読書メモ・第4回・南木佳士「冬への順応」(『ダイヤモンドダスト』文春文庫、1992年)

1989年の第100回芥川賞受賞作は、南木佳士の「ダイヤモンドダスト」だった。
私がこの作家に興味を持ったのは、私の出身高校の先輩だったから、という単純な理由にすぎない。
受賞した年が1989年ということは、私が大学2年生の時である。受賞作が表題となっている『ダイヤモンドダスト』(文春文庫)を読んだのは、それからほどなくしてだったと思う。
読んでみて、受賞作の「ダイヤモンドダスト」よりも、同じ本に収められている「冬への順応」という短編小説に、強くひかれた。
都立高校を卒業した主人公は、浪人して、予備校に通う。お茶の水にある有名予備校である。
あるとき、代々木駅で偶然、小学校時代の同級生、千絵子に会う。千絵子もまた、代々木にある予備校に通う、浪人生であった。
そこから、何となく二人はつきあい始めるのであるが、主人公は1浪の末、都内の大学に落ち、東北地方にある国立大学の医学部に入学する。一方千絵子は、東京の大学に入学する。
主人公は、北国で悶々とした大学生活を送るようになる。千絵子のことを思い、何とか東京の大学に入学しようと仮面浪人の生活をはじめるのだが、なかなかうまくいかない。そのうち、東京にいる千絵子は、だんだんと気持ちが離れていき、さらには新しい彼氏ができて、二人は自然と別れてしまうのである。
それから10年以上たち、主人公は千絵子と再会する。医者と末期癌の患者という立場で、である。主人公は、末期癌に冒されたかつての恋人と、医者として向き合わなければならなくなるのである。
…これを大学生の時に読んだとき、「いかにも都立高校出身者が書いた小説だな」と思った。
私の出身高校は、むかしから浪人するのが当たり前で(今は違うが)、かくいう私も1浪している。つまり多くの同窓生が、「浪人」という言葉の響きに、ノスタルジーを感じているのである。
そして私の友人の中には、1浪して地方国立大学に進む者が多かった。南木佳士氏自身も、この主人公と同様、浪人して秋田大学医学部に進んだが(というか、この主人公のモデルは、作家自身である)、私の友人の中にもやはり、1浪して秋田大学の医学部に進んだ者がいた。
この小説を読んでまず思い出したのは、その友人のことであった。
それに、浪人中に交際がはじまる、という同級生たちもけっこういた。
だがその中には、その後二人が別々の大学に入ったり、あるいは男性の方が2浪したりして、そのうちに女性の気持ちがしだいに離れていく、ということが、しばしばあった。
私の身のまわりには、「思いあたる」友人がけっこういたから、この小説を読んだときに、何か胸につき刺さるような感じがしたのである。
同じ高校出身ならではの、共有体験、とでも言おうか。
この小説にひときわ思い入れが強いのも、そのためである。
小説の中で、千絵子の母が主人公に言う。
「あの子がいちばん懐かしがっている、あの浪人の頃のように、はげましてやってはいただけないものでしょうか。ほんとに勝手なお願いなんですけど」
「はげまされたのは、むしろぼくの方で……」
「いいえ、そんなことはございません。生きてたってほんとに言えるのは、あの頃だけだ、なんて申しておりますものですから」
「それはぼくもおなじです」
-生きてたってほんとに言えるのは、浪人の頃だけだ-
これほど、「浪人」に対する郷愁に満ちた言葉を、私は知らない。
これは、まぎれもない「浪人ノスタルジー小説」である。
高校生でも、大学生でもない、浪人生という、特別な時間。
そんな時間を、私も過ごしたのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?