たちは、怒った顔か、みにくく発情した顔しかしていなかったから。身の危険を感じたハズクは立ち去ろうとするが―――。

 「ちょ、ちょっと待ってよ! ごめん。驚かしちゃったね。これ!」

 彼は、ハズクの荒れた小さな手に二粒の甘い匂いのする四角いものを握らせた。

 「ショコラ。最後の二つ。女の子は、甘いの好きだろ? ほんとはカッフェでも入れてあげたいんだけど―――」

 彼は、本当に申し訳無さそうに鼻をきながらそう言った。

 甘い香り。
 異国のキラキラ綺麗な包み紙。
 金色の髪に、白い肌。
 清々しい汗のにおい。
 緑の瞳と誠実な眼差し。

 二人にとって、全てが初めてのことだった。

 「僕は君たちを守りたい。基地に来てほしい」

 しゃがみこみ、二人の目を交互に見つめる青年はそう言った。

 ハズクは怖くなった。
 幸せの正体を見つけることが怖くなったのだ。今の自分の境遇が間違っているかもしれないことについて考えることが怖くなったのだ。

 自分は村の男たちに生かされている。妹と二人で、狙撃手として認められ、生きる目標を与えられた。黒い一角獣、この青年を、撃つ。この場に送り込まれたのも標的を目視で確認するためだった。村の期待を裏切れない。自分と不具の妹の生き様を、銃弾の軌道に乗せて―――。



 ハズクは去った。

 この獲物は必ず仕留める。

 二人で、必ず。

 そう、神に誓って。







 「―――落ち着け。息は立てるな」

 姉ハズクは、妹ロクバにそう言った。或いは落ち着くべきは彼女の方だったのかもしれない。

 ハズクは、自分の心がわずかに揺れるのに気づいていた。だが、年頃の女なら当たり前のこの感情を、なんと呼べばいいのか、ハズクは誰からも教わっていない。

 ただ、この揺れる感情を弾倉に込め、ロクバの狙撃銃から放たれるときを待った。

 今宵こよいの獲物に抱いてしまった叶わぬ恋心が、放たれ、異国の青年、黒い一角獣を捉えるその瞬間を。



 射撃の腕を誇る妹ロクバに対して、姉ハズクはその並外れた視力と観察能力に長けていた。

 狙った獲物を撃つには、観察が必要なのだ。どんな容姿か。性格は。行動パターンは。部屋の間取りは、トイレに窓はあるのかないのか、部下は優秀か、恋人は―――。

 一角獣の青年は、特別ぶ厚い装甲の黒いアーマーを着ている。普通に撃ったところで傷すらつかない。弱点をさらすのを、ハズクは、ただ待った。

 「揺れてるね」

 ロクバにそういわれたハズクは、気持ちを抑えるために自分の指を噛んだ。


 この獲物、[黒い一角獣の青年]にはあるルーティンがあった。

 彼はいつも、一人でふらりとやってきて、誰からの支援も受けず、村を滅茶苦茶に壊滅させる。地雷を踏んでも、バズーカを打ち込まれても、ライフルが雨のように降り掛かっても、自分と相手の血で黒い装甲が真っ赤になっても、一角獣の角が感知する敵意を殺し尽くすまで彼は止まらない。

 そして―――。

 しかばねの折り重なる中、たった一人、自分だけが残った戦場で、ヘルメットを外し、空を見上げるのだ。

 ハズクは、彼と初めて会ったときのことを思い出した。

 異国の言葉。
 甘い匂いの四角い食べ物。
 汗に濡れた髪のい香り。
 ヘルメットを外した青年の横顔。
 額に生えた白く美しい角。

 ハズクの女の身体と心が揺れた。彼女の指は血に濡れていた。苦い鉄の味が彼女の口に広がっていた。

 妹の言葉がハズクの揺らぎを止めた。

 「―――出てきた。タイミングは任せる。合図は?」

 「いつもの」

 「了解。お姉ちゃん」

 そうだ。わたしとロクバは二人で一つ。獲物を撃つため、村の男に使われる。それが私たち二人の正しい生き方なんだ。

 ハズクは双眼鏡を構え直した。レンズの先では、獲物の黒い一角獣が、最後の村人を殴り殺しているところだった。

 単身で乗り込む彼、黒い一角獣の青年は、最後はいつも自分の武器が尽き、素手で戦っていた。なぜいつも一人なんだろうと疑問に思うハズクだが、ロクバの「―――彼、あのときなんて言ってたのかな」という言葉に、「なんだ、あんたも揺れてんじゃん」と笑ってしまった。


 おそらく、これから放たれる恋心こいごころは二つ分。







 砂漠の夜を、月と夜露よつゆが覆っていく。月は高く、二人の叶わぬ恋心を嘲笑あざわらう。夜露よつゆは二人の砂色の帆布はんぷを濡らし、集まった水滴が丸く先に溜まった。

 二人の集中力は、これまでにないほど高まっていた。

 黒き一角獣への憎悪。
 異国の青年への恋心。

 ともに二人の中でぐちゃぐちゃに混ざり合い、狙撃銃の銃身に注がれた。

 彼が、最後の一人の頭を素手で割った。

 意味もなく殴り、一夜で何人もの相手をつけられ、逃走防止にと妹の脚を切断し、言葉も教えず、ただ「あな」と「ひざ」としか呼称しない村の男を全て殺してくれた黒い一角獣。

 自分たちを縛り付けてきた村から開放されて、それでもなお、新しい人生を生きられる可能性に気付けない二人は、ただ待った。

 愛しの一角獣を討つ、その瞬間を。



 彼の鱗みたいにささくれだった黒い腕が、ヘルメットを掴んだ。

 そして―――。

 月の光に濡れる金色の髪。
 うれいを帯びた長い睫毛まつげと小さな鼻。

 細い顎の線を追えば、薄いピンク色の耳が金色の髪からあらわになって。

 白く、まっすぐに生えたその角は、惚れ惚れするほど雄々おおしく。

 砂漠の夜を我が物顔に振る舞う月を、突き殺した。

 「なんて、きれい」

 そうこぼしたのは、誰だったのか。

 二人の帆布はんぷに溜まった雫が雨垂あまだれて、大きな水滴となった。二人の揺らぎが振動となり、水滴は帆布はんぷの先を離れた。水滴は雫となり、星の光できらめき舞い落ちていった。

 雫が、銃身に触れるその瞬間、銃弾が、一角獣へ放たれた。







 無風の砂漠。
 夜の空気は湿気を帯びて、重い。
 銃弾は空気の影響を多大に受けた。

 だが、わずかに下がる着弾点など、二人にとって誤差ですらなかった。

 銃弾のジャイロが空気のゆらぎを最小限に抑え込み、ロクバの狙った青年のこめかみを捉えて離さない。

 だが―――。

 極限の集中力で放った二人分の恋心は、自分の心臓の音がゆっくりと聞こえてきそうになるほど二人と獲物の間の距離とときを歪め、ただの一瞬を、果てしなく、長く感じさせた。

 二人には、彼の金色の瞳がゆっくり振り返るのが見えた気がした。スコープ越しに見ていた二人の目を、彼の金色の瞳が捉えた。明らかに人の瞳孔どうこうの形と異なる異形の瞳。

 おかしい。
 さっきまではそうじゃなかったのに―――。

 ハズクがそう思うのも無理はない。度重なる戦闘を経て、corno一本角の暴走ですら容易に扱えるようになった彼にとって、瞬間的に身体組成しんたいそせいを《竜》に変えることなど、もはや造作ぞうさもないことなのだから。



 ―――音速を超えて向かってくる銃弾を竜の瞳に捉えた彼は、鱗のように変性したカーボン装甲の黒い腕を悠然ゆうぜんかかげ上げ、銃弾を、受け流した。

 至近距離で撃てば戦車の装甲にすら穴を開ける狙撃銃の強力な銃弾をいともたやすくいなした彼だったが―――。

 二人は言った。

 「揺らいだね」







 二人は、嬉しかった。

 自分たちの最高のポテンシャルが、青年を捉え、撃ち勝つ瞬間が。

 弾は、二発。

 ロクバの射撃と、ハズクのタイミング。二人でできる最高、最強の一手。初撃とまったく同じ軌道で二撃目を放つ技。狙撃用のスナイパーライフルで、銃声が一度しか聞こえないほど素早く、そしてここまで精密に行えるのは、世界でも彼女たちだけなのだろう。そして、彼女たちはその技の名をまだ知らない。

 二人は勝利を確信した。

 そして、自分たちの淡い恋心が青年に届いたことを喜んだ。

 これから二人は、戦場の中、儚く散るのかもしれない。しかし、世界最高の技で、今や世界最強となった黒い一角獣の青年を撃つことができたハズクとロクバは、とても満たされていた。自分たちの生きてきた軌跡は間違いではなかった。ただその実感だけで、彼女たちは満足だった。



 『―――Double tapダブル・タップか。見事なものだね。』

 黒き一角獣の青年は、二人のそばに立っていた。

 一筋の砂塵さじんを巻き上げて。彼女らが撃った二撃目を、ひたいかすめて。白い角と青い血を流し、良い香りのする金色の髪と異形の瞳をして。

 一角獣の青年は、禍々まがまがしく変性したカーボン装甲の腕を月にかかげた。

 二人は目を閉じた。

 やっと、死ねるのかな。二人にとって、死は、救いだった。この世界を形作る男どもから解放されるのは、死しかなかったからだ。

 最後に見たのが、彼で良かった。

 ハズクは、そう思った。

 恋が叶ったのだ。

 そして、愛しき一角獣は―――。







 corno《角》を介した通信。

 《corno小隊アバッキオ。エネミー殲滅完了。―――電池が、また切れた。「ブースト」と「変異」は燃費が悪すぎる。基地まで帰れそうにない。悪いが収容ヘリを頼む。それと、熱いミルクを三つ入れててくれないか? 砂糖をたっぷり入れてね。また、仔猫を拾っちまってね》

 到着したヘリの中、アバッキオは、二人が扱っていたユーロ製の最新式狙撃銃を眺めていた。

 テロリストがユーロ圏の最新武器を持っているのはなぜか。異常に高い練度を持つ幼い兵士はどのように教育されているのか。そして、敵意を感知するcorno《角》に対して、感情を欠落させた兵士が当てられている事実について―――。

 上昇するヘリの中、考えすぎて少し疲れたアバッキオは、彼の足元で仔猫のように丸まって眠る二人の少女の頭を撫でた。

 「君たちは、一度、死んだ。だから、僕が、新しい名前をあげる。次に起きた時が、君たち二人の新しい”誕生日”さ。」


 そう言って、青年アバッキオは、ヘリの窓から外を眺めた。

 窓の外には、二度目の建設が終わりを迎えつつある、軌道エレベーター“CORNOコルノ”があった。

 誰が。
 なぜ。
 一体、何のために。

 大人の事情だけを物語るように、“CORNO《角》”は、はるか遠く、月にまで手を伸ばすが如く、雄々おおしくそびえ立っていた。

 



[おわり]


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#SF
#軌道エレベーター

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