忘れ得ぬ人々・第4回「謎のタカダさん」

「ふとしたとき、どうしているのかな?と気になってしまう。自分の中に爪跡を残している。でも、連絡をとったり会おうとは思わない。そんな、あなたの「忘れ得ぬ人」を送ってもらっています」
という、TBSラジオ「東京ポッド許可局」のコーナー「忘れ得ぬ人々」にヒントを得て書いています。

大学1年の時に考古学のサークルに入った。その年の夏休み、人里離れた山奥での発掘調査に参加した。1カ月ほどのテント生活をしながらの発掘調査はなかなかハードだった。参加者でひとり、明らかに学生でない「おじさん」がいた。「タカダさん」である。
おそらく当時、30代前半くらいだったのだと思うが、大学1年の私からすれば、ひどく「おじさん」に見えた。痩せぎすで、ヒゲをはやし、髪はボサボサで、どことなく「住所不定」という雰囲気の風体をただよわせていた。
タカダさんは、最初から最後までずーっと、熱心に発掘調査に参加していた。夜になるとベロベロになるまで酒を飲んだ。
いろいろな先輩の話を聞いているうちに、タカダさんの素性が、おぼろげながら見えてきた。タカダさんは、美大出身の芸術家であるという。だが、芸術だけではメシが食えないので、ふだんは、小学校の夜間警備の仕事をしているらしいとのことだった。発掘調査に参加しているのは、こういう調査が好きでたまらないから、仕事の休みを取ってきているのだという。
机に向かって勉強ばかりしていた私にとっては、これまでお目にかかったことのないようなタイプの人だった。調査に参加した私たち学生たちはみな、その人間味あふれるタカダさんを慕っていたのである。
山奥での発掘調査は、翌年の夏休みも同様に行われ、それからタカダさんと会う機会はなくなった。
ところがそれから数年後、私が大学院に入ったばかりのころ、発掘調査で一緒だった人から、連絡が来た。
今度、タカダさんが銀座のギャラリーで個展を開くという。そして、その個展が終わったら、東京の住まいをひきはらって、故郷の九州にもどり、そこにアトリエを作って芸術活動に専念するらしい、というのである。
私は、サークルの友人数人と、タカダさんの個展を見に行くことにした。差し入れには、タカダさんの大好きな日本酒の一升瓶を買っていった。
はじめて見る、タカダさんの作品である。
山奥で、きったねえ格好をして飲んだくれている姿しか知らない私たちにとって、それは意外な感じがした。
しばらくすると、奥からタカダさんが出てきた。
一升瓶を渡すと、「このあと、飲みに行こう」とタカダさんが言う。私たちは、銀座の安い居酒屋で、タカダさんと酒を飲んだ。
タカダさんは、いつものようにベロベロに酔っぱらった。正体がなくなるまで飲むというタカダさんの姿は、やはり以前と同じだった。
店を出るときも、かなり足もとがおぼつかない。
「大丈夫ですか?帰れますか?」個展は明日が最終日なのだ。
「大丈夫だ。心配するな」酔っぱらいが必ず言うセリフである。
「おい」ふらつきながら、タカダさんが私を呼んだ。
「おい、明日あいてるか?」
「えっ?」
私は一瞬逡巡した。明日もこのおじさんにつきあって飲まされるのだろうか、と思ったのである。
「ちょっとの時間でいいんだ。個展に顔を出せるか?」
「ええ。夕方なら大丈夫です」
「そうか。じゃあ悪いが来てくれ。きっとだぞ」
酔っぱらいの戯れ言だろうか、と思った。それに、なぜ私にだけ「来い」と言ったのか、謎である。
不安を感じながら、翌日の夕方、ひとりで個展の会場に向かった。
すでに個展も終わり、作品の片づけ作業が慌ただしく行われていた。
「おお、来てくれたか」タカダさんが私に気づいた。「ちょっと待っていてくれ。渡したいものがある」
そういうと、いったん奥の部屋に入り、何かをとってもどってきた。
「これを渡そうと思って」
それは、1本のカセットテープだった。
私が不審に思っていると、タカダさんが説明した。
「これは、うちのカミさんが自主製作したものでね。カミさんが歌っているんだ」
見ると、カセットテープのジャケットには、きれいな浜辺の写真と、タイトル、そして、タカダさんの奥さんの名前がレイアウトされていた。美大出身のタカダさんがデザインしたものだろうか、と想像した。
それにしても、突然のことで、何が何だかわからない。
「これを、僕に…ですか?」
「うん、ぜひ聴いてもらいたいと思ってな」
ますますわからない。だいいち私は、タカダさんの奥さんには会ったことすらないのだ。
「ありがとうございます。帰って必ず聴きます。タカダさん、いよいよ東京を離れるんですね」
「ああ」
「どうかお元気で」
「お互いにな」
そして慌ただしく、ギャラリーを後にした。
家に帰って、もらったテープをさっそく聴いてみた。
みずみずしい歌詞と、透明感のある歌声が印象的だった。歌詞カードによれば、歌はすべて奥さんの自作のもので、ジャケットのきれいな写真は、やはりタカダさんが撮影したものだった。
くり返し聴いてみたが、それにしてもよくわからなかった。
タカダさんはなぜ、このカセットテープを私にだけくれたのだろう?
なぜ、わざわざ私を呼び出してまで、渡そうとしたのだろう?
謎である。
タカダさんはどうしているのか。いまも故郷の九州で芸術活動に専念しているのだろうか。

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