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ごめん、わたし、らっきょ派なの





 わたしは、真白い部屋にいた。


 この部屋の真白は、床も、天井も、壁も、舞い漂うホコリすらも、見逃すことなく完璧に 〝真白(ましろ)〟 だった。


 全てが、真白だったのだ。


 実際には、完璧な真白と同様に、恐ろしいほど完璧に清潔だったので、或いはホコリなど、舞ってはいなかったのかもしれない。もしくは、この空気すらも真白となっているのか、そのどちらかだった。完全無欠の清浄な真白の空間に立ち竦むわたしには、それを判別するのは到底難しいように思えた。


 真白でないのは、わたしと、わたしの隣に佇む一脚のチェア、だけ。


 わたしは、そのチェアに、見覚えがあった。


〚ミハエル・トーネット〝No.14〟〛

 1859年、ドイツとオーストリアで活躍した家具デザイナーが、当時画期的であった曲げ木技術を用いてデティールを単純化し、均一性と生産性を売りとした、所謂名作と言われる類のチェアだが―――。


 わたしは、彼に、腰掛けてみた。
 〝No.14〟は、いつものように、わたしに良好な座姿勢を与えてくれた。わたしは、思うのだ。このチェアの優れたる所以とは、すなわち、性別、体型、趣味嗜好に関わらず、〝ある一定以上〟の安楽さを提供する、ある種の〚公平性〛である、と。


 わたしは、或いは〝No.14〟に、この完璧な真白を打破するヒントが隠れているかもしれないと思い、ひっくり返したり、座面を指で叩いたり、脚を舐めて、嗅いだり、背の美しい曲げ木の(―――ああ、ヴィンテージだ! これは!―――)、その美しい曲げ木に耳を当て、オーストリアの職工の息遣いを聞いてみようとしてみたが、手がかりらしい手がかりは、なに一つとして得ることはなかった。


 しかし、それは、考えるに至極当たり前のことだった。現在までに二億脚以上を売り上げ、今も生産され続けている〝No.14〟の先見的・ユニバーサルデザインに、〚突然、完璧すぎる真白の空間に閉じ込められた、失業中の女家具デザイナーを救うヒント〛などという、極めて特殊で、個人的な答えなど、隠されているはずもないのだから。


 わたしは思った。

 〝No.14〟は〚手がかりがない〛ことに対するメタファなのだ、と。


 いや―――。

 ともすれば、〚手がかりがない〛ということは、〚手がかりがないという手がかり〛を示唆する〚手がかり〛なのかもしれない。だとすれば、完璧な真白がないように、〝No.14〟自体が、〚完全さと不完全さを繋ぐ〝ゆらぎ〟〛 つまり、わたしが置かれているパラドクス本体とも言えるだろう。


 わたしは、腕を組んだ。

 そして、 〝No.14〟 彼を眺めた。彼は、やはり美しかった。どうやら、わたしの頭は、おかしくなりつつあるようだ。


 壁はどうなっている。

 わたしは、壁に向かった。


 真白の部屋の平面は、ほとんど正確な真四角をしていて、わたしの歩幅の10步ほど、およそ5.4m。だから、四方は、だいたい三間といったところか。天井高は、分からない。真白が、距離感を狂わせるのだ。


 わたしが壁に触れると、僅かな凹凸を感じられた。微細な孔だ。それも見てわからないほどの。ここにきて、実は、わたしは、気付いたことが一つある。完璧な、この真白の空間において、〝影は出ない〟ということに。


 壁を触るわたしの手の平と、手の甲に、微かな色の違いを見て取れた。わたしは、顔を挙げ、己を包む真白を見回した。きっと、床、天井、壁を含めた四方からは、微細な孔を通して、均一な光が照らされているのだ、と。その証拠に―――。


 わたしは、カッターブラウスを乱暴に引き裂き、胸元を開いてみた。弾けたブラウスのボタンが、清浄な真白に吸われて消えた。わたしは、ブラウスの奥を覗いた。光の入らないブラウスの胸の中は、やはり真白ではない、ブラウスの中の闇が広がっていた。わたしは、手を下ろした。


 一体、この人工的な光の空間は、なんの目的で。


 わたしは、パンプスを脱いだ。足の裏に感じる、微かの凹凸。やはり、床からも。

 わたしは、床に耳をつけてみた。微かな作動音が、聴こえた。


 おかしくないか?

 なぜ、音が、近づいて―――


 突然、真白の壁にウィンドウが現れ、砂嵐の画面からは、聞き慣れない男の声が聞こえてきた。


 「お目覚めですか」と―――。


 突然のことに理解ができないわたしに、男は続けた。


 「まず、ブラウスのボタンを留めて下さい。外界を遮断し生きるわたしにとって、あなたの肌は、刺激が強すぎる―――。」


 わたしは、男の言う通り、はだけたブラウスを直した。


 男は、続けた。

 「―――わたしは、あなたに危害を加えるつもりはありません。申し訳がなく思いますが、あなたのことをずっとモニターしておりました。あなたは、やはり、優秀な女性ですね。少しも狼狽えることなく、冷静に手掛かりを探し続けた。で、どうでしたか。完璧な真白を打ち砕く手がかりは見つかりましたか。

 ―――そうでしょうね、なにも見つからないでしょう。」


 そう言って、男は、笑った。なにを笑うことがあるのか、わたしにはわからなかった。しかし、確かに、男は笑っていた。


 どこから、見ている?

 わたしを見て、笑うこの男は、わたしをどこから見ているのだ。きっと、どこかに手がかりはあるはずだ。


 わたしは、注意深く耳を澄ませた。

 すると、男の声の向こうに、僅かな、物音が聞こえた気がした。わたしの耳は、何かを叩くような、軽い音を捉えていた。その音は、大きくなり、ついに声を発した。


 〝―――たーかーし。〟


 た・か・し?

 たかしって、今、言った?


 〝―――ちょっと、ママ。今、仕事中だから来ないでよ。〟


 ママ、だと?

 どうなっている。これは、一体、なにを暗示して。この雑音は、一体何を意味している?


 わたしの混乱に、モニターが、揺れて笑う。


 「ふははっ。状況がわからない、混乱し、沈黙する。それは生物として、正常な反応ですよ。さて、本題に移りましょう。あなたが、そこにいる理由。わたしの、本当の目的は―――」


 また、何かを叩くような音が聞こえた。モニターの向こうから、ノックをするような。


 〝―――たーかーし。〟


 「―――失礼。」

 〝ママ困るよ。仕事中だって言ってるじゃないか、静かにしてくれよ。〟


 男の声の向こうでは、ノック音が続いていた。


 男は、わたしに言った。

 「すまんね……。こちらもゴタゴタしているんだ。本題に入ろう。あなたがそこにいる理由は―――」


 〝―――たかし!!〟


 「―――失礼。」


 〝なんだよ、ママ! ああ。福神漬でいいよ。ママのカレーは福神漬が一番合うんだって、何度言ったらわかってくれるのさ!〟


 男がそう言うと、ママのノック音は止んだ。ママは、ずっとその言葉を待っていたのだろうか。歩き去る音とともに、調子の外れた口笛が鳴った。


 「ふう。すまんね、こちらも大変なんだ。それはそうと、あなた、お腹が空いてるんじゃないかな?」


 確かに、減ってはいるが―――。


 わたしは、お腹をさすった。

 トルティーヤを食べたのは、確かお昼だったはず。だが、今が何時なのか、わからない。


 「もうすぐ来るさ、待っててよ。」


 もうすぐ?

 もうすぐ、来るって、何が―――。


 さらに混乱するわたしの耳が、音を捉えた。モニターのスピーカーを通さない、ママの吹く、やや調子の外れた口笛を。


 真白い壁が、軽く、2回叩かれた。

 返事もしていないのに、真白は、遂に破られた。

 返事も、していないのに、だ。返事をせずに開けるなら、ノックの意味とは、何なのだ? ママに対して、なんの意味が。


 わたしの頭は、混乱を続けた。

 世界中の無遠慮を、濾過蒸留して濃縮させたかのように、あくまで勝手に、何より厚かましく、図々しく、下手な口笛を吹きながら、真白の壁を破り現れた、彼のママに対して、混乱し続けていた。


 彼女は、カレーを持っていた。

 福神漬けを、並々盛った、自慢のカレーを持っていた。

 彼女は、誇らしげに両腕を突き出した。それを見て、わたしは思った。


 カレーには、らっきょだろ……

 って―――



[おわり]




#毎週ショートショートnote
#壁に少々らっきょう

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