忘れ得ぬ人々・第8回「集団下校」

「ふとしたとき、どうしているのかな?と気になってしまう。自分の中に爪跡を残している。でも、連絡をとったり会おうとは思わない。そんな、あなたの「忘れ得ぬ人」を送ってもらっています」
という、TBSラジオ「東京ポッド許可局」のコーナー「忘れ得ぬ人々」にヒントを得て書いています。

娘が小学校に上がり、登下校に気を揉む毎日である。小学校の後は学童保育に通っているので、朝はちゃんと学校に行けたかな?夕方はちゃんと学童から帰ってこれるかな?と心配するのだが、先日娘は、同じ学童で友だちになったばかりの男の子と並んで帰ってきた。聞くとクラスで一番人気のある男の子だという。娘は誰に似たのか、保育園の頃から惚れっぽい性格である。
その様子を見て、自分が小1の頃を思い出した。

私が小1の頃は、親が共働きであったけれど、学童には入らず、小学校が終わるとそのまま家に帰った。いわゆる「鍵っ子」である。
そもそも当時は、学童に入る子どもはそれほど多くなかったと記憶する。遊んでいる子どもたちを近所の人たちが日常的に見守ってくれていたからかもしれない。

小学校から家までは少し距離があるので、帰りは同じ方向に帰るお友だち同士で集団下校をするのだが、私はクロサワさんという同じクラスの女の子と毎日一緒に下校した。
クロサワさんの家はケーキ屋さんで、クロサワさんのお父さんとお母さんが二人だけでお店の切り盛りをしていた。駅前にあるなかなか評判のよいお店だった。クロサワさんはケーキ屋さんの一人娘だったのである。
下校途中、何を喋ったかはまったく覚えていないが、クロサワさんとお喋りをしながら帰ったことが楽しかったことだけは覚えている。初恋、といったら大げさかもしれない。しかし「幼なじみ」といってよいだろう。

小3のときのクラス替えで別々になり、新しい友だちができたりしてクロサワさんとはほとんどお喋りする機会はなくなったが、次に同じクラスになったのが中学2年の時だった。小学校のときに一緒に下校したことはお互い口にこそ出さなかったが、クラスの仲の良い友だちのひとりとして接した。
ところがあるとき、クロサワさんについて驚くべきことを知った。

私の通っていた中学校は、当時の社会風潮もあったのかひどく荒れていて、いまでいうヤンキー、当時の言葉で「ツッパリ」「不良」の巣窟だったのである。不良グループを取り仕切る「総番」(総番長)や「裏番」がいて、ツッパリたちはそのヒエラルキーの中に組織されていた。
そしてクロサワさんは、1学年先輩である「総番」の「彼女」になっていたのである。ではクロサワさんが「スケバン」(これも死語)であるかと言えば、そういうことでもなかった。ふつうにクラスの友だちとお喋りするのが好きな女の子のままだった。
それに対して私は当時「生徒会長」をやらされていた。学校の秩序を維持する役目として、不良グループと対峙しなければならなかった。人間の運命とは面白い。小1のときに幼なじみとして毎日一緒に帰っていた女の子が「総番」の「彼女」となり、私はその不良グループと対峙する「生徒会長」として再会するなんて。

私の1学年上のツッパリたちの悪行に手を焼いていたとき、「総番の彼女」であるクロサワさんを通じて、なんとか彼らの行動を抑えてくれるようにお願いしたことがあった。クロサワさんがどんな反応をしたのかは覚えていない。今から考えると、総番とクロサワさんは別人格であるという配慮に欠けたヒドいやり方だったと反省している。

中3になり、クロサワさんとはまた別のクラスになった。中学卒業後は会うこともなくなった。もう10年以上前だろうか、クロサワさんのご両親がやっていたケーキ屋を訪れると、お店のあったところが更地になっていた。




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