181209槙野_自由落下の恋人

自由落下の恋人


 落下は重力に依存する。重力にのみ依存するものを自由落下と呼ぶ。空気などによる抵抗がゼロの状態で落ちていくことを指す。美しい熟語である。でもそれは概念にすぎない。体験することができない。空気がなく重力のある環境などまぼろしである。落下の感覚が好きな人間の多くは遊園地にあるような装置をはじめとする遊びで満足するが、なにしろそこには空気があるのだ。より純粋な落下を指向する人間はだから、物理的な落下でない体験でその感覚をつきつめようとする。

 そこまで感覚的なよろこびを追求する人間がいるか?いる。今わたしの目の前にいる男はそういう人間だ。わたしは彼と生活をともにしていた時期があるが、今はそうではない。忘れたころに食事をするだけである。

 高いところから飛び降りるときのふわっとした感じが好きなんです、それを味わうために生きているんです。第三者にそう話したら、異様ですね、というコメントが返ってきた。その感覚が気持ちいいというのは、わからなくもないけど、感覚のために人生を設計するのは異様です。わたしはそれを聞いて、あいまいに笑った。

 彼はもちろん空気を吸うし、なんなら空気を読む。他人とかかわり、組織に属して働いている。そういった現実との折衝の末、仕事に没頭して自分を疲弊させたあとに眠るという方法で「落ちる」感触を味わっている。疲弊の度合いをつきつめるために手の中のものをぜんぶ賭け、結果が出るまでの不確定性に酔っている。そういう種類の欲望を持っているのである。

 世の中にはいろいろな欲望がある、とわたしは思う。欲望に忠実な人間は楽しげだが、近くにいるほうはたまったものではない。そのあやうい生き方に心を痛め、もっと安全にしてほしいと願うことになる。たとえば彼は子ども時代に三回骨折している。塀や柵から飛び降りるのが好きすぎたせいである。親御さんはさぞかしご心労であったろう。

 親御さんほどではないが、わたしも、つきあっていたころにはずいぶんとつらい気持ちになった。彼はじきに過労で死ぬのだ、などと思ってさめざめと泣いたものである。今はそのようなしおらしい感情はない。年をとれば他人の生き死にはどうしようもないとわかる。愛したってどうせ死ぬ。いま死んでいないだけ御の字である。

 死んだら線香を上げてやろう。線香ってどこで売ってるんだろう。どうせ焚くならちゃんとしたお香がいいな。近所の古物屋で買った十九世紀の灰皿(アクセサリートレイとして使っている)の上で焚けばいいかな。いま飲んでるウイスキーみたいなにおいがいいな。煙たくってほの甘くって悪い薬みたいな。

 わたしがそのように思い、思ったままを話すと、彼はうっそりと笑って、言った。あなたはどうして自分のほうが僕より長く生きると思っているんだろう、あなたは、昔からそうだ、自分が丈夫で長生きすると思っている、でも僕に言わせればあなたのほうが僕よりよほどあやうい生き方をしている、僕は、この社会に適応している、日本の企業に適応している、賞賛されればちょっと嬉しかったりもする、でもあなたには、そういうストッパーがない、速度を緩める摩擦がない、あなたは、好待遇にも他人の評価にも興味がない、あなたは自分の気持ちいいことにしか興味がない、ほんとうは誰のことも必要としていない。

 わたしはあいまいに笑う。わたしは彼を異様だと思ったことがない。わたしにとって彼はしごくまともな人間だからだ。わたしにとって人生は快さを追求する場以外の何物でもないからだ。そのほかに人生の基盤があるとはどうしても思われないからだ。欲望に忠実でない人のことがどうしてもわからなくて、似たようなところのある人とばかり仲良くなるからだ。

 いいんですよと彼は言う。あなたは僕に心配をかけるけれど、ずっと心配してあげるから、いいんですよ。



執筆: 槙野さやか (2018.12.09)
2009年より、短編ブログ『傘をひらいて、空を』を開始。「伝聞と嘘とほんとうの話」を織り交ぜたエントリーを投稿している。1977年、東京生まれ。
Site:  http://kasasora.hatenablog.com/



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