あとで読む・第40回・酒井順子『鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む』(角川文庫、2023年、初出2021年)

ほとほと自分がイヤになる。このたびの韓国出張(2024年1月22日~26日)では、荷物を厳選して必要最小限のモノだけを持っていく、と強く心に誓い、それを実行に移した。「旅のお供」にするための本も、ふだんは2~3冊持っていって、結局読まないで帰ってくることが多いので、今回はこの1冊だけっ!と決めたのが桐野夏生さんの『日没』だった。持っていく本を1冊に絞ることで、旅先ではなるべく本を読む時間を作って、その本を読むことに徹しようと考えたのである。
ところが、である。出発する成田空港で時間に余裕ができたので、お店をまわっていたところ、本屋さんを発見し、「ま、買うことはしないが、ちょっとだけ覗いてみよう」というのがいけなかった。文庫本のコーナーでひときわ私に主張してきたのが、標記の本だったのである。つい最近文庫化されたせいか、私には「買ってください」とばかりにキラキラと光って見えた。で、よせばいいのに買ってしまった。
酒井順子さんのエッセイには、ちょっとした毒気があって好きである。『日本エッセイ小史』(講談社、2023年)は、近代日本におけるエッセイの歴史を時間軸に沿って客観的・分析的に綴っていく、とみせかけて、そこに酒井さんの持ち味である辛辣さを読みとらせるという高度なテクニックが仕組まれていて、ああ、こういう文章を書いてみたい、と思ったものである。
『ガラスの50代』(講談社文庫)の次のくだりには、「わかるわぁ~」となった。
「SNSが流行り始めた頃、私は四十代前半。今一つわけがわかっていなかったけれどフェイスブックというものに登録してみたのは、四十五歳の頃でした。それはちょうど、人の「懐かしみたい欲求」が急激に上昇して行くお年頃です。(中略)
そんな中年達にとってSNSは、渡りに船的な道具となりました。昔の仲間達と次々につながり、
『久しぶりに集まりました!』
と、楽しげな画像をアップするという現象がそこここで。(中略)
もちろん私も、例外ではありません。SNS上で、昔の知り合いと次々につながっていくと、青春再来的なわくわく感を覚えたもの。リユニオン的な集まりも、頻繁に開かれるようになりました。(中略)
しかし最初の感動は、次第に薄れていきます。(中略)久しぶりの再会時には懐かしくていろいろな話が弾んだものの、二回目には話すネタも尽き、「ま、こんなものだよね」という感じに。長年会わずにいたのにはそれなりの理由があったのだ、ということがわかるのでした。
私がこのように感じるということは、向こうも同じことを感じていたということでしょう。フェイスブックが広まった頃は盛んに行われたリユニオン活動も、かくして次第に沈静化していったのです」
この文章を読んで、私のまわりで起こっていたいくつもの不可思議な現象が、腑に落ちたのである。と同時に、一見して「ですます調」の柔らかな物言いの中に、辛辣さを読みとらせる手法は、やはり憧れる。
もう一つ、この本を手に取った理由は、副題に「内田百閒」と「宮脇俊三」が登場することである。私は鉄道ファンではないが、とりわけ宮脇俊三さんの文章が好きだった。『時刻表2万キロ』が出版されたのは、小学校高学年の頃だった。その話はいずれ書くかもしれない。

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