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妖の唄ー妖が鬱ろう刻ー


夕暮れ時。
逢魔が時へと踏み込む瞬間。
ふと、妙な気分になったことはありませんか?

それはきっと。
あなたの後ろへ忍び寄って来ているのかもしれません。


秋深し。
街はひと足早めの冬支度を始める気配。
道端には落ち葉。
それを吹き上げる秋風。
街並みを行く人々。
その街並みで、『稲生彰史いのうあきふみ』は尋常ならざる疲れと苛立ちに襲われていた。

度重なる仕事のミス。
それに次ぐ残業。
更にはその残業のため、彼女との不仲。
悪循環のスパイラル。

ーー何もかも上手くいかねぇ……。クソッ!!!

彼の苛立ちは今、ピークを迎えていた。
殺気立った視線で周りを見渡す稲生。
そこに映り込むは、悩みなく笑う人々。

ーー何でオレばかり!!こんな……。

狂気が稲生に舞い降りる刹那。

ーーゾクッ。

凄まじい程の強烈な視線を感じ、正気を取り戻した稲生。
その視線の方向には怪しげな男が占い師の様な感じで小さなテーブルを前に座っている。

その男の風貌は黒いスーツにサングラス。漆黒の長い黒髪を後ろでとめている。
黒いスーツの男の口の端が緩んだ。
笑っているようだが、瞳はサングラスでわからない。
本当に笑っているのか、否か。
30歳くらいの黒ずくめの男はずっとこちらから視線を離さない。
ーー何故か惹かれる。
稲生は黒スーツの男に呼ばれるように歩み寄っていく。
黒スーツの男は再び笑みを零して
「どうぞ、おかけください」
と、対面になるよう促した。

「ツカレてますねーー」
「え、ええ……最近ちょっと疲れ気味で……」
「とは言っても、変な考え起こしたらいけませんよ?自分をしっかりと持ちましょうね」
ーーえ……何故この人にわかったんだ?
「疲れは憑かれともいいますからね。その憑かれ、とってあげます」
ーー何なんだ!?この人は。
上着の懐から取り出される紙切れ。
そこに書かれている読めない文字。
まじないに使う呪符というものなのか。
右手の中指と人差し指に挟まれた呪符に何やら聞き取れないくらいの小声で言葉を吹き掛けている。
「縛」
黒スーツの男が発した言葉と同時に稲生に向かって吹く突風。
「な、何を!?」
稲生の驚きを他所に黒スーツの男は稲生の肩口に手をやり、何かを握る仕草をした。
その手をすぐにポケットへ。
「肩、軽くなったでしょ?」
唐突な質問に戸惑いながら稲生は自分の感覚を確かめる。
「あ、何となく軽い」
黒スーツの男は唐突に『電話』と言う。
「え?」
「電話、鳴りますよ」
ーー♪♪~♪♪
稲生の電話が本当に鳴り始めた。
ディスプレイには彼女の名前。
「もしもし、あ。うん。え?俺も悪かったから……うん。うん、いいよ!わかった。ありがとう、後でね」
先程の殺気は何処へやら。
稲生の表情はまるで違っていた。
「良かったですね、ツカレ。取れましたか??」
「え、ええ……あなた……いったい」
「おまじないですよ。ただのおまじない。それより、いいんですか?彼女と約束したのでは?」
「あ、そうだ!行かなきゃ……」
急いで駅へと向かおうとする稲生。
直ぐさま踵を返し戻ってきた。
「あの!お金とかは……」
「いいんですよ。気にしないで」
「でも……せめてお名前を」
麒麟きりんと申します」
「何だかよくわかんないけど、キリンさん!ありがとう」
笑みで見送る麒麟のポケットには『キーキー』と啼くモノが蠢いている。
そっと其れを外へ。
稲生には見えていなかったモノ。
蜥屍しゃくし
トカゲの身体に鬼の頭。
コレに憑かれると限りない倦怠感と焦燥感が付きまとう。
そこに生まれる負の感情を喰って生きている。喰うことにより成長し更に害を与えていく。
神経質な人間は早い段階で気が触れて、最悪の場合ーー死に至る。
棲息地は眠れない人間の枕の裏。
睡眠不足の人間は憑かれやすいようだ。
『疲れ』は『憑かれ』
あなたもツカレていませんか?

「最近は『蜥屍』を飼っている人が増えたねぇ……。覇気のないこの空虚な時代に堕とされたあやかしか」

夕焼けを背負いながら麒麟は懐から煙草を取り出す。
紫煙を燻らせながら、ふと見上げた虚空そらは血のように紅い色をしていた。


[完]



またも過去作のリテイクです(笑)

お暇な時にでもどうぞ。
┏○ペコッ

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