海老のはなし

   海老と私
                        20211126
 
 海老が好きだ。焼きも蒸しもなんでも美味しいと思うけど、一番美味しいと思うのは酒で酔わせて生で食べること。これは刷り込みに近い感覚で、海老を幾度食べても蘇る思い出が、物心ついた最初の“美味しい”だからだと思われる。

 私の父は福岡出身で、幼い頃は時々父と共に祖父母を尋ねにいった。
父には姉と妹がいて、妹つまり私の叔母は祖父母と暮らしていて、私は優しい叔母に大層なついていた記憶がある。すみちゃんと呼んでよく構われたがっていた。
祖父は川釣りに連れて行ってくれたが、大抵は居間のこたつに入っていたと思う。にこにこしわしわに笑う人で、少し臆病な印象があった。そんな祖父をいつも甲斐甲斐しく世話していた祖母は全体的に小さな人で、家事がやっと一息ついたと思ったら、あれもこれもやらなければと常に忙しそうにしていた。はっきりした物言いの人で、けらけらと笑いながら「美味しいもの食べなさい」とよく私に食べ物を渡したがった。
記憶は朧気で、その日は父と私だけ福岡に訪れたのか、家族総出でだったかは曖昧だ。
当時7,8歳の私はとにかく小倉の駅に着いて、祖父母が改札まで迎えにきてくれていた。その後祖父の運転で祖父母の家に訪れたと思う。
家に着くと玄関から居間にあがり、2階に荷物を下ろした。すぐに居間に下がると居間から覗くキッチンの暖簾の隙間から銀のシンク台に置かれた桐の箱が見えた。長方形の箱は小学生の私からしたらとても大きく見えたと思う。
「いいもん、たべるか」祖父は家では滅多に動く人ではなかったが、こたつから出てキッチンに向かい、その箱を抱えてきた。
それははめ込み型の箱でしっかりと上下がハマっていて開けるのに少し力が必要そうだ。子供心に重厚感にわくわくした。箱が空気をしゅぽんと言わせながら開いた。そこにはおが屑がたくさん敷き詰められていて、ぱっと見ても何も入っていないようだった。祖父がおもむろに手を入れておが屑をずらすと、しっかりとこっちを見る縞模様の海老が何匹も蠢いていたのである。黒いはっきりとした目が無機質にこちらを探っている。
祖父が一匹を私に渡してくれた。所々におが屑が付いていて、まるで宝物のようだと思った。真綿に包まれてプレゼントされるのだ。
祖父から受け取ったそれは足を上下に動かし尻尾をまるめた。
最近になって知ったが、おが屑にいれるのは海老特有の保存方法らしく、おが屑が余計な水分を吸収するのと同時に、活きたまま乾かさず状態良く保つのだとか。あとは海老同士がくっついて怪我をするのを防ぐ働きもあるそうだ。

「このまま食べても旨いが、酒で酔わせて食うのが一番美味しいぞお」にこにこと祖父が私を見て言った。そして祖母が一升瓶に入った日本酒を持ってきて適当な皿に日本酒をとくとくと入れ始めた。緑と赤で花のような模様が描かれた皿にうっすらと膜が張っていく。
「踊り食いっていうんだよ」祖母が教えてくれた。
おが屑を軽く手でとった祖父はそのまま海老を皿に入れ、皿の上に透明のガラス皿を被せた。中ではぴちぴちと音をたてて海老が動きまくる。
何秒もしないうちにどんどんと動きが大人しくなっていった。中の様子をみた祖父がガラスの皿をとり、海老を私に差し出してくる。
「最初に頭をとって、中を吸ってごらん。それから殻をとるんだよ」
私は手の中で少しだけ身動きしている海老を見て一切の躊躇いもなく頭をもぎとった。もがれまいと海老の全身が緊張するのが分かった。少し力を入れるとがちっという音と共に頭がとれ、右手に残った足部分がびくびくしている。頭に口をつけてちゅーちゅー吸うとどろりとした液体が舌にのる。それは甘く、苦く、濃厚で唾液がじゅわあと口の中に広がったのが分かった。ずっと味わいたくて舌と上あごを使ってそれを吸うが、すぐになくなってしまう。これは美味しい。私の目は生き生きとしていたと思う。
すぐに身の方に意識を向け、指をべたべたにしながら殻をとっていった。殻をとる度に身はびくびくと震え、まだ頭がなくなってしまったことに気づいていないようだった。一気に口の中に投げ込むと、歯で噛むたびに身が波打つのが分かった。そして噛めば噛むだけ身が甘くなる。身がこりこりとして、時々日本酒の酒を感じた。口の中ではぴんくの旨味が身から出ているのではないか、だからこんなにも甘いのではないか、と、この美味しさを逃したくないと何度も何度も噛みながら思った。
身が震える瞬間、私の歯が海老を食していく。海老が可哀想などとは思わず、あと何匹これを食べれるのだろうかと心配している私であった。大人も美味しい美味しいと食べる海老はすぐになくなって、私は3匹食べさせてもらった。
美味しいとは残虐であるかもしれない。ただ、美味しいを一度しったら美味しいが正義になってしまう。

 これが私と海老との出会いであり、未だあの海老を超える海老がないのである。
 ああ、あれを超える美味しい海老が食べたい、いやでも超えてほしくない。そのような心持で私は今日も好物は海老ですと公言し、人の海老まで虎視眈々と狙っているのです。

                                   おわり


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