恋は振り返ると遥か後ろ

恋愛なんて、振り返ると遥か後ろの方にいる。
もうすぐ振り返っても見えないところまで時間が経ってしまっている。

今の自分に恋愛しても意味がないし、できるわけない。
ある小説でこの世で一番大切なものは「愛」と書かれていた時はすごく考えさせられた。

もちろん納得したし、やっぱりか〜とも思った。
その上で、いざ、自分の人生を振り返るとその大切なものは遥か遠くの過去にしかない。
今は恋をする自信も気力もお金もない。

あの頃はあんなに夢中でそこしれないエネルギーに満ち溢れていたのにいったいあの時の自分はどこへいったのだろう。

せめてもの救いは地元の友達とかとほぼ誰とも繋がっていないので、結婚した情報とか子供が生まれた情報が入ってこないことだろう。

そういう情報を今の自分が知ってしまったら、劣等感を感じてしまう。そして素直に喜べない自分自身をまた嫌いになる。

大失恋をしたまま

よく失恋をしたら新しく恋をすれば忘れられるというけれど、大失恋をした時は違う。
大失恋の後にどんなに好きな人ができても忘れられないものは忘れられない。
でもだからといって、大失恋した子が目の前に現れて付き合ってと言われても付き合えないと思う。

結局、好きだったのはあの時のあの時代のあのシュチュエーションのあの子であって、今とは違う。

あの時の思い出に包まれていたあの子のことが今でも好きなのだ。

だから一生あの大失恋を忘れることはない。それほどまでに好きだった。

どんなに新しい恋をしたところあの恋を忘れることはない。

それほどまでに好きだった


忘れることがないことを前提にした上で生きていかなければいけない。

これから先、またあのような生きた心地するような恋はできるのだろうか?

というよりもそもそも恋をできるのだろうか?

人を好きになることができるのだろうか?

そもそも人を好きになること、人を愛することがこの世の中でもっとも素晴らしいことなのだろうか?

もし、もう一生、恋をしない人生ならば生きている意味なんてあるのだろうか?

それか、自分の人生において愛よりも重要な何かがあるのだろうか?

愛を差し置いて重要なものと出会えたらそれはきっと想像を超えた幸せを体感できるだろう。

そんなものがあるとは今の段階では思えない。

やっぱり恋愛はするべきなのか?

でも相手がいないとできないものだし、言い寄られたとしてもこちらが好きでなければ本当の形での愛は成立しない。

「好きな人いないの?」というベタな問いに対して、「人を好きにならないんだよね」と返すけれど、本心は「人を愛さなくて何が悪い」と心の中で思う自分もいる。

そう、人を愛さなくても違法ではない。悪ではない。
ただ、この世で一番大切な何かが欠けている気がするだけ。
なんとなく、不完全のような気持ちになるだけだ。

むやみやたらに、考える必要もないのかもしれない。



でもやっぱり生きがいが欲しいな〜。



”子孫を残さずとも人は人を愛するように設計されている”







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