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回想8・増田書店(国立市)

この土・日(2024年2月17日、18日)は国立市の一橋大学での研究集会があり、私は2日目の総合討論の司会という役割を与えられてしまったものだから、この2日間はまったく気を抜くことができなかった。
日曜日の夕方にようやく集会が終わり、極度の緊張から解放されると、そこから南へ少しばかり歩いて、自分の出身高校に立ち寄った。日曜日なのでもちろん門は閉ざされていたが、門の前に立った時、
(もしこの中に入っていったら、あの頃に戻れるんじゃないだろうか?)
と錯覚してしまうほどの懐かしさを感じた。
しばらくたたずんだあと、踵を返して駅に向かう。次の目的地は、高校時代に通った本屋さんだ。

国立駅前にはかつて2つの書店があった。東西書店と増田書店である。高校時代、どちらの書店にもよく通った。
3年ほど前(2020年12月)に仕事の関係で国立駅に降り立った時、東西書店がすでになくなっていることを知り、もうひとつの増田書店に少しだけ立ち寄ることにした。
お店の前まで来て、記憶がよみがえってきた。この書店は、建物の1階と地下に売場がある。1階は文庫本とか文芸作品とか雑誌などで、地下は専門書や教養書が並んでいる。私が高校の時と、基本的には変わっていない。そして私は、とりわけこの地下の専門書のコーナーが好きだった。エスカレーターで地下に降りていくと、そこは教養のワンダーランドだったのである。
本棚に雑然と並ぶ専門書。私からしてみたらツボを押さえた本ばかりが並んでいる。
(高校時代に通っていたときから、ブレてないなあ)
本棚を見ているだけで楽しい。
そういえば、高校時代もこんなふうにしてこの書店の地下で過ごしていた。
最近は、大型書店か、選書にこだわりのある独立系書店かに二極化している気がする。どちらも利用はしているが、やはり私が好きなのは、駅前にあって、しかも良質な本を並べている「町の本屋さん」である。大型書店は買いたい本がすぐに見つかるのだが、ちょっと味気ない。独立系書店は、ちょっとオシャレな感じなので敷居の高さを感じる。その点、町の本屋さんの雑然とした感じはやはり性に合っている。

高校時代、時間をかけて本棚を眺めては、おもしろそうな本を手に取ったものだった。あらかじめ買おうと思っていた本を探しているうちに、別のおもしろそうな本を見つけたり。もちろん、どこの本屋に行ってもその楽しみはあるのだが、とくにこの書店は品揃えが(売れ筋のものばかりではなく)個性的で誠実で謹厳実直なので、その楽しみが倍増するのである。
へえ、こんな本があるのか、と本の背表紙のタイトルを見るだけでも、そこで新しい言葉を覚えたり、著者の名前を覚えたり、少し背伸びをした考えを学んだり、高校時代は、そんなことをしていたのだ。贅沢な時間だった。
さすがにあの頃には戻れないけれど、この本屋を訪れると、あの頃に過ごした時間のことを思い出すことができる。

そして3年ほど経って、またこの書店を訪れた。地下の専門書・教養書のコーナーに行こうと思ったが、あまりにも疲れていてエスカレーターで地下に降りる気力もなく、1階だけをまわった。だがそれだけでも、高校時代と同じようにワクワクする。並べられた本がどれも読みたくなる本ばかりなのだ。
これからはあまり本を増やさないように心がけてはいるのだが、やはりどうしても本を買いたくなり、カフカ著・頭木弘樹編訳『絶望名人カフカの人生論』(新潮文庫、2014年、初出2011年)と、『田中小実昌ベストエッセイ』(ちくま文庫、2017年)を買ってしまった。
本屋さんを出たあと、すぐ近くの「ロージナ茶房」に寄って軽食をとる。「増田書店」→「ロージナ茶房」は、私のテッパンルートだった。ま、あまり好きな言葉ではないが、「がんばった自分へのご褒美」と考えることにする。

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