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42 スピリチュアルとサイキックの違い(B領域-エゴ・サイキック編)


今回は前回からのシリーズの第2回である。

<B>エゴ・サイキック領域 概要

(興味本位で霊能力を試す人、利己的な目的で霊能力を利用する人、偽霊能力者、営利主義の霊能力者、呪術師、黒魔術師)

この領域は、人がこの世に転生した目的である愛の実践や霊的進化より、サイキック能力を利用して利益を得たいという思いが強い人々の領域である。

<占い・おまじない等>

人は様々な悩みを抱えてその解決や叶えたい願望が募ると、占いやおまじないに関心を持つ。

特に多感な10代の頃に興味を覚えやすい。

私も中学生の頃にタロットカード(まだ日本に入ってきたばかりの頃だった)を試してみたりした。

だが社会人になった頃だろうか、久しぶりにカードを並べていると興味深いことが起こってきた。

カードを手に取っただけで、もう答えが思い浮かぶようになったのである。

色々と悩みが多かった時期だったが、カードよりむしろ、

既に自分の内に答えがある

ということを理解した。

以後、私は占いに頼ることはなくなった。

自分の中に答えがあるなら道具を使用せず自分の内側を直接探求しようと思い、私は瞑想を始めるようになったからである。

カードやおみくじなどで得られた回答が自分の望む内容でない場合、もう一回引きたくなるが、それをやってはいけない。

自分の内にある答えを信じていないということである。

そのような人は別の占いも試み、さらにプロの占い師に高額な料金を払ったりするようになり、エゴ・サイキックのB領域に入っていく。

おまじないの類も無邪気に実践する程度であれば、悩みも紛れて心の整理がついていく効果はあるし、目に見えない存在に呼びかける行為は、純粋な気持ちで敬意を込めて行う分には、感受性を高めてくれるし、ハート・スピリチュアル領域(D)への入り口にもなる。

だが敬意を忘れて軽率に行ったり、願望に執着し過ぎるとエゴ・スピリチュアル領域(B)に入ってしまうリスクも伴う。

以前、少女雑誌に紹介されている恋のおまじないの説明を読んだことがあった。

読者はローティーンの女の子たちだから可愛らしいイラストが添えられているが、いくら可愛いくて美しい天使の言葉でデコレーションされていても、そのおまじないの内容が他人の心を支配する、人の自由意思に干渉する内容であれば、それはネガティブである。

そしてそれに見合った存在と波長が合い、憑依のような現象も起こり得る。

これも中学生の頃の話だが、当時人気だったオカルト漫画で紹介されていた「こっくりさん」というものがクラスでも流行った。

私は関心がなかったが、それでも無理やり誘われて何回かやったことがある。

AはBのことが好きかとかその程度の質問をするだけであったが、それでも今思い返せば何も起こらなくてよかったと思っている。

当時は新聞で女子生徒たちが集団パニックになったという現象があちこちで起こったからである。

もちろん新聞ではこっくりさんが直接の原因とは断定していない。
科学では霊の存在など認められないし証明もできないからだ。

だが高次元の存在が働きかけているなら絶対にそのようなことは起きない。

高次元の働きかけは、我々の認知を超えて非常に高いエネルギーが放たれているので驚くことは多いが、アプローチされた方としては崇高な気持ちで一杯になる。

多感な時期は占いやおまじないの類はやるなと言われてもやるものだから実践は仕方ないが、リスクも多いので心の整理がついたら手放し卒業することが望ましい。

<サイキック能力>

サイキック能力の開発も心の浄化を伴わずそれ自体を目的にするならば、やはり低級霊と縁ができやすい。

サイキック能力がないのにある振りをしている偽霊能力者も多い。

ただし、サイキック能力がなくてもお祓いをされる神職、僧侶の方々はこのB領域ではない。

能力はなくても職業上、誠実に神に使えて正当な作法に則り真心を込めて行なっており、いただくお布施も適正で直接自分の懐に入るわけではない。

むしろ純粋な気持ちで務めているのであれば、神仏、高級神霊の援助があり、実際に効果がある。

彼らは自覚はなくとも(下部ではあるが)ハート・サイキック領域(C)の人である。

ただし形だけ真似て機械的にお祓いしたり、そもそも神仏を信じていない神職や僧侶(ひどい話だが多いようだ)はエゴ・ノンサイキックのA領域にとどまる。

<営利主義の祓・除霊>


もっとひどい例は、霊能力もないのにお祓いや悪魔祓いや除霊と称して、高額のお布施を求めるなどいわゆる霊感商法を行い、人の弱みにつけ込んで財産をむり取ろうとする人々である。

神仏と繋がっていると自称していてもつながっているのは明らかに低級霊、悪霊である。

これらのタイプはエゴ・サイキックのB領域の最底辺、意識レベルは獣、爬虫類クラス。
(実際に脳科学的にも、活動が動物的生存本能の機能部分に偏っているはずである)

たとえこの世で人を騙して得たお金で栄華を極めたとしても、死んだ後はアストラル界の最下部、いわゆる地獄に行くことになる。

<エゴ肥大化のリスク>

ヨガなどの修行系のワークを本格的かつ継続的に行なってきた人は実際にサイキック能力が開発される(時間はかかるが)。

前世から修行を続けてきた場合は先天的にサイキック能力が備わっている。

しかしながら、サイキック能力と霊格(意識レベル)は比例しない。

むしろサイキック能力が高いとエゴが肥大化し、意識レベルが相当落ちるリスクが高い。

サイキック能力が高いと未来を予知して的中したり、病気治療を行うと実際に治癒することはあり得る。

そうなると本人自身は特別の存在でまるで神にでもなったかのよう驕り、周囲の人々も当人を聖者のように扱う。

驕るといっても露骨に尊大な態度を示すことは稀で、表面的には謙虚な態度を示す。

それはエゴの巧妙な誤魔化しであるが、本人は無自覚でありそのことに気づかず、実際に自分は謙虚だと思っている場合が多いので始末が悪い。

そのような状況では周囲の人々はそのサイキックパワーに驚くと同時に謙虚に見える態度に騙され、さらに当人を祀りあげる。

そしてそのサイキック能力のある当人と周囲の関係者はさらに多くのとりまきを集め、有料で治療をしたり、高額な参加料をとる集会を開催したりすることになる。

これがエゴ肥大化のプロセスである。

<サイキックとカルマの法則の関係>

だがとりまきの信者にとっては、その教祖がサイキックパワーで未来予知をして的中したとしても、本質的な意味でその恩恵を受けることはない。

なぜならば、地震などの災害や事故が起こると言われても、前世のカルマを解消するために被害に遭うように運命づけられている場合は、それを避けることができないからである。

それに抵抗してサイキック能力を利用して無理やり自力で逃れたとしても、それはカルマの解消が先送りされただけである。

欲望で運命のプログラムを恣意的に変えようとすると全体の不調和を招く。

いずれはそのカルマが利息を伴ってより大きくなって具体化する。

ジョン・レノンもカルマを題材に曲を作った。

逆にそのようなカルマのない人は予知なんか知らなくても災害に出会うことはない。

運が良い悪いということは偶然ではなく、過去の行為の結果である。


災害、事故、破産、病気、人間関係の破綻、冤罪などは一見、悲劇、禍事に見えるが、それらはカルマを最善の形で解消するために、最も適切な時期に耐えられる量を伴って発生するよう、高次元の配慮がなされている。

そもそも当人自身が転生する前に自分のカルマを解消することを強く懇願し、そのような出来事を経験するように自ら選択して生まれてきたのである。

全てのカルマを一度に返すことは重すぎて当人は耐えられないが、耐えられない試練は与えられない。

当人の魂は、守護天使たちのサポートを受けながら、十分耐えられる量のカルマの解消を選んでいる。

拾いものの写真。分かりやすいので使わしてもらった。

これらのカルマは抵抗せず受け入れていけば必ずその試練を通過できる。

試練を苦しく感じるのはその運命から逃げようと激しく抵抗するからである。

霊的治療を受けた場合は一時的に病気は治癒したように見えるかもしれないが、病気自体、当人のカルマか霊的に問題を抱えているから起こるわけで、その根本のカルマの解消や意識レベルの向上に努めない限り、病気は形を変えて身体の発症場所症も変えて、いずれは再発してしまう。

悪いことをしたら報いを受けるのは来世になることもあるから悪人が栄えるように見えることだってある。

そのため因果応報の法則と輪廻転生の法則の両方を理解しないと、自分に起こる悲劇を受け入れることは困難である。

<カルマの解消>

カルマの解消には、事故等による肉体の死もあり得るが、それすら当人が生まれる前に選択したのである。

災難を受け入れ体験すること以外の方法で、でカルマから逃れられる方法もある。

その一つは

自分が行ったことを悔い改めて善行を積むこと。

その善行により、出会う予定だったはずの災害や事故がこの世に現れる前に相殺される。

あるカルマが完全に消えるか、軽減されるだけか、その度合いは悔い改めの真剣度と愛の行為の純粋度次第であり、高次元の恵みを受けるなら解消はさらに進む。

もう一つの方法は、

エゴを手放し意識を覚醒させること。

意識レベルを高めることは、周囲、さらに地球全体、さらに高次元に対してもにも大きな功徳になるのでカルマの解消につながる。

また、

意識を覚醒させれば内面は至福感に包まれるのでもはやカルマの解消は苦痛ではなくなる。

たとえば今まで険悪な関係にあった職場仲間と縁を切りたいと思っているとする。

エゴ・サイキック領域(B)の人であれば、神社や寺で縁切りを願ったり、積極的に呪術を行いその相手を転勤や退職に追い込もうとする。

その効果は前述した通り一時的なものにすぎず、後にその行為がさらにカルマを生み、必ず反動がやってくる。

意識の覚醒させた場合、カルマが全てなくなるわけではない。

聖者、天使にも、過去の行為によりカルマを負っている。

だがカルマがあろうがなかろうが、意識レベルを高めると、その人との関係、交流は苦痛でなくなる。むしろ劇的に改善する。

相手を許し愛する気持ちになると、その意識の波動を浴びて相手も同じ気持ちになるからである。
(許すことの大切さは記事14参考)

また相手が引っ越すなど自然に縁が切れることもある。この場合はカルマは発生しない。

以上で、サイキックパワーを利用して自己の利益を図ることは本質的な解決にはならず、大局的にはますます運命を複雑化し悪化させるということを理解できたと思う。

試練に出会っても、カルマを解消してくれていると気持ちの上で受け入れて、最善を尽くし、普段できるだけ思いやりや愛、善行を実践していくことが一番大切であり、それ自体が霊的向上、意識の覚醒につながる。

そしてカルマの解消は苦しみでなくなる。

また、そうすることでこのエゴ・サイキック領域(B)から脱することができる。

<黒魔術>

この領域の最悪かつ最低ランクは、黒魔術またはそれに相当する呪術を用いる人々である。

恨み、憎しみのために人を傷つけたり、殺害を望んだり、何らかの不幸に陥れたいと願ってサイキックパワーを用いることは致命的なカルマを負うことになる。

それは、自分自身にそのようなサイキックパワーがなくても、自ら試みたりその筋のプロに依頼してでも実行するならば、同様に重いカルマを追う。

恨み、憎しみは意識レベルでも最底辺にあるので緊急に手放すことが必要である。

自分自身がある人からひどいことをされても、それは前世で逆に自分がその人にひどいことをしたためであり、今はそのカルマを解消していると理解できるならば、最終的は恨んでいた相手を許すことができるようになる。

自省、相手目線での振り返り、相手への理解、共感、思いやりができるよう意識を高めることができれば幸いである。

サイキック能力を用いて恨みをはらすことは絶対に避けなければならない。

一時的に満足できてもそれはエゴが喜ぶだけで魂ハートにとっては悲劇であり、取り返しのつかないほどのカルマを積み、いずれはひどい苦しみを伴ってその解消を迫られる。

そのような魂たちは肉体を去った後、自分が行ったことを激しく後悔し、次の転生でカルマを解消したいと強く願い、そのために様々な不幸に敢えて遭うように運命がプログラムされ、それを受け入れて転生することになる。

憎しみあったもの同士が次の転生で親子や兄弟姉妹として生まれるケースもある。

嫌いな人物と出会い接しなければならなくなることも、親子兄弟姉妹の不和も、カルマの結果でありその解消のプロセスである。

親子などの血の繋がりはなくすことはできないが、自分の意識レベルを変えれば親兄弟姉妹ですら交流はなくなる。

お互い和解することが最高のケースだが、自分、相手双方の意識レベルが高まらないと不可能である。

自分自身は意識を改めてネガティブな思いを手放すことができたとしても、相手はまだカルマを引きずっている可能性がある。

その場合は、自分が家を出て独立して交際も最低限になるような運命が展開したり、または世間的にいいかどうかは議論の余地はあるが、連絡しても相手からは音信不通になることもある。

地球での転生それ自体は、全てのカルマを解消しつつ、愛を学び、飛躍的に霊的進化を遂げる願ってもない機会である。

地球に転生できない存在も多い。

カルマを解消できる転生の機会それ自体が神の恵みである。

<スピリチュアルのビジネス化>

またスピリチュアル系の有料のセミナーを開いたり、有料で自作のパワーストーンや護符などを販売する人々は多いが、スピリチュアル、サイキック的なものを営利目的に利用することは要注意である。

愛の実践が目的で、もらうお金は気持ち程度ならいいが、お金が目的となってしまうと本末転倒。

一般の商行為、営業活動でも、提供するサービスに対して利益を取りすぎる場合はカルマが発生し得る。だが需要と供給の市場原理で適正価格に落ち着くからカルマは生じにくい。

ところがスピリチュアルの領域は適正価格がない。愛に値段はつけられないからである。

さらに一番の注意事項だが、神仏、天使等の高次元の存在を利用して金儲けする、それ自体が冒涜である。

天使の生まれ変わりと自称し、高次元とコンタクトできると謳い、有料で何かを販売したりカウンセリングを行なっている人物がいたら、避けるべきである。

エゴ・スピリチュアル領域(B)にいる人で、天使、高次元とコンタクトできる人はいない。

「私は天使です」と称する何かと交流できてもそれは低級霊である。

自分自身にサイキック能力が備わっていて、それを活用して人を助けたいなら商売、職業にはしないで無料奉仕するのがベストである。

それなら低級霊や悪霊は取り憑きようがない。

よくトイレ掃除をすれば金運がつくと言われている。

確かに自発的かつ無償の奉仕活動としてトイレ掃除をするなら金運はつくかもしれない。

だがトイレの清掃を職業にしている人には生活費は賄えても金運はつかない。

なぜならばその場合、トイレの清掃その目的自体がお金を得るためだからである。

同様に、スピリチュアル、サイキック能力を商売にしてお金をとる人は運がつかないし、愛がないから、ハート・サイキック領域(C)には移行できない。

当人は愛のレベルに到達していると思い込んでいたとしても、実際にはエゴの領域にとどまり続ける。

<超古代の歴史から学ぶ>

余談だが、神智学によれば、超古代の初期の人類はエーテル状で肉体を持たなかった。

その頃の人類は誰もが高次元の神々と交流していてまだエゴはなかった。

次のレムリアの時代に至ると、人類は肉体に魂が入るようになったが、神を愛して全てを委ねていたから幸福で平和であった。

つまりレムリアまでの時代はずっとエデンの園の状態であった。

ところが次のアトランティスの時代では、これまでにない科学技術を発展させたものの、人類の多くが神から離れ、科学技術と自分自身のサイキック能力をエゴのために使うようになり、互いに相手を支配しようと争うようになった。
(知恵の果実を食べてエデンの園から離れた状態)

大洪水によるアトランティス文明の崩壊はその結果である。

サイキック能力を用いて他人を支配した人々はアトランティス大陸の水没で命を落としたが、彼らに警告をしていた僅かな賢者たちは次世代に叡智の一部を残した。

エドガー・ケイシーによると、当時のアトランティス時代にサイキック能力を悪用した魂たちは、現代においてもカルマの解消のために転生を続けているとのこと。

現代において科学技術やサイキック能力の悪用を避けて人類のために働いているならばそのカルマは解消されているはずだが、実際にはどうだろうか。

歴史から学ぶことは多い。

体験からも学べるがそれは転生の原因となりカルマの痛みが伴う。

現在、サイキック能力を活用したいと思うなら、このアトランティスの事例は反面教師としたい。

以上、読んでくれてありがとう。

次回のハート・サイキック領域(C)についての解説はこちら→記事43

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